2011年3月31日木曜日

スペシャルサイト「我ら日校健児」第2回配信!

日本学園に学び、激動の時代を乗り越えてきた卒業生の自伝・インタビューを掲載するスペシャルサイト「我ら日校健児」第2回を配信いたします。スタート以来、各方面から絶賛をいただいている堤健二氏著『人生と出逢い』。物語の舞台は我らが母校、日本学園(日本中学校)へ移ります。堤氏は第2回配信に当たり、往時の学園生活を読者にお伝えしたいという願いを込めて、特に大幅な加筆・推敲を行ってくださいました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。移転・竣工した白亜の松原校舎、綺羅星のごとき教授陣、智徳体を磨く生徒の群像。名門・日本中学校に学ぶ堤氏の躍動感あふれるドキュメントをご堪能ください。

梅窓会 広報部会


青年への自覚

堤  健 二(昭和19年 日本中学校卒)

前回は私が日本中学校に入学するまでの幼少年期の世相・生活環境の中で、私がどう育って行ったかということを、子供の視線で描いてみました。当時の世相は世界的な不況の影響もありますが、日本自体が余りにも貧しく、これを少しでも緩和するべく軍事は益々拡大し、しかもこれが日本経済を更に窮地に追いやり、やがては対米戦すらも想定させる逼迫した様相を呈しておりました。そうした厳しい環境の中にあったこの時期、当時の生徒学生にとっては一般的なことでしたが、国の為にどう学び、働き、どう戦い、どう生き抜くべきか、最後があるとすればどう迎えるべきか等々、個人的に程度の差はありますが、それなりに悩み、自覚するよう促されていたわけです。そして『万葉の心』『武士道の精神』なども広く見直されていました。

今回はいよいよ少年から青年へと、そしてやがては大人に向かって人格形成の第一歩を踏み出すことになる中学生時代について、入学のところから海軍に入隊するまでの約三年間の諸々のことを述べてみます。父の推薦で入学した日本中学校、そこでは真っ向から『大日本人たれ!』という杉浦重剛先生創旨に基づく教育からのスタートでした。四月三日入学第一日目の月曜第一時限教科が猪狩校長著『杉浦重剛先生小伝』の講義で始まり、続く二時限目は英国人を父親に持つ日系二世であるジェームス・ハリス先生のオンリーイングリッシュ会話でした。小学校時代とは一線を画して背中にサッと気合いが入った思いのスタートでした。以下本校教育のユニークさと、私たち生徒に精神・学業・体育など多くの面で強烈な影響を残された恩師の諸先生方、或いは共に議論し錬磨し合った友人達などを中心に、今なおその印象は鮮烈にそして懐かしくもある中学時代生活の一端ではありますが申し述べ、そしてそれが次の海軍時代に始まり、敗戦から復興への永い生涯に亘って、いかに大きな影響を残していったかという点についてもお話さして貰いました。本来日本人の倫理哲学であり、総ての行動の原点である『武士道の精神』『葉隠の魂』にもふれてみました。

*実はこの自伝を記述していて重要なことに気が付きました。今まで、私の生涯を通して最も大きく影響を残した要素は、青年期の始まり、主として海軍時代に形成されたものとばかり思いこみ、しかも事実・内容を好く吟味することも無しに迂闊にも七十年近く周辺の方々にもお話してきたのですが、今、頭の襞の間に埋もれた追憶を追求してゆく過程で、なんと実は中学生在校時代にこそ育成されたものー気力・知力・体力などの素質こそ、正に海軍時代の錬磨をよく支え、それがやがては我が生涯に亘っての人生観の基本になっていったことに気がついたのです。『人間過去を浚っても何もない、ただ前向きにこそ。』と言われる方もおられるが、『己の道跡を自覚すればこそ、将来に向かって力一杯、直向きに己を変える第一歩を踏み出せるのでは』と私は思うのです。さあ!私の青年期プロローグ第一歩の始まりです。

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「漢の花園」Vol.10弥生

3月11日14:46に発生した東北関東大震災。M9.0という国内観測史上最大の地震は、建造物の倒壊・津波・火災など、各地に甚大な被害をもたらしました。この震災で尊い命を奪われた多くの方のご冥福をお祈りすると共に、被災された皆様へ衷心からお見舞い申し上げます。2011年の春は私たち日本人にとって忘れることのできない春になりました。自然災害といかに向き合い、いかなる備えをして生きていくべきなのか、私たちは今までの考え方を根本から改め、行動するべき時を迎えていると思います。3月、学園の森には春本番を告げる花々が咲き始めました。その美しさ、可憐さの創造主も震災をもたらした自然です。この星に生きるすべてを是非もなく支配する自然の片鱗を見つめながら複雑な心でシャッターを切りました。

