2012年1月30日月曜日

「漢の花園」Vol.20陸月・来たれ受験生!

いよいよ2/1(水)から日本学園中学校の入試が始まります。先週、ある進学塾のHPを見て驚いたのが都内に私立中学校は数あれど、男子校は今や希少な存在であり、その多くが日本学園を筆頭に明治~戦前に開校した名門校であるという事実であります。これらの学校の校祖・創立関係者・著名な卒業生を列挙するだけで日本の近現代史を語ることができる、と申し上げても過言ではありません。各校に通じること、それは男女別学が尊ばれた時代に男子校として開校し、男子校として優れた教育を貫き、その結果、秀でた男子を数多く輩出し、揺るぎない社会的評価を獲得してきた歴史と実績に他なりません。だからこそ各校は、経営的な理由から共学へ転ずる男子校が増加する中、男子校であることをブランドヴァリューに、ブレることなく質の高い男子教育を推進しているのです。

今日現在、志望校・併願校を迷われている男子受験生・保護者のみなさまには、ぜひ伝統ある男子校をお勧めいたします!その中でも入学後の生徒の伸び代が圧倒的に大きいのが日本学園であります。その事実は大学進学やクラブ活動の実績を見ても明らか。“実のある教育・実のなる未来”を約束する日本学園!というわけで2012年・陸月は「実」をテーマに受験生へのエールとさせていただきます!がんばれ未来の後輩たち!

バラの実(薔薇:バラ科)   画像クリックで拡大

昨年の1月は木造棟裏のフェンスに沿って生る「バラの実A」を紹介いたしました。今年は旧雨天体操場(現・学生食堂)裏の学園裏通りに面して生る「バラの実B」を紹介します。日本学園のバラの実を見て分かったことは「赤いバラの実の花、必ずしも赤ならず」ということ。バラの実Aは真っ赤な実をつけながら花はピンクであり、写真のバラの実Bはオレンジ色の実をつけながら花は真紅であります。その理由は!ウィキペディアにも書いてありませんでした(笑)・・・それはさておき、冬の青空に映えるバラの実の美しさをご覧ください・・・。

★写真のバラの開花艶姿はこちら!
http://baisoukai.blogspot.com/2011/05/vol12.html
トウネズミモチの実(唐鼠黐:モクセイ科) 

実がネズミの糞を想起させることから「ネズミモチ」と名付けられたそうです。ネズミモチと比べて樹高が高いことから亜種であるトウネズミモチと思われます。このトウネズミモチ、実は昨年暮れに伐採されてしまいました・・・。その無残な切株を見たときは落ち込みました。「初夏には白い花を咲かせていたのに・・・」と。しかし彼等は鳥を利用して種子をばら撒き、切り株からも素早く発芽する恐るべき侵略的外来樹だそうです。生態系を良好に維持するために雑木は間引くべし、という学園の判断は間違っていないのであります。 

センダンの実(栴檀:センダン科) 

「栴檀は双葉よりかんばし」の諺で知られる「センダン」の登場か!と思いきや諺の栴檀は「白檀(ビャクダン)」という別の植物を指すそうです。このセンダン、樹皮や葉には除虫作用があり、実はしもやけ・あかぎれの生薬として使われるなど、薬草としても有名です。日本学園ではグラウンド土手の林と学生食堂裏に大きな株があり、今ごろは写真のような褐色の実をモビールのように吊り下げるのであります。毎年初夏には小さな淡い紫色の花を咲かせます。今年の初夏こそハシゴをかけて花を接写するぞ、と固く決意しております。お楽しみに! 

ユズの実(柚子:ミカン科) 

昨年末は青空に映える姿を見せたいがために、一個だけ寂しく実るユズを紹介しましたが、今年は改めて鈴生りの状態を紹介します。どうです!この見事な実り!調べてみますとユズの成長は非常に遅く、接ぎ木をせずに種から育てると実が生るまでに十数年かかるそうで「ユズの大馬鹿十八年」という言葉もあるとか。学園のユズの歴史は知らずとも、このたわわな実りを見れば数十年を経た学園の主であることは明らか。一個の果実にも培ってきた時の流れの鼓動を感じる、それが伝統校の凄みといえるでしょう。 母校にとっては「ユズのお利口十八年」であります。


