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2021年7月15日木曜日

日本学園OBのジャズピアニスト佐山こうたさんライブ演奏2020年10月収録動画を紹介します。

 佐山こうたさんのピアノ・ソロ演奏動画です。

佐山さんは、日本学園130周年記念同窓会(京王プラザホテル)でもピアノトリオで演奏していただきました。現在も元気に活躍されています。

佐山こうたピアノソロ ☚吉祥寺の老舗ジャズクラブSOMETIME2020年10月25日に収録

2017年11月7日火曜日

2017年4月9日日曜日

梅窓会運営委員会委員有志17名の参加のもと
25年ぶりの「傘寿を祝う会」が開かれました。

平成29年4月8日(土)明大前 香港亭にて満80歳を昨年迎えた堀内優憲理事長(S29年卒)、今年迎える髙木梅窓会会長(S30年卒)、来年迎える河井春生監事(S31年卒)の先輩方の傘寿(さんじゅ)を祝う会を校祖杉浦重剛先生の曾孫、杉浦利重氏と梅窓会運営委員会委員有志17名の参加のもと開かれました。
清水正敏理事(41年卒)の話によると25年前に傘寿を祝う会が開かれて以来のことで当時のことを知る者はほとんどいませんでした。飲食、歓談する中、先輩3人に長寿の秘訣を伺うと堀内優憲理事長はよく食べること。特に肉を今でも200グラムのステーキをしょっちゅう食べているとのことです。髙木会長はよく動くことで、スケジュール帳には毎日予定がビッシリ入っており動き回っていますとのことです。河井監事は母校のスポーツ試合の応援に行き身体を動かしているとのことです。そして先輩方の共通しているのはあちこちで開催される母校の野球、バスケットボール、バレーボール、サツカ-の試合に幾度も応援に行っているということでした。われわれ後輩達も大先輩を見習い、よく食べ、よく動き回り、よく身体を動かし、元気に母校を応援して盛り上げていかないといけないと痛感しました。最後に浦山景次梅窓会副会長の締めの音頭でお開きとなりました。

S38年卒 川本雅之
有志17名が集まりました。

堀内理事長
高木梅窓会会長
河井監事
益々意気軒昂なお三方です。

2017年3月3日金曜日

日本学園OB、俳優の斎藤工氏が、朝日新聞コラム「ひと」に掲載。「移動映画館」で被災地を応援する俳優

人気絶好調の俳優、日本学園OBの斎藤工氏(平成12年卒)が3月3日付けの朝日新聞の朝刊のコラム「ひと」に「移動映画館」で被災地を応援する俳優というタイトルで記事が掲載されていましたのでご紹介いたします。日本学園高校時代の思い出も書かれております。華やかな俳優業の世界に身を置きながら、常に自分にしかできない世の中の役に立つことは何かを考え、それを強い信念をもって実践している素晴らしい日本学園OBです。

 
広報部会 44年卒 中村 隆
 
(クリックで拡大して記事が読めます。)
 
3月3日付朝日新聞朝刊のコラム「ひと」に掲載のOB斎藤工氏
 

 

2017年1月5日木曜日

運営委員の関口さんが朝日新聞・群馬版で紹介されました。

会員の皆様
新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。


昨年12月、梅窓会運営委員を務める関口直秀(昭和45年卒)さんが、16日付けの朝日新聞・群馬版「上州ひと交差点」というコラムにて、その活躍ぶりが紹介されました。
関口さんは定年退職後、超高性能なオーディオ用ケーブルを中心とした制作販売会社を設立。日夜、工房で音質の追究に勤しんでいる方です。

梅窓会 広報部会


2016年12月8日木曜日

菱田春草の切手 文化人切手(第一次)

文化人切手(第一次)18種が1949年~52年にかけて発行されました(物故者)。その18枚のなかに日本学園の前身「東京英語学校」の出身の菱田春草がありますのでご紹介いたします。以下18名が文化人切手です。1枚8円から10円で現在、18種類全てが額面以上というプレミア切手シリーズとなっております。もう1枚菱田春草の代表作で重要文化財の「黒き猫」も切手になっております。そして同じく「東京英語学校」の出身の横山大観は「富嶽飛翔」、「夜桜」、「無我」の3点が切手になっております。

