2011年12月31日土曜日

それでは良いお年を...

これにて本年の更新を終了致します。
この1年梅窓会ブログをお読みいただき、ありがとうございました。
本年も梅窓会活動の一環として活発な発信をしてきました。
来年も梅窓会会員の情報発信の場として更に充実させていく
予定ですので、梅窓会ブログをどうかよろしくお願い致します。

梅窓会 広報部会 一同


2011年12月30日金曜日

「漢の花園」Vol.19師走

2011年も残すところあと僅か。みなさまいかがお過ごしでしょうか。今年は忘れることができない痛ましい自然災害があり、その影響は今もなお日本の社会に、大きな課題を与えております。OB諸兄の中にも被災地で生活されている方や転居を余儀なくされた方も数多くいらっしゃるとのこと。みなさまにとって新しい年が希望への扉となりますことを心から願ってやみません。紅葉も終わりを告げ、透明な冬の光が射し込む日本学園の森では、この季節ならではの花や実が色付き始めました。冬来たりなば春遠からじ。2012年がどうか素晴らしい一年でありますように・・・

ハマヒサカキ(浜姫榊:ツバキ科)  

日本学園には“こんな所にこんな花が・・・”と驚くことが数多ございます。このハマヒサカキもそのひとつ。学園北側角の「日本学園・創立1885年」の看板を支えるように繁る常緑樹の葉陰に見えた玉のような白い隊列・・・それがハマヒサカキの花でありました。その名の通り神事でお馴染みの榊の一種ですが、ハマ(浜)がプラスされているのは塩分や乾燥に強いからだそうです。「漢の花園」も冬季はネタ不足で困るだろう・・・と昨年も言われましたが、どっこい、このような可愛い隠し玉もあるのであります。

ベゴニア・センパフローレンス(四季咲きベゴニア:シュウカイドウ科)  

花壇やプランターに植えて楽しむ一年草としてお馴染みの花です。亜熱帯産のベゴニアは原種だけで約2000種類もあるそうです。なにしろ、この一種だけで「箱根ベゴニア園」が成立するのですから恐るべし・・・。ベゴニアといえば酷暑に弱い植物として有名ですが、その中でセンパフローレンスは日本の夏を乗り越える耐暑性を備えた品種とのこと。同じプランターで白い花も咲いていました。彼等にとって12月は花も店じまいの季節。半年間、一号館石柱の足元を彩ってくれたベゴニアたち、おつかれさまでした。

ビオラ(三色菫:スミレ科)  

ビオラはパンジーの中で花径約4cm以下の品種を指すそうです。寒さに負けず花壇やプランターを鮮やかに彩る冬の主役と言えるでしょう。このビオラ、正門へ続くフェンス沿いに黄色、紫、白など、多彩なカラーで道行く方の目を楽しませております。その株は学園スタッフが冬到来に合わせ、一つひとつ植え込んだもの。花の少ない冬季も花咲く学園でありたい、と願う学園スタッフの真心が寒風の中から伝わって参ります。しかもプランターにではなく地下植えです(涙)・・・。こんなフェミニンな男子校、他にあるかっ!

ヤツデの花(八つ手:ウコギ科)  

昨年はヤツデの生殖メカニズムを紹介しましたが、今年は名称について調べました。名は「八つ手」ですが実際の葉は7~9枚に切れ込んでいます。8枚を選んだのは末広がりで縁起の良い数字だからとのこと。いかにも日本原産種に相応しい命名です。さらに大きな手で招く、あるいは追い払うような葉姿に「千客万来」や「魔除け」の願いを込めて、玄関や門の脇に植えることもあるそうです。1/20から中学校の願書受付がスタートします。大勢の挑戦者を迎えられますように・・・八つ手にも願をかけておきました。

広報部会 S56卒 永澤

2011年12月28日水曜日

小村寿太郎候没後100周年記念式典。

「小村寿太郎候没後100周年記念式典」が故郷宮崎でおこなわれました。

校祖・杉浦重剛先生の親友で、日本学園の功労者でもある小村寿太郎侯。今年は小村候没後100周年であり、故郷の宮崎県日南市では市を挙げての記念式典が開かれ、その模様が地元のインターネットテレビ局にて配信されました。