広報部会 S56卒 永澤

2012年1月29日日曜日

2月度 運営委員会 開催のお知らせ

平成24年度2月度運営委員会を下記の通り開催いたします。
運営委員・オブザーバー各位のご参集をお願いたします。

日時:2月4日(土)14:00~17:00
 注) 今月は第2土曜日が祝日のため第1土曜日に開催します。
場所:木造棟会議室(日本学園構内)
報告・審議事項
*各部会の活動報告(総務・広報・組織・会計・企画)
*評議委員会(1月16日開催)の報告
*卒業生及び新入生向け「梅窓会について」パンフレットについて
*新卒業生クラス幹事の歓迎会について
*平成24年度予算案について
*その他

★運営委員以外の方も参加できます!


梅窓会 広報部会

2012年1月27日金曜日

倶進Vol.28

「私の山歩き」17

~高尾山薬王院へ初詣~
S28年卒 米田利民

1月3日、高尾山の薬王院へ初詣に行ってきました。JR高尾駅北口からバスで小仏へ。すぐに「小仏山宝珠寺」という禅寺があり、「東京都の天然記念物 カゴノキ」がある。高さ23Mの大木。
鹿子の木①
鹿子の木②

常緑高木、クスノキ科。漢字では「鹿子の木」。樹皮がはがれて白い鹿の子模様になるので、その名がついた。そこからゆるい上り坂をゆっくり登る。昔の甲州街道である。景信山(カゲノブヤマ)への登り口を右に見て、水場を過ぎ約1時間で小仏峠に到着。高尾山の南側を通る甲州街道ができるまではここが甲州街道の難所であった。明治天皇も山梨県に行かれた時、ここで休憩され野点のお茶を飲まれた。その時の記念碑が立っている。
小仏峠の記念碑

城山は割愛して一丁平へ。富士見のテラスで富士山を見てベンチに掛けて昼食。高尾山山頂を経て薬王院へ。人々で大混雑。お参りして、最近出来た「石ぐるま」を「懺悔、懺悔六根清浄」と唱えながら廻す。
石ぐるま①
石ぐるま①

「浄心門」の所から2号路で下山にかかり、東京高尾病院脇へ至る急峻な道を下りる。
2時半、下山。京王線高尾山口駅へ。

2012年1月25日水曜日

我流展景-日校Photoスケッチ(1月-2)

冬の幻燈Ⅰ:学園には、もうひとつの森がある 画像クリックで拡大

冬の幻燈Ⅱ:影が描く白亜の森だ・・・

冬の幻燈Ⅲ:裸梢は見つめる・・・その森に己が姿を・・・ 

冬の幻燈Ⅳ:壁は立つ・・・その森をたまゆらの意匠と成して・・・ 

広報部会 S56卒 永澤

2012年1月23日月曜日

昭和11年度(1936年)当時の生徒募集の案内広告。

今年も例年どおり1月も後半になりますと私立中学・高校の入学試験の願書受付が始まっております。 近年人気急上昇する日本学園も中学は1月20日から、高校は1月18日から入学願書の受付がすでに始まっております。さて日本学園は100年以上も前から実施している入学試験ですが、昔の生徒募集の広告はどんなものだったのでしょうか。

ここにお見せするのは「日本学園百年史」に掲載されています昭和11年度(1936年)の旧制日本中学校の生徒募集のお知らせです。ちょうど新宿の淀橋校舎から現在の世田谷松原校舎に移転する時のもので、我々OBからしてみると実に興味深い内容です。願書は現淀橋校舎と新松原校舎両方で受け付けるという受験生には優しい配慮、そして試験は斬新な松原新校舎(OB今井兼次設計)で行うと受験生には嬉しい内容で書かれています。地図にある私鉄の路線名、駅名も現在と異なるものもあり歴史を感じる内容です。

実に今から76年前に現在の松原校舎にての「第1回目の入学試験」が行われたということになります。そしてここで学び、巣立ち、日本の政官界、経済/産業界、芸術、スポーツ、文化の分野で優れた業績を残している多くの逸材を現在も脈脈と輩出しております。
この歴史と伝統を持つ男子校、日本学園中学・高校へ入学を希望する受験生のみなさん、体調管理を万全にしてベストを尽くしてください!日本学園OBも応援しています。