野口英世 福沢諭吉 夏目漱石 坪内逍遥 九代目市川団十郎 新島襄 狩野芳崖 内村鑑三 樋口一葉 森鴎外 正岡子規 菱田春草 西周 梅謙次郎 木村栄 新渡戸稲造 寺田虎彦 岡倉天心(発売順)

菱田春草と横山大観について:日本学園の前身「東京英語学校」の出身の菱田春草(1874~1911)と横山大観(1868~1958)は共に近代日本の日本画の表現方法に画期的な技法で挑んだ日本が誇る天才画家です。「東京英語学校」時代から絵画に興味があり共に「東京美術学校」(現東京芸術大学)に進みます。二人は齢こそ違いますが「東京英語学校」、「東京美術学校」の二校で学んだ間柄で無二の親友、常に行動を共にし西洋画の画法を取り入れた輪郭線を描かない先進的な没線描法の日本画を次々に発表します。しかしこの実験的な手法は保守的風潮の強い当時の画壇ではまったく評価されず、この描き方は曖昧で勢いに欠ける画風という批判的な意味を込めて朦朧体(もうろうたい)と呼ばれていました。この保守風潮の強い日本画壇で活動に行き詰まりを強く感じた二人は意を決して海外に渡り、まずインドへ向かいます。現地で描いた絵が売れて少額ですが資金を得て帰国。続いてアメリカに渡り展覧会を開き絶賛を浴びることになります。ここで資金を得た二人はその足でヨーロッパに渡りイギリス、ドイツ、フランスにて展覧会を開きここでも高い評価を受けることになります。この二人の海外での高い評価が次第に日本にも伝わり、この朦朧体という画風が評価され始めることになります。大きな志を持った二人が成功を収めた背景には「東京英語学校」で習得した英語が大いに役に立ったのは間違いありません。菱田春草は「東京英語学校」で横山大観の後輩でしたが、36歳という若さでこの世を去り、彼のずば抜けた才能を若い時から見い出していた大観はどんなに自分の絵を褒められても、“春草君は俺なんかよりずっと上手かった”という逸話が残っています。

梅窓会 昭和44年卒 中村 隆

菱田春草
切手帳に貼り込んだ文化人切手(第一次)18種。左上が菱田春草(著者所有)

2016年10月7日金曜日

9月26~28日に長崎へ旅し、 
今井兼次先生の作品に出会い感激。

西坂の有名な26人聖人記念碑(舟越保武作)を拝見に行ったところ、その後ろの「26人聖人記念館」の右隣に高い2本の漫画チックな塔のある教会があるので入って見ました。説明を聴いてそれが我ら日本学園(旧日本中学)の卒業で著名な建築家今井兼次先生の設計になるものであることが分かり感激。帰京後、ちょうど日学祭であったので、資料室で今井先生の関係の書籍を見たところ、先生はスペイン、バルセロナのアントニオ・ガウディを日本に初めて紹介した方であることも分かり感激をあらたにしました。先生ご自身、60才を超えてからカトリックの洗礼を受けておられます。ご存知の通り今井先生は日本学園の現在の1号館(国の有形登録文化財)を設計された方です。 

昭和28年卒 米田利民


長崎西坂教会、正式名称は聖フィリッポ教会(写真はパンフレットより)

 
日本26聖人記念碑(秀吉により京都・大坂で集められたカトリック教徒が長崎へ連れて来られ、西坂で磔刑に処せられた。1597年 聖人の中で一番若かったのは12歳のルドヒコ茨木) 碑の後ろにあるのが「26人聖人記念館」(これも今井先生の設計)

2016年6月12日日曜日

OBも登場。2017年版スクールガイドが発行されました。

「人は得意な道で成長すれば良い」

中学高校の多感な6年間、開放的な男子校の環境で、自らを学び、得意な道へ進む。今ガイドは、日本学園校祖 杉浦重剛先生のこの言葉を通じて、丁寧に学園教育の特色が解説されています。

梅窓会ブログ(4月18日付)にてご紹介した脚本家大野武雄さん、そしてプロサッカー選手の野村政孝さん、早大生 茶木慎之介さんとバラエティに富んだ会員のメッセージも掲載されました。皆さまご来校の際にはぜひご一読ください。また周囲に母校に興味をお持ちの小学生(4年生以上)、保護者の方がいらっしゃいましたら、ぜひぜひオープンキャンパスをご紹介ください。6月19日開校です。


 
OB紹介ページ
梅窓会 広報部会

2016年4月18日月曜日

テレビドラマなど執筆し活躍する脚本家 。
OB大野武雄君(S38年卒)