『小村寿太郎候没後100周年記念式典(宮崎県日南市)』
http://youtu.be/051nLToLSDQ クリックしてご覧ください。
<制作-日南テレビ>

明治初期、膳所、飫肥藩から貢進生に選ばれ全国の俊英が集まった大学南校(東京大学の前身)で知己を得たお二人。その後「管鮑の交わり」にも例えられたほどの固い友情を結び、ともに清貧と至誠に貫かれた生涯を送りました。

          
                 杉浦重剛校祖                       小村寿太郎侯
                    1855-1924                          1855-1911


小村寿太郎が外交官となるきっかけをつくった校祖
杉浦校祖は、小村に対し常に敬愛の念を持って接し、借財に困っていた際は、友人とともに支援しました。また、当時司法省の役人であった小村を外務省へと導いたのも、他ならぬ杉浦校祖でありました。その敬愛の念は親しくしていた外務省高官から、法律と英語に通じた有能な人材紹介の依頼を受け、即座に小村を推挙したことからも明らかです。その時、杉浦校祖は「引き抜きにあたっては、決して外務省へきてくれたら厚遇で報いるなどといってはダメです。彼は欲得では釣れない人物ですから」と言ったと伝えられています。この推挙により小村は、司法省時代から外務省、そして外交官となり、秘めた実力を開花していきます。その後、法律、語学に加え卓越した調査、交渉力と剛胆、緻密さを兼ね備えた外務大臣、全権としてらつ腕を振いました。

「人は好きな道、得意な道で成長すれば良い」 現代の日本学園の教えにも受け継がれているこのお言葉を顧みて、改めて人材の資質を見抜く杉浦校祖の眼力に感嘆します。もし、このお二人の出会いがなければ、明治の日本はまた違った歴史を刻んでいたかもしれません。

小村寿太郎の功績
日英同盟締結、日露戦争のポーツマス講和条約締結、そして欧米列強との不平等を撤廃した関税自主権回復にも尽力。近代日本外交史に大きな足跡を残しました。また長男の欣一は、母校日本中学を卒業し、父と同じ外交官の道を選びました。


広報部会 S56卒 安齋

我流展景-日校Photoスケッチ(12月-2)

短日A:寒風に雲走る・・・

短日B:日だまりの名残をその温もりに・・・


短日C:世界制覇への合言葉・・・

短日D:たまには私も写りたい・・・

広報部会 S56卒 永澤

2011年12月27日火曜日

♪吹奏楽部クリスマスコンサート2011レポート♪

12/24(土)13:00より、3号館講堂で毎年恒例の
日本学園・吹奏楽部「クリスマスコンサート」が開催されました!



日本学園・芸術系クラブの一翼を担う吹奏楽部は顧問の土居先生(音楽科)の情熱的な指導の下、2011年も数多くの高齢者施設・幼稚園・小学校等を訪問。約2000名を越える方へハイクオリティかつ楽しい演出を効かせた演奏を披露してきました。


今年も登場した日学サンタさん、さて誰でしょう? 


サンタさんも顔負けの進行に会場も盛り上がります! 


迫力あるサウンド!日頃の練習の成果が光ります。 

父兄・OBを中心に大勢のお客様をお迎えし、聖夜に相応しい演奏を繰り広げた「クリスマスコンサート」。生徒とサンタさんのユーモラスな掛け合いによる楽曲紹介も日本学園ならでは。ラストはお客様といっしょに「きよしこの夜」を歌い、クリスマスらしいひとときをお楽しみいただきました。

<♪当日のProgram♪>
*あわてんぼうのサンタクロース
*上を向いて歩こう
*おひさま・メインテーマ
*アフリカン・シンフォニー
*White Christmas
*ユーロビート・ディズニーメドレー
*マルマルモリモリ・マルモのおきて
*きよしこの夜

【♪予告♪】日本学園・吹奏楽部2012定期講演会
*日時:2012年3月26日(月)18:00開演
*会場:エコルマホール(小田急線・狛江駅前・エコルマビル4F)
*入場無料

東日本大震災の影響で中止となった2011年の定期講演会。そして来年3月、2年ぶりとなる吹奏楽部の晴れ舞台が復活します!名だたる中・高吹奏楽部の中でも屈指の実力を誇る日本学園吹奏楽部。聴衆の心を熱く揺さぶる、繊細にして迫力ある演奏の数々!これが名門・日本学園のアートフォースだ!みなさまお誘い合わせの上、ご来場ください!