昭和11年度(1936年)当時の旧制「日本中学校」生徒募集の案内広告 
(上部が募集案内で下部が地図の構成になっています) 

校門横に張られた平成24年度の生徒募集の案内 
(校門左側に中学、右側に高校の案内があります。) 

淀橋校舎から松原校舎へ移転当日の昭和11年4月6日の朝。 
左端から教職員、5年生、4年生・・・と続く。 
右端には松原校舎で試験を受けて合格した中学1年生達。


広報部会 S44卒 中村 隆 

2012年1月21日土曜日

硬式野球部OB懇親会・盛大に開催される!

去る1月14日(土)18:00~新宿センタービル53F「ダイニングアウト53」にて日本学園・硬式野球部OB懇親会が開催されました。創部100年の伝統を誇る硬式野球部。その歴史は日本の学生・社会人野球界に数多くの人財を輩出してきた歩みでもあります。新年会も兼ねたOB懇親会には、球界・スポーツ界を始め、社会の第一線で活躍するOBが集結!旧交を温めると共にグラウンドで結んだ友情と団結の絆を確かめ合いました。


OB会長・佐藤昌幸氏の挨拶でスタート!

野球で結ばれた仲間たちが集結!    画像クリックで拡大

特別ゲストOBにマスターズリーグ社長・一木良文氏をお迎えしました!

OB会副会長・市川秀雄氏が全運動部OB会の連携を熱く語る!

日本学園&硬式野球部の発展を祈って全員で記念撮影! 画像クリックで拡大

懇親会では数多くのOB・ゲストが硬式野球部の強化に向けたサポートのみならず、日本学園全運動部OB会の一致団結した支援体制の必要性についても言及。文武両道で躍進する母校のさらなる発展に向けて、一段と熱い応援態勢で臨むことを確認しました。

<当日の主なゲストOB・来賓>
特別ゲストOB:マスターズリーグ社長・一木良文氏
特別ゲストOB:帝京大学ラグビー部GM・増村昭策氏
来賓挨拶:日本学園校長:谷川平夫氏
来賓挨拶:梅窓会副会長/広報部会・宮原洋一氏

<主な硬式野球部OBスピーチ>
*開式挨拶:硬式野球部OB会長・佐藤昌幸氏
*乾杯挨拶:硬式野球部OB・磯野弘三氏
*中締挨拶:OB会副会長・市川秀雄氏
*東京農業大学生物産業学部野球部監督・樋越勉氏
*加藤英雄氏(元日本学園硬式野球部監督)
*吉田徹氏
*小野幸雄氏 
*八木利行氏(日本学園硬式野球部監督)他

梅窓会 広報部会 S56卒 永澤 

2012年1月19日木曜日

スペシャルサイト「我ら日校健児」第6回<後編>配信!

激動の時代を乗り越えてきた日本学園OBの自伝・インタビューを掲載するスペシャルサイト「我ら日校健児」第6回<後編>を配信いたします。物語は早稲田大学・応用化学科の学生時代へ。昭和25年の伊豆大島・三原山大噴火見物やスキーの思い出、宴席での失敗談など、青春を謳歌する堤氏と友人たちの姿を描きます。堤氏は今回も往時を在りのままに伝えたい、という願いを込めて原文へ大幅な加筆・推敲を行ってくださいました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。戦後社会へ若き化学者として一歩を踏み出してゆく堤氏。早稲田大学を目指す在校生諸君は必読ですよ!

【堤先輩・思い出の写真館】
広報部会では困り顔の堤先輩に家探しをお願いし、なんと!帝国海軍・飛行兵時代の御写真を拝借することに成功いたしました!どうです!猛烈にカッコイイでしょう!はっきりいってシビレます!この気迫と真剣味を放つ眼差しが、平和ボケで弛緩し切った現代日本の青年にありましょうか? ☝マウスオーバーでポップアップする「light Box機能」付き です!堤先輩、ありがとうございました!引き続き家探しをお願いいたします!






スペシャルサイト「我ら日校健児」はこちら!