斎藤工、太川陽介、乱一世、高田文夫、荒井注、大塚周夫(声優の第一人者)など日本学園のOBがTV、ラジオに出ない日はないほど日本学園は芸能文化分野でも活躍している方が大勢いますが、今回はTVドラマで欠かせないシナリオライター(脚本家)の紹介です。その人は私のクラスメイトの大野武雄君。
大野君(写真左)と日本学園当時のことを談笑

日本学園在学中はバスケットボール部に所属。昭和36年生徒会が伝統ある名門校日本学園の学生歌、応援歌を作ろうとの企画があり全校生徒に募集を呼びかけ、その中で大野君の作詞が応援歌に選ばれました。
応援歌「若き力」のお披露目と表彰式を伝える記事
昭和36年 日本学園新聞部発行『倶進第58号』より
[資料室提供]

彼は日本学園在学時から文章を書くことが好きで将来はシナリオライターを目指していました。日本学園卒業後は、明治大学に進学し昼間は大学で学び、夜間はシナリオ学校で学んだという努力家。当時のシナリオ学校の講師、白坂依志夫先生の研究所に入り師事し本格的にシナリオを学び始めました。そしてなんと大学在学中、九重佑三子主演「コメットさん」で脚本家としてデビューし、一躍業界で脚光を浴びます。

大学卒業後、一時脚本家を中断しましたが再度、脚本を手掛け、1970年~2000年代に刑事ドラマ、サスペンスを主として、渡 哲也主演「西部警察」、「大都会」、萩原 健一主演「傷だらけの天使」、「特捜最前線」また藤岡 弘主演「仮面ライダー」、橋爪 功主演「新、赤かぶ検事奮戦記」等の脚本を数多く手掛け近年では「暴れん坊将軍」、アニメで「キャツアイ」、「名探偵コナン」をなど多くのテレビドラマの脚本を執筆しています。
大野君が執筆した脚本の一部

日本学園在学中から才能を発揮し始め脚本家の道を目指し、大学とシナリオ学校の二足の草鞋(わらじ)を履きながら人並み以上の努力を重ねた結果、業界で欠くことのできない名脚本家としての地位を築き上げた日本学園卒業の誇るべきOBであります。

最後に大野君より後輩諸君へ「シナリオライターは年令制限のない仕事なので、日本学園からぜひ後から続く人が出て来て欲しい」との熱いメッセージをいただきました。

S38年卒   川本雅之 (新聞部OB)

2016年2月10日水曜日

日学OB俳優「斎藤工」氏、主演のドラマスペシャル
「最上の命医2016」本日「テレビ東京」で放送されます。 

朝日新聞の2月10日朝刊、テレビ欄に日学OB「斎藤工」氏主演のドラマスペシャルの紹介がされておりましたのでご紹介いたします。
「絶望は彼の手で希望に変わる。小児科医・西條命。ふたたび・・・」5年前に放送され高視聴率で話題をさらった同名の連続ドラマ「最上の命医」のスペシャル版が2月10日午後9時から「テレビ東京」のドラマスペシャルとして放送されます。主演は人気絶頂の若手日学OB俳優「斎藤工」氏(平成12年卒)。梅窓会OBの皆様ぜひご覧ください。 
 
梅窓会 広報部会 

朝日新聞の2月10日朝刊・テレビ欄の記事

テレビ東京の広告

2016年1月30日土曜日

日本学園高校新聞部OB懇親会を開催

平成27年12月15日小田急線参宮橋駅近くの新日鉄代々木倶楽部にて日本学園高校新聞部OB昭和31年卒業 田代嘉男先輩(日本学園高校第2代目生徒会長)同じく昭和31年卒業 河井春生先輩 昭和37年卒業 和田英昭先輩 昭和38年卒業 川本雅之の4名が集まりました。
日本学園高校新聞「倶進」は昭和24年4月1日に第1号が発行され、それ以降いつ頃まで発行されていたかは不明ですが長年にわたり発行されていたものと思われます。当時、新聞部部員は多方面にわたり取材に奔走したこと、新聞発行のための資金集めの広告取り、記事、ゲラ校正を飯田橋駅近くの印刷所への持ち込み等、苦労話を語り合いました。そして今後、多数の新聞部OBを結集し正式に新聞部OB会を発足することが決まり懇親会を終了しました。