梅窓会 広報部会

2011年12月26日月曜日

倶進Vol.24

「私の山歩き」13
~12月の高尾山~

S28年卒 米田利民

12月24日、今年最後の高尾山登山。吊橋のある4号路から山頂へ。
山頂直下のトイレの建て直し工事中のため4号路は一部閉鎖されている。
奥高尾の紅葉台を経て、「シモバシラ」を見て一丁平へ、昼食後引き返し、
5号路から稲荷山コースに入り、水の道・6号路との分岐の所で
反対側の大垂峠への小道(現在不通)でキジョランの種子を探したが、
いいものは見つからなかった。6号路を通り午後3時頃下山。

今年のシモバシラ(一丁平の北側斜面の下の小道で)

キジョラン(その葉はアサギマダラが幼虫の時の餌、
種の白い毛が鬼女の髪の毛の様なので、その名がついた(3年前の写真)

高尾山山頂からは晴れていて西に雲がなければ、
冬至の日を中心に「ダイヤモンド富士」が見られるため、
山頂は4時過ぎには大勢の人で埋まります。
このほか、「シモバシラ」を見るのも冬の高尾山の楽しみです。
シモバシラはシソ科の植物で秋に白い花を咲かせます。
冬、枯れた茎をつたって根から水分があがり、
凍って茎を破り白いシモバシラが出来ます。

夕方(午後4時10分頃)の「ダイヤモンド富士」撮影のため
場所取りをするカメラマン達(午前10時過ぎ)

3年前に撮った「ダイヤモンド富士」 

山頂直下のトイレ建設現場(立派なものが出来そう、初詣には間に合いそうにない)

2011年12月24日土曜日

2011年12月22日木曜日

OB・受験生必見!「読売受験サポート」が一号館を取材!

読売新聞社の中学受験総合サイト「読売受験サポート」の”我が校をアピール・トピックス”に有形文化財・日本学園一号館が紹介されています。同記事は読売受験サポート取材班が学園を訪問して実現したもの。

読売受験サポート」はこちら

谷川校長、広報室・谷口先生のコメントを掲載。設計者・今井兼次博士や淀橋校地から移植された樹齢80年のクスノキ、卒業生寄贈の外灯についても触れています。OBはもちろん日本学園を目指す受験生・保護者のみなさまも、ぜひご覧ください!

迫力ある美貌を放つ夜の一号館


梅窓会 広報部会

2011年12月20日火曜日

倶進Vol.23

私の愛した国境の町San Antonio

S38卒 志村稔

私は昭和38年3月に日本学園高等学校を卒業後、某大学に入学したのですが直ぐに中退し、思いあってヴェネズエラ共和国へと飛立ちました。卒業生の方も日本人の方もあまり体験されたことがないと思いますので、私の南米ヴェネズエラ共和国国境の町サン・アントニアオでの生活等体験したことをブログに投稿してみました。

昭和38年10月15日、肌寒くなり始めた羽田空港を当時流行った舟木一夫の「高校三年生」の曲をバックに聞きながらタラップに乗り、一人日本を飛立ちました。当時南米へと行く日本人は殆どいませんでした。私が強く南米へ行こうと思い立ったのは、私の父が戦時中、南米ペルー国で仕事をしていました。そして日本に帰国後の終戦前、昭和20年2月に亡くなりました。昭和19年9月生まれの私は父の顔を覚えておりません。母や親戚の方々からは、アメリカで仕事をしていて亡くなったと聞かされていました。その後、時が経つにつれ真相がわかり、父が仕事をしていた南米の地とはどんな所かが知りたくて日に日にその思いが強くなり、大学を中退してまで母一人、日本に残して南米に飛び立つことは心残りがして散々悩みましたが、最後には母が「あなたの人生だから好きにしなさい」とひと押ししてくれ、やっと南米の地ヴェネズエラ共和国へと旅立つ決心がつきました。ヴェネズエラ共和国には昭和38年から昭和62年まで24年間在住し、昭和62年に家族4人で帰国しました。