梅窓会 広報部会

2012年1月17日火曜日

1月度 運営委員会報告

1月14日(土)14:00~木造棟会議室で1月度運営委員会が開催されました。当日、日本学園では受験生・保護者を対象にした本年度最後の「高等学校入試説明会」を開催。途切れることなく正門へ向かう受験生・保護者の列に、急上昇する日本学園の人気を実感いたしました。受験生のみなさん、体調管理を万全にしてベストを尽くしてください!日学OBも応援しています!

1月度 運営委員会TOPIX
各部会報告(総務・広報・組織・会計・企画)
熱きめぐみ教室終了報告
12/10~14にOB5名による日本学園独自のキャリア・エデュケーション「創発学」プログラムの一環である「熱きめぐみ教室」が終了。本年度も著名な5名のOBによる講義が展開されました。

★日本学園「創発学」プログラムの詳細はこちら!
http://www.nihongakuen.ed.jp/cumpus/souhatugaku.html

太田会長より「三長会」報告
柔道部・星光君・国際大会優勝報告
世界制覇を目指す星光君がフランス・プロヴァンスで開催された 「クリスマスカップ国際大会」で優勝。その経過について報告がありました。
平成24年3月卒業生の記念品決定
検討を重ねてきた記念品が決定いたしました。中身は卒業式当日のお楽しみ!
「梅窓会パンフレット」New Version制作について
梅窓会では準会員である新入生・在校生に、当会の目的と活動内容を 早期に理解していただくために「梅窓会パンフレット」を配布していますが、このたび新たに卒業予定の生徒を対象とするNew Versionを制作し、同時に既存版「梅窓会パンフレット」の改訂も行うことが決定しました。これにより同窓会組織への理解・参加を促すツールが入学時~在学中~卒業時をカバーする形で整備されます。
新年度「梅窓会報」発行について
梅窓会では会員サービスのさらなる充実を目指し、平成24年度より「梅窓会報」の発行回数(年2回)を試験的に年3回へ増刊する計画です。増刊は会員諸兄の参加・情報発信ステージの創出・母校愛の醸成等を目的としています。詳細が決定次第、梅窓会ブログ・梅窓会報で告知いたします。よりパワーアップする「梅窓会報」にご期待ください!

★会報制作・郵送費等は会員諸兄の会費に支えられています。しかしながら、会費納入者はいまだ極めて少数であり、上記の増刊計画の原資も運営費の切り詰めや多角的なコストダウンにより捻出するものです。会費未納のOB諸兄には、何卒ご理解・ご協力をお願い申し上げます。
小川理事より理事報告

本年度最後の入試説明会を目指す受験生・保護者のみなさん

梅窓会 広報部会

2012年1月15日日曜日

日本学園のルーツを訪ねて、「神田錦町二丁目二番地」

日本学園の前身は旧制の日本中学校であり、さらにその前身は今から遡ること126年前、明治18年(1885年)7月に東京神田錦町に設立された「東京英語学校」であることは、皆さんよくご存知のことと思います。その東京神田錦町とは今もある地名なのか、さらにいったいどこにあるのかOBの諸兄/学校関係者なら興味の尽きないところではないでしょうか。「日本学園100年史」などの資料で調べてみますと「東京英語学校」のあった正確な番地は「東京府神田区錦町二丁目二番地」とあります。平成のこの時代に126年前の番地が残っているだろうか、いささか心配な気がしましたが、調べてみました。

ありました。確かにありました。古本の街で有名な神田神保町の隣町が「神田錦町」でした。電柱の住所表示板もズバリの「神田錦町2-2」。そして驚くなかれ千代田区が建てた神田錦町二丁目の記念碑が、現在の神田警察署前にありました。それによりますと、神田錦町二丁目の町名が正式に誕生したのは、明治5年(1872年)のことで、明治44年(1911年)に町名から神田が外され錦町二丁目に変更されましたが、昭和22年(1947年)に再び神田錦町二丁目となり、現在に至っているということがわかりました。

江戸時代は武家地だったこの神田錦町界隈は、明治3年に校祖、杉浦重剛も学んだ旧藩士の貢進生が入学した大学南校(のちの開成学校)が神田錦町三丁目に新築移転し、学問の街として発展していったということです。

