2010年10月24日日曜日

古い東京の地図に「日本中学」がくっきりと出ております。


日本学園は昭和11年に現在の世田谷の松原に移転しましたが、大正5年から松原の地に移転までは豊多摩郡淀橋町角筈(いまの新宿駅西口朝日生命ビル付近)に淀橋校舎として多くの逸材を輩出しております。神田錦町からスタートし、半蔵門-淀橋-世田谷松原とよりよい教育環境を求めて3度も校舎を移転した中学/高校は他にはないと思われます。さて仕事柄、手元に昭和初期の東京の地図が3枚手に入りましたのでここにご紹介いたします。新宿付近を見ますと、ありました。「日本中学」が・・・・。近辺には他に3つの私立学校があり、当時の新宿西口の淀橋区域は学業の街だったことがうかがえます。注目すべきは昭和2年の地図で、これは他の2つの地図と比べるとあまり詳細ではない地図となっております。新宿西口を見ますと、懐かしく心躍る「日本中学」の校名が大きく、くっきりと記載されておりました。ちっぽけな小さな古い地図ですが、我々OBの胸に秘めた熱き誇りを掻き立ててくれるに充分な大きな地図であります。

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地図1:昭和8年文彰堂発行。新大東京全図。
近辺には工学院、明治学院、精華高等女学校があります。 

地図2:同じく昭和8年文彰堂発行。新大東京全図。
まだ松原には何もないようです。明大前駅は当時は松原駅とあります。 

地図3:昭和5年東京日日新聞付録。東京市外地図。
くっきりと学校の位置まで読み取れます。 

地図4:昭和2年雄文館発行。最新東京郊外地図。
大きく「日本中学」の校名が記載されています。

淀橋校舎

広報部会 S44卒 中村 

2 件のコメント:

S56卒永澤 さんのコメント...

これはすごい!新宿魔天楼のど真ん中ですね。今も残っているのは工学院のみ。明治学院が淀橋にあったことは知りませんでした。明学OBの高橋先輩はご存じかな?在校生たちが知ったら、さぞや驚くことでしょう。それにしても昔の町名には趣があります。”つのはず”は新宿にもあったし、松原地区の古地図に載っている「青山腦病院」も最高にクール。戦前戦中は「衛戍病院」なんてのもあって生まれる前なのに意味もなくときめいてしまいます。錦町・半蔵門時代の古地図も見たいものです。

S37卒 風間 さんのコメント...

当時の学校の位置と新宿界隈が中々面白いですね。
昭和5年の地図によると都電杉並線の前身西武軌道線は、大ガードをくぐって新宿東口駅前アルタあたりから発着していたとは!
それに京王線は甲州街道を更に進み新宿南口の橋を渡り東に向かっています。