当時(昭和38年)は羽田空港からサンフランシスコ経由でヴェネズエラ共和国マラカイボ空港の22時間かけて到着し、そこから更に車で10時間かけコロンビア共和国の国境の町ククタ市とヴェネズエラ共和国の国境の町タチラ州サン・アントニオの町へとようやく到着した。そしてこの町で生活することになった。

国境の町・サン・アントニオ地図

仕事は南米と主に貿易していた南里貿易(日本)に入社し、たまたま取引先が私の叔父の店(サン・アントニオの町)とあり、日本の駐在員としてサン・アントニオの町に勤務することになった。南米の地での勤務は希望がかなったが、現地での仕事は貿易とは名ばかりで、朝4時半から夜7時までの荷役運搬が主で過酷な肉体労働そのものでした。それに加え、ヴェネズエラ共和国に着いてからの数年間は食生活、生活習慣の違い、言語(スペイン語)の不慣れによる会話不足等のストレス、仕事では古い日本式の徒弟制度の導入があり、あらゆる部分で日本と異なり、私を悩ませ、当初79Kgあった体重が3カ月で21Kg減り、51kgと痩せてしまいました。「なんで俺はここにいるんだろう?」と自問自答する日々でした。一時は帰国することも考えましたが、男が一度決めたことを破るわけにはいかないと自分を奮い立たせ、何とか乗り越えることができました。このように辛いことが多くありましたが、その度に遠い故郷の空を眺め、母のこと、日本で過ごした高校時代のことを思い出しながら、日本学園校歌「日校健児」を唄い涙したものです。


日本学園正門にて(写真左から事務員の剣持さん、川本君、私) 昭和38年

当時のヴェネズエラ共和国では、石油景気で富裕層はこの景気に沸いていたが、実際の一般国民においてはドル不足等により、南米各国共通で貧困であった。それ故、南米各地で人気のあった日本製品の密輸が頻繁にあり、国境の川を子供達が運び屋として使われていたり、アンデス山脈を越えて密輸品が各地で横行し、国自体はかなり荒廃していた。

ヴェネズエラの国境の橋。右上がコロンビア。橋の真中に国境があります。

私が踏み入れたヴェネズエラ共和国の当初は辛いことばかりでしたが、歯を食いしばり頑張ったせいか、時が経つにつれ仕事にも慣れ、言語も上手になり、会話もスムーズにこなせるようになった。現地の友人も多く出来、若い頃は恋人もでき、ダンスパーティーなど多く出席したものです。とりわけ友人達の中で印象に残っているのは、今でも親友であるストリートチルドレンから銀行頭取、流通外食レストランのオーナーであるエドワール氏、そして私がヴェネズエラ共和国で商売の“師”と仰ぐ首都カラカスをはじめ、ヴェネズエラ国全土に販売ルートを持ち、大きな店をいくつも経営するハイメー・メイジャル氏。両氏とは現在も親交があります。その他の財界人、現地の友人達と多く知り得たことは、私がヴェネズエラ共和国で得た貴重な財産です。南米の地に来て辛いことも多々ありましたが、今になっては私の人生においてサン・アントニオの町は一生の思い出の町であり、愛する町であります。

サン・アントニオ空港

サン・アントニオ税関

また奇遇にもヴェネズエラ共和国で日本学園高等学校・昭和33年卒業の三宅田先輩と偶然知り合い、日本のこと、母校のことなど、話に花を咲かせたものです。三宅先輩とは帰国後も時々お会いしています。