そしてその流れでしょうか神田錦町二丁目二番地は明治初頭に三菱財閥の岩崎家で建てた英語塾の明治義塾があり、この跡地に「東京英語学校」と英吉利法律学校(現在の中央大学)とが出来、建物の正面左側が「東京英語学校」で使用し、正面右側が英吉利法律学校で使用したとあります。その後「東京英語学校」、中央大学ともに移転し、昭和の初めに東京電機大学が神田小川町から移ってきたということになります。 

さてこの神田錦町二丁目二番地ですが、敷地はかなり広く、現在は北側に位置する東京電機大学・神田キャンパスと南側に位置する神田警察署の建物になっております。「東京英語学校」のあった場所は、この東京電機大学本館の場所に向かって左側あたりにあっただろうと容易に推測できます。そして少し離れた神田警察署の斜め前には現在も明治13年創立の錦城学園高校、明治29年に創立された正則学園高校が肩を並べて建っております。

この東京電機大学本館前に立ってみますと日本の政官界、経済界、芸術と文化の分野で優れた業績を残した偉大な日本学園の先輩達が忙しくこの道を闊歩していたかと思うと感慨深いものを感ぜずにはいられません。さらに日本学園でも東京電機大学へ進学した卒業生が多々おりますが、日本学園のルーツである「東京英語学校」のズバリ跡地で勉学に励めるとは、非常に羨ましく感じた次第です。日本学園OB諸兄/学校関係者で神田神保町界隈に仕事などで行く折などがありましたら、ぜひ日本学園のルーツを訪ねて、ちょっと寄り道をして「神田錦町二丁目二番地」に行ってみていただきたいものです。明治25年(1892年)、神田の大火で校舎は消失、同年8月に半蔵門外に「日本尋常中学校」と改称され移転するまでわずか7年間の校舎でありましたが「ここだったのか!出発点は・・・」と、心も身も思わず引き締まり、神聖な気持ちなってくるのは間違いありません。


日本学園の前身「東京英語学校の校舎」。住所は神田錦町二丁目二番地。

電柱の住居表示は神田錦町2-2(東京電機大学本館前)


千代田区が建てた神田錦町二丁目の記念碑


記念碑にある現在の地図(上)と安政3年の地図(下)。 
「東京英語学校」は蒔田清之助側で、英吉利法律学校は蜷川相良守側に
位置したと思われる。


東京電機大学本館。車の後ろに立派な門構えが見えます。
門の左側が「東京英語学校」で、門の右側が英吉利法律学校
のあった場所と思われます。


広報部会 S44卒  中村 隆

2012年1月14日土曜日

倶進Vol.27

「私の山歩き」16
~榛名山登山~

S28卒 米田利民

平均年齢75歳のシルヴァー中心の登山の会の忘年山行に12月7-8日と行って来ました。7日、水沢山(1194m)という群馬県水澤観音の裏手の山に登り、8日には榛名山(1390m、標高差300m)に登るというプラン。小生は右膝痛のため水沢山(標高差600m)は止めてもうひとり足の悪い男の人と榛名湖を一周しました(5キロ)。

榛名山と榛名湖 

榛名湖畔の遊歩道 

榛名山頂上の富士山神社(榛名山は別名「榛名富士」という) 

帰途立ち寄った高崎の少林山達磨寺の紅葉 

少林山達磨寺の本堂 (達磨寺の一郭、洗心亭に日本建築美を再発見した 
ドイツの建築家ブルーノ・タウトが昭和9年8月から約2年夫人のエリカと住んでいた) 

2012年1月13日金曜日

東洋学園大学・史料室サイトが梅窓会ブログを紹介!

日本学園一号館の設計者である本校OB、今井兼次博士の作品フェニックス・モザイク「岩間がくれの菫花」<文京区「文(ふみ)の京(みやこ)都市景観賞>を校舎壁面で保存する東洋学園大学(旧制・東洋女子歯科医学専門学校/新制・東洋女子短期大学)の史料室サイトで梅窓会ブログ記事及び一号館が紹介されました。