カタバミ(片喰・酢漿草:カタバミ科) 

1月に親戚のムラサキカタバミをご紹介しましたが、黄色い花があまりに美しいので改めてご紹介します。カタバミの別称・酢漿草(サクショウソウ)の由来は、葉や茎に咬むと酸っぱく感じる「シュウ酸塩」を含んでいるためだそうで、解毒・下痢止などに効果があると言われています。カタバミは繁殖力が強く、一度根付くと絶やすことが困難であることが「(家が)絶えない」に通じることから、武家の間では家運・子孫繁栄の縁起担ぎとして家紋に用いられてきました。戦国大名の土佐・長宗我部家、新陰流開祖の今泉家、現代では故田中角栄元首相の家紋も片喰紋とのこと。都会の道端でも逞しく繁茂するカタバミ。その強靭な生命力は今も昔も変わりません。

ユキヤナギ(雪柳:バラ科) 

その名の通り、地面の際から柳のごとく弓なりに繁茂する枝に雪のような花を咲かせます。庭や公園などでもよく見られる春を代表する草花です。花が小さな米を集めたように見えることからコゴメバナ(小米花)とも呼ばれるそうです。このユキヤナギはグラウンドに登る土手に群落があり、その花群の見事な様は夏の横綱ビョウヤナギに勝るとも劣らないもの。まさに日本学園の森における春の横綱であります。一説には日本原産ともいわれるユキヤナギは春の生け花にも欠かせない素材だそうです。なるほど、弓なりの枝の上に可憐な白い花を満載した姿は、生け花の背景やアクセントにぴったり。きっと主役を食ってしまうほどのバイプレーヤーなんでしょうね。

オオアラセイトウ(大紫羅欄花:アブラナ科) 

諸葛孔明が広めたという伝説から「諸葛采」またはムラサキハナナ(紫花菜)とも呼ばれます。原産地の中国では若い葉を野菜として食べ、種子からアブラナ同様に油を採取するそうです。空き地や庭先、土手などを埋め尽くして咲く様はなかなか見応えがあり、日本学園でも理科教室棟の裏は彼を主役とする秘密の花園のごとき景観を呈していました。僕は、この花(紫)、菜の花(黄)、ハナニラ(白)は春の三点セットのように群れ咲くものだと根拠なく思い込んでいました。しかし、なぜか後者ふたつの草花は日本学園には分布していないようです。まさにオオアラセイトウの独壇場であります。まあ、花の色は母校のスクールカラーですから良しとしましょう。

ボケ(木瓜:バラ科) 

どうです!素晴らしいでしょう!この季節、梅や桜はあれどボケが満開になる学校法人はそうそうありません。ボケの実は瓜に似ており、「木瓜(もけ)」が「ぼけ」に転訛したと言われています。実は果実酒やジャムにも使われます。花言葉は「先駆者」「指導者」「妖精の輝き」「平凡」。どれも日校健児の面々に当てはまる花言葉ではありませんか。ところでこのボケ、開かずの裏門右手にある地区の家庭ゴミ回収場所の近くに、紅い狼煙のごとく花を咲かせています。地域の美観にプライドを捨てて貢献しているとも取れますし、置かれた立場も知らずボケっと咲いているうつけ者のようにも見えます。松原二丁目界隈のみなさん、彼を大切に見守ってくださいね。

広報部会 S56卒 永澤

2011年3月28日月曜日

「漢の花園」ANNEX(日校・桜前線Vol.1)

皇居の桜開花が報じられた3月28日(月)。
日本学園のキャンパスでも快晴の空の下、桜の一番花が咲き始めました!

一番咲きは一号館北側にある古木の中の一本

可憐にほころぶ花が春本番の訪れを告げる

新入生を迎える頃、満開の桜吹雪が学園を包む

がんばろう、日本!桜前線Vol.2もお楽しみに!

広報部会 S56卒 永澤

スペシャルサイト「我ら日校健児」第2回配信!