ペレ氏とのショット 2002年6月20日

写真は2002年日本で開催されたワールドカップで来日したサッカーの王様と称されるブラジル国のペレ氏とペレ氏の友人であり、私の師であるハイメー・メイジャル氏らと撮った時の記念写真です。(写真左から私、ペレ氏、ハイメー・メイジャル氏、ハヤカワ先輩)。現在、私は在日ヴェネズエラ共和国協会々員、ヴェネズエラ共和国親睦会幹事をしております。


*みなさまの思い出・近況等を「俱進」にお寄せ下さい!「倶進」は日本学園在学中の思い出、学園にまつわるエピソード、現在の活躍・近況、進学先・就職先での出来事、旅行・レクレーション報告などをノージャンルで発信するOBによるOBのためのブログ新聞です!梅窓会正会員であれば、どなたの投稿でも広報部会にて内容確認の上で掲載いたします。みなさまの情報をお待ちしています!

*本文原則1,500文字以内(タイトル必須)・できるだけ写真を同封してください。
*原稿は手書き・ワープロ等、なんでもOK!
*お送りいただいた原稿・写真はブログ掲載後、著者に郵送等で返却いたします。

【宛先】 〒156-0043
東京都世田谷区松原2-7-34 日本学園気付 梅窓会 広報部会

★電子メールでも投稿OK。詳しくは梅窓会ブログ・トップページ
 「原稿投稿の仕方」をご参照ください。

梅窓会 広報部会

2011年12月19日月曜日

昭和43年卒同期会「四三会」(第二回) 開催報告

S43年卒 矢澤修

第一回大会で、同期会を二年ごとと決め、今回は震災で予定より4カ月延期されましたが、10月15日(土)新宿プリンスホテル地下一階レストラン「トリアノン」で昭和43年卒業の名称「四三会」第二回同期会を開催致しました。招待のお客様は谷川平夫校長、梅窓会宮原洋一副会長、鈴木昭二先生、村松健次先生、藤森喜代一先生の5名、同期生18名総勢23名と2年前の第一回大会よりは、ひとまわり規模が小さくなってしまいましたが、この時期を乗り越えなければ、長期の同期会の継続はできないと考えております。

顧みますと、2年前、私どもが還暦の佳節を迎えた年に同期会を立ち上げる時に、ほんとうに迷い、躊躇し、そしてかなりの期間を保留しましたが最後に私の信条のひとつであります『やった後悔よりも、やらなかった後悔の方がいつも必ず大きいはずだ。』という信条のもと開催致しました。私は同期生が喜んでくれるのならば、という考えで始めた同期会開催は、キャッチボールの法則通り自分自身にど真ん中のストライクでもどってきたという感じです。

今回の同期会で、高校時代3年間同じ学校に通っていながら、顔も知らなければ、もちろん話をした事も一度もない同期生とかなり親しくなれたことはとても嬉しいのですが、又何か奇怪な感じであります。さらに嬉しいことに、あの東日本大震災の被災県、宮城県仙台市からかけつけてくれた同期生、柳憲雄君にはとても感激いたしました。同期会は、現千葉県浦安市の市長、松崎秀樹君の力強い開会の挨拶から始まり、なつかしさでどのテーブルでも笑顔がこぼれおちるほどあふれ、そして一人一人の胸につけた名札を確認してから話しかける人もいました。なごやかな雰囲気のなかで、校歌斉唱の時には、だれということなく全員で肩を組んで歌い、ラグビー部だった沢木要人君の手慣れた三三七拍子、万歳三唱の音頭でお開きとなりました。

2年後の第3回同期会の再会を約束しようとしましたが、二次会ではさらに盛り上がり、『幹事は大変だけれど、毎年でも開催してほしいヨ』とも言われてしまいました。母校は4年後の2015年には開校130年の周年行事を迎える伝統校であります。今や人生100年の時代ですので、まだまだこれからも健康第一に元気に、はりきってやっていきたいと思います。 敬白