「岩間がくれの菫花」 

★紹介記事はこちら!
http://www.tyg.jp/tgu/person/topics2011/more/general_111101.html

★フェニックス・モザイクの紹介はこちら!
http://www.tyg.jp/tgu/person/general_phoenix_mosaic.html

同作品は昭和36年に短大設立10周年を期して新校舎を建設した際、学園のシンボルとして制作されました。「岩間がくれの菫花」の他にも「永遠の友情」・「芽生えから開花」・「思い出の四季」・「繁栄の樹」の合計5作品が制作され、これらの総称としてフェニックス・モザイクの名称があります。高層校舎の建設に伴い「岩間がくれの菫花」以外の4作品は惜しくも解体されましたが、その断片は東洋学園史料室、文京区・文京ふるさと歴史館などに保存されています。本校OB、今井兼次博士の芸術作品であると同時に、現存する校舎作品としても日本学園、早稲田大学と並ぶ貴重なものであります。

東洋学園史料室パンフレット  

「岩間がくれの菫花」を背景とする年表

 
パンフレット表紙 

昨年、同大学は「岩間がくれの菫花」を国登録有形文化財とするべく文化庁へ登録可否の打診を試みました。文化庁の判断により、残念ながら国登録有形文化財への登録は不可となりましたが、日本学園OBである今井博士が手がけた「岩間がくれの菫花」は、これからも東洋学園の在校生・同窓生の心の拠り所として、校舎の壁面で移りゆく時代と学生たちを見守っていくことでしょう。

東洋学園史料室
*写真は東洋学園史料室サイトより紹介させていただきました。

東洋学園様、ありがとうございました。
日本学園OB諸兄も本郷三丁目方面にお出かけの際には、ぜひ壱岐坂の東洋学園大学にお立ち寄りいただき、母校一号館と比肩する芸術的価値を誇る「岩間がくれの菫花」をご覧ください。

★東洋学園史料室
場所:文京区本郷1-26-3 東洋学園大学4号館6F
開館日:月~金9:30~16:30
休館日:土日祝日・夏冬春季休業中・その他大学が定める休日
TEL:03-3811-1783(広報室代表)

アクセスはこちら!
http://www.tyg.jp/tgu/access/index.html#hongo

梅窓会 広報部会

2012年1月12日木曜日

日学バスケ部、清く、清々しく散る!BEST16決定!

バスケ部OB会の髙橋です。日学バスケ部は去る1/9(月・祝)、VS八王子高校戦で本来の戦闘力を出し切れず、駒沢屋内球技場のコートに清く、清々しく散った・・・速報でお知らせするつもりだったが、あまりの無念に俺も筆を取る気力が失せていた(落涙)・・・。しかし、後輩たちの悔しさを思えば、落ち込んでいる場合ではない。最後まで諦めなかった彼らの武勇を誰が伝えるのか・・・次の戦いへ挑む勇気を誰が鼓舞するのか・・そうだ、俺しかいない(顔上げ)!というわけで、その見事な徹底抗戦~散華の模様を、先日ブッチギリの勝利を収めたVS保善戦を撮影中、興奮のあまり保善高校応援ゾーンに踏み込み「イケイケ日学!」と叫んで保善応援団のひんしゅくを買った、場の空気を読めない男、広報部会の永澤君とレポートするぜ。

そのコートは名だたるアスリートの汗と涙を吸ってきた駒沢屋内球技場だ。今や遅しとトスアップを待つ100名を越える日学応援団。その目はかつてない厳しさを湛えている。それもそのはず、新人戦本大会BEST16か、それ以上か、今日の勝敗にかかっているのだ。しかも対戦相手は武蔵野シルクロードの守護神として、天下制覇を狙う八王子高校である。コダックカラーフイルム(古い・・・)のごとき山吹色の具足をまとう八王子軍、その強さは織田&徳川軍に匹敵し、その2mに及ぶ長身が林立する様は、長篠合戦で武田騎馬隊の突撃を阻んだ馬防柵を思わせる・・・。恐れるな日学バスケ部!11:00、最強軍団へ猛る白虎たちが襲いかかった!

第1Q:6:26 
果敢に突撃する日学軍、しかし長身を活かし馬防柵の如く立ちふさがる八王子軍に阻まれ、シュートが決まらない!リバウンドはことごとく奪われる!どうした日学!スピードが乗らない展開から後輩たちの苦悩が伝わる・・・がんばれ日学バスケ部!