昭和38年卒業 川本雅之

 
日本学園高校新聞部OB懇親会
   (新日鉄代々木倶楽部にて)
 

2015年12月3日木曜日

OB今井兼次氏設計 安曇野「碌山美術館」

12月2日の朝日新聞の夕刊の文化欄に「ここにしかない明確な姿」「一人のための美術館」として3つの美術館が紹介され、今井兼次の設計した彫刻家、荻原守衛(1879~1910)の「碌山美術館」が最初に紹介されている。

日本で一番美しい美術館はどこか?と問われれば、私は長野県安曇野市にある「碌山美術館」を即座に挙げる。黒ずみ不揃いなレンガを使ったこの美術館は周囲の自然と溶け込み実に美しく、中に入れば碌山の作品とも響きあっていることが実感として伝わってくる。

設計した今井兼次は、この美術館の設計思想を端的に表す言葉を残している。「一様につくられたレンガでは物足りない」。今井兼次(1895~1987)は、我が日本学園のOB,現在の松原校舎を設計した日本を代表する建築家。

この「一様につくられたレンガでは物足りない」の今井の言葉は、明治18年の開校以来、脈々と続く自由で個性豊かな日本学園の校風が今井兼次にも引き継がれていたことを明確に物語っている。

12月に入り安曇野は雪景色、白銀のなかに建つ「碌山美術館」はどんな姿で来場者を迎えてくれるだろうか。

 広報部会 44年卒 中村 隆

(下の画像は文字が小さいのでクリックして、拡大してお読みください。)
 
 
 
 

2015年6月5日金曜日

佐藤正和重孝氏(H3卒)彫刻展

5月3日、「佐藤正和重孝 彫刻展」へ行ってきました。場所は横浜高島屋の美術画廊。ゆったりしたスペースでしたが、多くに来訪者で賑わっていました。
佐藤さんです。

今回は子供の日にちなみ、甲虫の形をした戦兜を中心に、多くの作品が展示されていました。一部ですが、ご紹介いたします。
メイン作品の軍神エナ
様々な素材を組み合わせて制作。特に目の作りは大変凝っています。
おなじみのスカラベ。今回は夫婦で転がしています。
アルミ製のヘラクレスオオカブト
重量感のあるコガネ虫

広報部会 S37卒 宮原

2015年5月22日金曜日

ジャズピアニスト 佐山こうた氏 (H12卒) オフィシャルブログをリンク

柔道部OBで、ジャズピアニストの佐山こうた氏オフィシャルブログを日学OBリンク集にリンクしました。
佐山こうた氏 H12卒・柔道部OB
http://kotasayama.blogspot.jp/
【プロフィール】
6歳よりクラシックピアノを始め、日本学園在学中、16歳より独学でジャズピアノを学び、卒業後に渡米。2000年よりボストンのバークリー音楽院に入学し、音楽理論を正式に学ぶ。2004年より日本で活動を開始。高い音楽的リテラシーと演奏技術から、サポートするアーティストに高い信頼を置かれ、現在まで伊藤多喜雄、瀬木貴将、日野皓正、相川七瀬、はるな愛、40mPなど多くの方との演奏に参加しています。ブログでは日々の出来事や参加作品、ライブの模様等を紹介。日学OBリンク集からバナーをクリックして、ぜひご覧ください。

佐山さんは5月9日運営委員会に出席、10月に開催予定の「日本学園創立130周年記念同窓会」にて演奏披露して頂けることになりました。詳細については当ブログでお知らせいたします。お楽しみに。

渡辺えり還暦記念コンサートに出演します!
東京公演 5月31日(日)
東京キネマ倶楽部
昼公演 14:00開演
夜公演 18:00開演
他東北にて、2公演予定
後半、こうたさん演奏のピアノの音色が切なく素敵です…

梅窓会 広報部会

2015年5月5日火曜日

OBで俳優の斎藤工氏
朝日新聞の週刊誌「AERA」の表紙を飾る

今週の朝日新聞の週刊誌「AERA」20号(2015年5月4日―11号)に本校のOBで俳優の斎藤工氏が表紙を飾っています。中を開くといきなり「表紙の人」として紹介、「役者とは”風の芸術”の演者なんだと思います」と静かな口調で自らの今の仕事を語り、「監督のいかなるニーズにもこたえられるよう、準備だけは怠らないでいるつもりです。」と仕事に対して勉強熱心で実に謙虚で前向きな姿勢に好感が持てます。さらに中程のインタビュー記事(49p~52p)では「役者の仕事は「点」でしかない」と、ここでもクールに自らの役者哲学を語っております。
「AERA」は全国の書店、駅の売店、コンビニの雑誌売場(置いていないコンビニもあります)で発売中です(特別定価410円)。日本学園OB、人気絶頂「斎藤工」が見つめる役者の世界をぜひお読みください。