平成二十三年十二月十日記   矢澤修

2011年12月17日土曜日

倶進Vol.22

「私の山歩き」12
~狭山丘陵を歩く~

S28卒 米田利民

11月7日(月)、狭山丘陵を歩いて来ました。
西武線小手指(コテサシ)駅よりバスに乗り「さいたま緑の森博物館」へ。
(博物館といっても立派な建物があるわけではない。緑地全体が博物館)

展望台地から秩父方面をのぞむ

樹木のクイズがいろいろ書いてある。
展望台地から見た「ススキの向こうに秩父の山々」
国蝶「オオムラサキ」の幼虫の食樹は?→エノキ
昔すりつぶして川に流し魚を取ったのは?→エゴノキ
(サポニンの一種の毒が含まれる)
「緑の森博物館」の西端のベンチのある所で昼食をとり
六道山公園まで歩き、立派な展望塔より四方を眺める。
文化の森・六道山公園の展望塔(階段70段を登る)
空気が澄んでいれば、富士山が見える所。

文化の森・六道山公園の展望塔 

珍しい六地蔵塔がある。横に地蔵様が六体並んでいるのが普通だが、
これには北・東・南面に二体づつの地蔵様が彫られてあり、
西面に「明治30年に赤痢がはやり、近くの四村で51人が亡くなった。
供養のため浄財を募り造立した」と刻んである。

六地蔵塔1
六地蔵塔2

武蔵村山市の村山温泉「かたくりの湯」でコミュニティバスに乗り、
玉川上水駅まで。気持ちのよい秋の里山歩きでした。

2011年12月16日金曜日

「漢の花園」ANNEX(秋の紅葉編-参)

いや~12/10(土)の「受験個別相談会」はすごかったナ!
続々と来校される受験生と保護者の流れが止まりません・・・
急上昇する母校の人気には、紅葉撮影中の僕もうれしいやらびっくりするやら!
一号館やキャンパスの風景を撮影されているご両親もいらっしゃいましたぞ!
情報化社会とはいえ、やはり訪れてはっきり分かるのが日本学園の素晴らしさ!
文武両道の旗の下、優れた教師陣が生徒の実力を着実に伸ばす我が母校。
都内屈指の美しさを誇るキャンパスがキミたちを待っているぞ!がんばれ受験生!

黄金の煌めきをほしいままに・・・

曲面の造形美を彩る真紅の天蓋・・・ 

森の草木が描く晩秋のグラデーション・・・ 

山茶花と紅葉の競演が冬到来を告げる・・・ 

広報部会 S56卒 永澤

2011年12月14日水曜日

新年1月8日・バスケ部の熱き戦いが始まる!

平成23年度「バスケットボール新人戦本大会」兼
「関東新人大会都予選」組合せ決定!


先週から学園で始まった「熱きめぐみ教室」。
各業界を代表する我々OBと生徒たちの知のバトルが始まっている!
そしてコートでも「熱きめぐみ」ならぬ「熱き戦い」がいよいよスタートするぜ!
「新人戦本大会兼関東新人大会都予選」がそれだっ!

★組合せ表はこれだ!
http://tokyo.jabba-net.com/hs/men/2011/11hontai/11hontai.pdf

まずは上記のアドレスをクリックしてほしい。組合せ表で分かる通り日学軍はDブロック。 高校バスケ界に明るい方なら一発でお分かりの通り、その戦場は群雄割拠する 恐るべき領域となってしまった・・・異国の助っ人を加え常勝軍団の名に磨きをかける武蔵野シルクロードの守護神・八王子高校、善の心を保ちながら勝負には微塵の甘さも見せない高田馬場の兵法者・保善高校、さらに日光街道でニラミをきかす千住宿場の暴れん坊・足立学園などなど・・・ ベスト8入りの常連軍団が長槍をシゴキつつ、松原を駆ける猛虎・我らが日学軍を待ち受けているのだ!

★前年度の対戦結果はこれだ!
http://tokyo.jabba-net.com/hs/men/2010/10hontai/10hontaijyuniRes.pdf

つぎに上記のアドレスをクリックしてほしい。 前年度の対戦結果(日学軍ベスト8)を見れば各軍の強さが 一目瞭然に分かるはずだ。この厳しい戦いを勝ち抜くために、我らが日学軍は夜に日を継ぐがごときハードなスケジュールを組み、1日2試合以上の練習試合をこなしているぜ!