第2Q:20:61
まだまだシュートが決まらない、リバウンドも取れない・・・偉丈夫イコール強さではない、「八王子」の名前にキミたちの心が負けているのだ(汗)・・・八王子軍のシュート精度の高さは人間ワザとは思えない。まるでバスケット目指して見えないレールが引かれているかのようだ。ヤバイ、これは完全にヤバイ展開だぜ。

第3Q:45:89
大浦コーチの檄を浴び、今一度作戦を確認してコートへ散開した日学軍。山吹色の馬防柵を俊敏にかわし、少しずつシュートが決まりだす!いいぞ、そのリズムだ!強豪八王子と思わず、八人のノッポの王子様が立っていると思えばいいのだ!しかし、日学スーパーチャージのイグニッションが入らない・・・リバウンドもほとんど取れず・・・耐えて攻めろ日学バスケ部!

第4Q:67:119
八王子軍のスピーディなパスを次々とカットし、シュートが決まりだした日学軍。日学スーパーチャージへテンションが盛り上がってきたぜ!GoGoGoGo!そうだ、VS保善戦を思い出せ!あの炎のような攻撃と鉄壁の守りを!しかし時間がない!上昇パワーを遮るかのように無情のタイムアップ・・・

ブルース・リー映画に登場したハキムを思わせる八王子軍 

果敢な追撃に猛練習の成果が光ります 

大浦コーチのアドバイスを真剣に聞く日学軍 

熱闘のるつぼと化した駒沢屋内球技場 

固いガードをかわしてシュート! 

~タカハシの戦評定~
八王子軍の長身に翻弄された戦いであったと思う。シュート精度の差も顕著だった。しかし両軍にスピードの差はほとんどない。この利点を活かし、相手チームの名前に押されない気迫を前面に出して戦えばキミたちは、かの北条早雲のごとく関八州を完全制覇できる!絶対にだ!保善戦、八王子戦とも年末年始の猛練習の成果が出ている。そのパワー&パフォーマンスには格段の成長がはっきり見えた!1年生諸君も最強軍団の強み・弱みを体得できたことだろう。後輩たちよ、素晴らしいファイトをありがとう!そして次の出陣に向かって心技体を磨き抜いていこうぜ!

コーチ陣が試合を総括!バスケ部情報はこれだ!
http://www.nihongakuen.ed.jp/cumpus/club.php?id=9&pos=0#no5337

総務部会 S34卒 髙橋(バスケ部OB会)
広報部会 S56卒 永澤

                         YouTubeダイジェスト版もアップしました。
                         気迫のプレーをぜひ動画でもご覧ください!


前半-相手の高さに苦戦


後半-気迫のディフェンス、気合のシュート!


梅窓会 広報部会

2012年1月9日月曜日

倶進Vol.26

「私の山歩き」15
~長野県佐久・群馬県北軽井沢への旅~

S28年卒 米田利民

11月14日、関越道を軽井沢ICでおりて、神津牧場へ。
ここは日本における酪農業の発祥の地。
平成20年には天皇皇后両陛下も来られている。
牧場というから平らな所と思っていたが山地の狭い所。
ここから物見山(1375m)に登る。
野鳥の森のような所を通り、道路を内山牧場へ。
内山牧場は今は牧場ではなく広大なコスモス畑があり、
9月にはコスモスが見事に開花する。

神津牧場の一部 

物見山

荒船山のとも岩 (国道254、内山トンネルの手前より) 

15日、一泊した北軽井沢のホテルから「休暇村鹿沢(カザワ)高原」へ。
本館の左手の階段を登ると村上山(1746m)への登山口。
頂上へは往復2時間。唐松とクマザサの間を村上山を左手に見ながら登る。
しばらくして、左折。やがて、あずまやがあり、手前左手に小湿原があるが、
乾燥化が進んでいる。あとひと登りで頂上。
頂上からは左手の四阿山(アズマヤサン)・本白根山から中央の浅間隠し山、
右手の浅間山まで見渡せる絶景。眼下には六里ヶ原が広がる。
下山後、立派な広域農道を通り帰途につく。
(山の名前の由来: 戦国時代、頂上に武田軍の狼煙台があり、
常駐部隊の指揮官が村上氏であった)

村上山(駐車場より)

村上山鞍部よりの浅間山