広報部会 44年卒 中村 隆

 

2015年5月3日日曜日

OB三笑亭夢太郎師匠の落語を聞きに行きませんか

日本学園OBであります落語家の三笑亭夢太郎師匠(昭和42年卒、落語芸術協会理事)の「夢太郎の会 第二十八夜」の落語を聞きに行きませんか。開催はこのゴールデンウイークも終わり、その疲れも取れたベストな5月12日(火)。三笑亭夢太郎師匠は誰でもわかりやすい古典落語を目指し、新宿や浅草の寄席をはじめ様々な場所で古典落語を口演しております。

●開催日は5月12日(火)、開場18時30分、開演19時。
●開場は内幸町ホール(新橋駅より徒歩5分)下に拡大地図あります。
●演目は「火焔太鼓」他一席
●木戸銭は2,500円

梅窓会 広報部会
「夢太郎の会」の案内ハガキ
 
会場である内幸町ホールの地図(クリックで拡大できます)

2015年4月19日日曜日

OB・佐藤正和重孝氏 横浜高島屋にて彫刻展開催

甲虫をモチーフに独特の作品世界を創造する彫刻家・佐藤正和重孝氏(H3卒)。
5年ぶりに横浜高島屋にて個展が開催されます。
メイン作品「軍神エナと無敗の赤備え」
自然溢れる山梨のアトリエで制作しています

迫力のミヤマクワガタ(2014年1月渋谷東急の個展にて)

~古代甲虫文明と変わり兜~ 佐藤正和重孝彫刻展

・2015年4月29日(水)~5月5日(火)
・高島屋横浜店7F美術画廊
http://www.takashimaya.co.jp/yokohama/event3/index.html

こどもの日にちなんで、兜を中心とした展示です。深みの増したスカラベの作品も充実しています。皆さまどうぞご来場ください。

梅窓会 広報部会 

2015年4月2日木曜日

「いま一番セクシーな俳優」は日本学園OBの斎藤工氏

4月2日付けの朝日新聞夕刊の新企画「一語一会」欄に日本学園OBの俳優、斎藤工(さいとうたくみ、1981年生まれ)氏が「いま一番セクシーな俳優と呼ばれる」と、こんな衝撃的な表現で紹介されています。そして記事の中でこんなエピソードが書かれていますので紹介しましょう。「高校時代、俳優になる足がかりにしようとモデル事務所に所属したが、下積み生活は思いのほか長かった。大学に進み就職していく友人たちと、新聞配達などのアルバイトをしながら夢を追う自分を比べ、やり切れない気持ちになることも度々あった。」今は華やかな芸能界で売れっ子の斎藤工氏ですが、当初は苦悩に満ちた下積み生活を送っていたことがわかります。日本学園在学中から自分の進む道をしっかりと決め、卒業後に味わった苦労や焦燥感にもめげない強い意志があったからこそ今の彼があるのだと思います。TVCMにも出始め引っ張りだこの斎藤氏、4月9日からフジテレビ系で毎週木曜夜10時からのドラマ「医師たちの恋愛事情」で外科医役で出演、今年も更なる活躍が期待されます。

 広報部会 44年卒 中村 隆

 
 
4月2日付の朝日新聞夕刊「一語一会」欄に掲載のOB斎藤工氏
(クリックすると画像は拡大されます)
 