★練習試合スケジュール
12/11(日)学習院高等科体育館
12/18(日)日本学園体育館
12/28(水)~30(金)学習院高等科体育館

選手たちのパワーを倍増させるもの、それは 日学ファンの熱い声援だ!
強豪に怯むことなく挑む日学バスケ部に熱いエールを贈ろう!
そして2012年1月8日スタートの本大会を一致団結して勝ち上がって行こうぜ!


総務部会 S34卒 髙橋(バスケ部OB会)

2011年12月13日火曜日

我流展景-日校Photoスケッチ(12月-1)

初霜と球児Ⅰ:定期試験終了。フィールドに球児たちの歓声が帰ってきた。

初霜と球児Ⅱ:錦秋の光の中で・・・お尻を向けて失礼しまっす!

初霜と球児Ⅲ:ヒルネじゃないっす!鍛錬っす!

初霜と球児Ⅳ:落葉掃きも率先垂範!風邪ひくなよ~


広報部会 S56卒 永澤

2011年12月12日月曜日

12月度 運営委員会報告

12月10日(土)14:00~木造棟会議室にて12月度運営委員会が開催されました。 
冬晴れの一日となった当日、日本学園では「中学入試個別相談会」が行われ、 昨年をさらに上回る受験生・保護者が続々と来校。高まる母校の人気に運営委員 一同も目を見張る思いがいたしました。受験生のみなさん、OBもキミたちの入学を楽しみにしています!

12月度 運営委員会TOPIX

■各部会報告(総務・広報・組織・会計・企画)

■11/30「定例評議委員会」報告
安藤・君塚評議委員より11/30に開催された
 「定例評議委員会」の報告がありました。

■「熱きめぐみ教室」OB講師決まる
日本学園独自の教育プログラム「創発学」の一環である OBによるキャリア・エデュケーション「熱きめぐみ教室」の本年度講師が決定しました。 講師陣には元JR 東日本・東京地域本社社長・榎本龍幸氏(S32卒)他、 各業界を代表するOBが来校。12/10~14にかけて中学生へ講義を展開します。

★日本学園「創発学」プログラムの詳細はこちら!
http://www.nihongakuen.ed.jp/cumpus/souhatugaku.html

■2012年卒業生向け記念品の検討
運営委員各位がサンプルを持ち寄り、記念品の検討を行いました。
記念品は1月度運営委員会会でさらに絞り込みを行い決定します。

■日学祭「梅窓会賞」トロフィー新調の検討

■小川理事より理事報告

運営委員会閉会後、明大前「はなの舞」にて恒例の 「梅窓会・大忘年会」を開催!総務部会/髙橋氏・清水理事・総務部会/矢澤氏を幹事に 会は大いに盛り上がり、活性化する同窓会活動を実感するひとときとなりました。 幹事のみなさま、おつかれさまでした!

錦秋の森を相談会へ向かう受験生と保護者。 
その列は途切れることなく続く。

梅窓会 広報部会

2011年12月8日木曜日

スペシャルサイト「我ら日校健児」第6回<前編>配信!

激動の時代を乗り越えてきた日本学園OBの自伝・インタビューを掲載するスペシャルサイト「我ら日校健児」第6回<前編>を配信いたします。物語は予備門・早大学院から、いよいよ最高学府、早稲田大学・応用化学科へ。前編では学部進学のタイミングが、旧教育制度から新教育制度へ移行する真っただ中に当ってしまった堤氏の苦労と努力の日々を描きます。若き堤氏が学ぶ早稲田の杜。その舞台には、日本学園一号館をデザインされた巨匠・今井兼次博士の設計による図書館、演劇博物館も登場。青春の一頁を格調高くアカデミックに彩ります。堤氏は今回も、往時を在りのままに伝えたい、という願いを込めて原文へ大幅な加筆・推敲を行ってくださいました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。時代を先駆ける化学者への一歩を踏み出した堤氏。早稲田大学を目指す在校生諸君は必読ですよ! 