日本学園に学び、激動の時代を乗り越えてきた卒業生の自伝・インタビューを掲載するスペシャルサイト「我ら日校健児」第2回を配信いたします。スタート以来、各方面から絶賛をいただいている堤健二氏著『人生と出逢い』。物語の舞台は我らが母校、日本学園(日本中学校)へ移ります。堤氏は第2回配信に当たり、往時の学園生活を読者にお伝えしたいという願いを込めて、特に大幅な加筆・推敲を行ってくださいました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。移転・竣工した白亜の松原校舎、綺羅星のごとき教授陣、智徳体を磨く生徒の群像。名門・日本中学校に学ぶ堤氏の躍動感あふれるドキュメントをご堪能ください。

梅窓会 広報部会


青年への自覚

堤  健 二

前回は私が日本中学校に入学するまでの幼少年期の世相・生活環境の中で、私がどう育って行ったかということを、子供の視線で描いてみました。当時の世相は世界的な不況の影響もありますが、日本自体が余りにも貧しく、これを少しでも緩和するべく軍事は益々拡大し、しかもこれが日本経済を更に窮地に追いやり、やがては対米戦すらも想定させる逼迫した様相を呈しておりました。そうした厳しい環境の中にあったこの時期、当時の生徒学生にとっては一般的なことでしたが、国の為にどう学び、働き、どう戦い、どう生き抜くべきか、最後があるとすればどう迎えるべきか等々、個人的に程度の差はありますが、それなりに悩み、自覚するよう促されていたわけです。そして『万葉の心』『武士道の精神』なども広く見直されていました。

今回はいよいよ少年から青年へと、そしてやがては大人に向かって人格形成の第一歩を踏み出すことになる中学生時代について、入学のところから海軍に入隊するまでの約三年間の諸々のことを述べてみます。父の推薦で入学した日本中学校、そこでは真っ向から『大日本人たれ!』という杉浦重剛先生創旨に基づく教育からのスタートでした。四月三日入学第一日目の月曜第一時限教科が猪狩校長著『杉浦重剛先生小伝』の講義で始まり、続く二時限目は英国人を父親に持つ日系二世であるジェームス・ハリス先生のオンリーイングリッシュ会話でした。小学校時代とは一線を画して背中にサッと気合いが入った思いのスタートでした。以下本校教育のユニークさと、私たち生徒に精神・学業・体育など多くの面で強烈な影響を残された恩師の諸先生方、或いは共に議論し錬磨し合った友人達などを中心に、今なおその印象は鮮烈にそして懐かしくもある中学時代生活の一端ではありますが申し述べ、そしてそれが次の海軍時代に始まり、敗戦から復興への永い生涯に亘って、いかに大きな影響を残していったかという点についてもお話さして貰いました。本来日本人の倫理哲学であり、総ての行動の原点である『武士道の精神』『葉隠の魂』にもふれてみました。

*実はこの自伝を記述していて重要なことに気が付きました。今まで、私の生涯を通して最も大きく影響を残した要素は、青年期の始まり、主として海軍時代に形成されたものとばかり思いこみ、しかも事実・内容を好く吟味することも無しに迂闊にも七十年近く周辺の方々にもお話してきたのですが、今、頭の襞の間に埋もれた追憶を追求してゆく過程で、なんと実は中学生在校時代にこそ育成されたものー気力・知力・体力などの素質こそ、正に海軍時代の錬磨をよく支え、それがやがては我が生涯に亘っての人生観の基本になっていったことに気がついたのです。『人間過去を浚っても何もない、ただ前向きにこそ。』と言われる方もおられるが、『己の道跡を自覚すればこそ、将来に向かって力一杯、直向きに己を変える第一歩を踏み出せるのでは』と私は思うのです。さあ!私の青年期プロローグ第一歩の始まりです。

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2011年3月26日土曜日

我流展景-日校Photoスケッチ(3月-2)

3月11日の東北関東大震災。東京23区も震度5を超える強い横揺れを記録いたしました。生徒たちは無事か!母校の校舎は健在か!と不安に駆られたOB諸兄も多いことと存じます。学園HPでも即日発信いたしましたように生徒たちは全員無事。また昨年夏に最先端の耐震補強を施された一号館および学園施設は、昭和初期竣工の木造棟・旧守衛舎に至るまで無事であることをご報告いたします。

一号館正面。昨年の耐震調査でも驚くべき高強度が確認されている。
(3月19日撮影) 

安全を最優先した今井博士の設計思想と最新の耐震技術が融合。
(3月19日撮影) 

校庭から新入生の元気な声が聞こえてくる日も近い。
(3月19日撮影) 

昭和初期から学園を見守る木造棟も健在。書棚・備品等の倒壊・被害なし。 

丹沢甲斐秩父の山並みを従える富士の雄姿。大講堂にて。
(3月19日撮影) 

広報部会 S56卒 永澤

2011年3月23日水曜日

平成23年卒業者・常任・クラス幹事決定!