2015年2月8日日曜日

先輩達の卒業アルバム

中学の入試も終わり、高校入試も一般入試を残すのみとなりこれが終了すれば、あとは3月7日の卒業式を待つばかりとなりました。
さて、ここに一冊の戦前のアルバムがあります。東京商科大学(現在の一橋大学)の卒業記念アルバムです。なんと310ページに及ぶ大変豪華な内容のアルバムです。背文字は「東京商科大学卒業記念帖」とあり、表紙は校章である白蛇(商業の神と言われている)が描かれております。昭和16年(1941年)12月の発行となっています。
中をおもむろにめくってみますと、沢山の卒業生の顔写真が掲載されておりますが、そのなかに日本中学校を卒業した我々の大先輩のお二人が出ております。お名前を紹介しますと河村友三先輩と都竹憲太郎先輩です。河村先輩は三菱銀行、都竹先輩は三菱鉱業に就職先の会社名が記されております。なお都竹先輩のクラブは体育系で柔道部なのです。
両先輩は日本学園が新宿淀橋から世田谷松原の現在の地に移ったのが昭和11年(1936年)10月ですので計算してみますと、この松原校舎での最初の卒業生だと思われます。
なお英米に宣戦布告し太平洋戦争が始まったのはこのアルバムのできた月、12月8日であります。卒業式といえば通常は3月ですが、この当時政府より発せられたのが兵員不足を補う為に実施された《学徒出陣令》で、これによって卒業が3ヶ月早まり12月卒業になり、直ぐに徴兵検査の後、2月に軍隊に入隊する事と新たに定められます。卒業にあたりお二人の言葉が添えられていますので下にご紹介しましょう。日本を代表する大企業に就職先も決まり戦争のことなど何も感じさせない文章ですが、我々には想像を超える心境で書かれたのではないでしょうか。

河村友三先輩
長い様だった学生生活もあわただしく終わるというようなことになり、今迄何をして来たことか。一体何が得られたかを考へ、今後一層勉強しようと思っています。

都竹憲太郎先輩
学生という特権の陰に色々の事を行って来たが、いよいよ赤裸な社会生活の入ることになった。進む為には退かねばならぬという、残された二カ月を更に深く一橋生活に沈潜させようと思う。人生はこれからだ。

 

広報部会 44年卒 中村 隆
 
 
下の写真は左クリックすると拡大されます。
 
当時の東京商科大学(現在の一橋大学)の卒業記念アルバム



河村友三先輩(上)と都竹憲太郎先輩(下)。出身校の日本中の文字。

 
柔道部の都竹先輩(左から二人目)
 
河村先輩の卒業の言葉
 
都竹先輩の卒業の言葉
 
 
 
 

2015年1月17日土曜日

実はもう一人、日本中学校関係者が
東宮御学問所の御用掛として活躍されていました。

●1月3日に紹介した「講談社の絵本 明治・大正 偉人絵話」で杉浦重剛先生が東宮御学問所において皇太子裕仁親王(昭和天皇)に倫理を御進講している絵を交えて紹介しましたが、実はもう一人日本学園関係者が東宮御学問所で教師をされていたのです。その名はフランス語に堪能な佐分利貞夫氏。

●大正3年皇太子裕仁親王(昭和天皇)の帝王学の教育のために創設された東宮御学問所について詳しく書かれている「天皇の学校」(大竹秀一著 筑摩書房発行)によりますと、「土屋に続いて大正7年5月二番手として登場した佐分利貞夫は・・・・(途中略)・・・・子供のころ東京に移って、杉浦重剛が校長をしていた日本中学に学び、一校、東大仏法に進んでいる。」とあります。佐分利貞夫のフランス語について裕仁親王の学友の一人は「発音の非常にきれいな先生だった」と述懐しています。

●日本中学関係者の一人は校祖杉浦重剛先生で「倫理」を担当、そしてもう一人は教え子の日本中学卒業生の佐分利貞夫氏は「フランス語」を東宮御学問所御用掛として講義されていたということになります。


佐分利貞男1879‐1929(明治12‐昭和4)
明治・大正・昭和期の外交官。旧制日本中学校卒業(現日本学園)。1905年東京帝国大学法律学科を卒業。同年外交官試験に1番で合格。吉田茂(同様に日本中学校)とは一期上の外務官僚。大正7年から東宮御学問所御用掛、通商局長,条約局長を歴任。1921年大使館参事官となり、ワシントン会議全権随員となる。1929年(昭和4年)外相幣原喜重郎の抜擢で中国公使。同年帰国、宿泊先の箱根「富士屋ホテル」で謎の死をとげた。なお名前の「貞男」は「貞夫」との表記もありマチマチである。梅窓会のOB名簿管理者の調査によると「貞男」となっているとのレポート。

 画像を左クリックすると拡大画像でご覧いただけます。

広報部会 44年卒 中村 隆 

佐分利貞男氏

 
   日本中学校に学んだ佐分利氏のことが書かれているページ

 
 
「天皇の学校」(大竹秀一著 筑摩書房発行)