日本中学校歌「大富士仰げる」を熱唱!懇親会2011にて左2番目

梅窓会 広報部会


「大学学部~応用化学科~へ進学」

堤健二(昭和19年 日本中学校卒)

前回第五集では、敗戦で荒廃した、そしてGHQによる占領政策下にある東京に出ては、早大高等学院入学前後の東京の状況、入学の経緯、東京と岡谷を繋ぎながらの勉学の状況、ドイツ語等語学取り組みの苦労など、勉学に交友に明け暮れた学院生活やがてそれが生涯の最大の宝とも云える生涯の交友関係にと繋がったことなどお話ししました。そして学部進学の経緯状況などお話ししました。今回はいよい最高学府学部に於ける就学から社会へと進んだ経緯をお話しいたします。新制移行の圧力を乗り越え社会に出ては先端の技術者・学究者たれとの教授・助教授等先生方の期待に添える技術者としての自己鍛錬の刻でもあったわけです。教授陣の意気に応えるべく日々の努力、一方写真部での活動、校友との大島始め数々の旅行関西九州工場見学会、いよいよ卒論は大坪加藤研究室、最後に亡くなられた友人達の思いで、そしていよいよ社会への第一歩とお話しは続きます。                                 
スペシャルサイト「我ら日校健児」はこちら!

2011年12月6日火曜日

「漢の花園」ANNEX(秋の紅葉編-弐)

このところ冷え込んだ日が続きましたネ。ならば煮え切らない母校の落葉樹たちも、寒中修行により見事に染まっているはず・・・と期待を胸に駆けつけた松原2-7-34。おお!さすが鍛錬の成果が表れておるではないか!という訳で「秋の紅葉編-弐」では、銀杏・桜・蔦が描く晩秋の学園風景「新・ポップアップ機能付」でお贈りいたします!マウスオーバー☝でクリックしてご覧ください!

校祖像の威厳も際立つ銀杏の黄葉

木造棟へ黄金の波頭のごとく・・・

琥珀色に揺れる桜葉のモビールと一号館の塔

二号館の壁面を染める真紅のアイビー

広報部会 S56卒 永澤

2011年12月5日月曜日

12月度 運営委員会 開催のお知らせ

平成23年度12月度運営委員会を下記の通り開催いたします。
運営委員・オブザーバー各位のご参集をお願いたします。

■日時:12月10日(土)14:00~17:00
■場所:木造棟会議室(日本学園構内)

■報告・審議事項
*各部会の活動報告(総務・広報・組織・会計・企画)
*11/30定例評議員会報告
*2011「熱きめぐみ教室」OB講師が決定
*H24年3月卒業生向け記念品の検討
*理事報告他

★運営委員以外の方も参加できます!

★既報の通り運営委員会終了後、
恒例の「梅窓会・大忘年会」を開催いたします。



晩秋の空に映える木造棟裏の渋柿


梅窓会 広報部会

2011年12月3日土曜日

倶進Vol.21

「私の山歩き」11
~八ヶ岳南麓~

S28卒 米田利民

10月25日、小淵沢の「道の駅」(自宅よりマイカーで2時間)でお仲間と落ち合い、
八ヶ岳の南麓を歩いて来ました。総勢9名。車3台。

三味線滝 
富士見平というところでうっすらの富士山を眺め、その先の観音平という
ところから、 八ヶ岳横断歩道というのを「三味線滝」(標高1550m)まで歩き、
途中のカラマツ林、紅葉を楽しみました。

八ヶ岳横断歩道のカラマツ林 

紅葉も美しい 
距離は2.2km。時間にして片道45分。道は下ったり、登ったり。 
落ち葉の道あり、岩の道あり木の階段ありでした。

岩の道
木を使った階段 
最後に観音平のそばにある「ヒカリゴケ」がある岩の穴を覗きましたが、 
湿気が不足していたのか「光っていませんでした」。