明日の梅窓会活動を担うニューフェイス、
平成23年卒業者の常任・クラス幹事メンバーが決定いたしました!
常任幹事代表
A組 大浜君
*同期の大代表として「常任幹事会」等、梅窓会活動に参加します。
常任幹事
B組 森田君
F組 角田君

*同期の代表として「常任幹事会」等、梅窓会活動に参加します。
クラス幹事
A組 亀田君
B組 吉水君
C組 安齋君
C組 今泉君
D組 般林君
D組 村本君
E組 加藤君
E組 神君
F組 桂本君

*各クラスの代表として常任幹事を補佐。クラス内の連絡等を担います。

大浜君・森田君・角田君の3名は今後「常任幹事会」への参加等、梅窓会員同期の代表としてご活躍いただきます。また、クラス幹事の諸君も常任幹事をサポートしながら、クラス会等の連絡役を担っていただきます。

運営委員会では、去る2月23日(水)に新常任・クラス幹事の歓迎会を開催。梅窓会からは宮原副会長・髙橋幹事・河井委員が、大学受験による欠席者1名を除く11名のニューフェイスを迎え、学園での思い出や今後の進路、梅窓会活動の概要などについて語り合いました。

3・19(土)キャンパスに咲きほころぶ紅梅 

梅窓会 広報部会

2011年3月22日火曜日

【レポート】第119回・卒業式にOB多数が列席!

3/5(土)に挙行された第119回・卒業証書授与式に梅窓会からも太田会長を始め、多数のOB諸兄が列席。日本学園を巣立つ卒業生諸君を祝福しました。
また、卒業後50年を迎えるS36年卒のOB代表11名も式典に列席し、卒業生へ記念品のボールペンを贈呈しました。式典終了後は別室にて会長・運営委員を交えて歓談。旧交を温めると共に、文武両面で躍進著しい母校の話題で大いに盛り上がりました。

卒業式当日の写真満載!詳しくは梅窓会ブログへ!
http://baisoukai.blogspot.com/

梅窓会 広報部会



3月度 運営委員会報告

3月19日(土)14:00~木造棟会議室にて運営委員会が開催されました。同会は当初3月12日(土)に行われる予定でしたが、前日に震災が発生したため中止・延期となり、改めて3月19日に開催されたものです。

3月運営委員会TOPIX

■各部会報告(H23年度活動計画案発表!)
総務・組織・企画・広報より、活動報告及びH23年度活動計画案が発表されました。各部会とも昨年度の活発な会活動をベースに一層の活性化を図る新年度方針を構築。今回発表された各部会の活動計画案は、企画部会を中心に「H23年度事業計画」としてまとめた上、6月の梅窓会総会で発表・審議される予定です。

■新卒クラス幹事歓迎会・常任幹事決定報告
■119回高校卒業式経過報告・梅窓会記念品贈呈報告
■『梅窓会報Vol.75』編集方針の検討
■在校生向け「梅窓会パンフレット」印刷入稿正式決定
■梅窓会総会・懇親会」企画審議

梅窓会最大のイベント、「梅窓会総会・懇親会」の企画ドラフト案が披露され、活発な意見交換が行われました。以下は3/19現在の決定事項です。一人でも多くのOB諸兄の来会をお待ちしております!

*開催日:6月25日(土)
*会場:ホテルフロラシオン青山(昨年度と同じ)
*テーマ:「いざや進まむ 諸共に!」

梅窓会総会・懇親会は本年よりテーマを掲げることに決定いたしました。H23年度のテーマは伝統ある日本学園校歌の一節を会員各位のさらなる団結・前進に重ね合わせたもの。「いざや進まむ 諸共に!」を合言葉に、OB親睦と誇りを深くするひとときを創出いたします。梅窓会総会・懇親会にご期待ください!

■その他
*会計部会より予算状況の報告
引き続き厳しい財政状況です。
会費未納の会員各位は、速やかなご協力をお願いいたします!
*小川理事より理事報告

委員会に先立ち、震災で犠牲になられた方へ全員で黙祷。

梅窓会 広報部会

2011年3月21日月曜日

平成22年度 中学校卒業証書授与式を挙行

東北関東大震災発生から10日が過ぎました。犠牲者の皆様にお悔やみ申し上げますと共に、被災地・被災住民の皆様に謹んでお見舞い申し上げます。また、梅窓会員諸兄のお身内、ご友人、知人の方で被災された方もいらっしゃることと存じます。重ねて衷心よりお見舞い申し上げます。

日本学園では去る3月19日(土)大講堂において、
平成22年度中学校卒業証書授与式が挙行されました。

谷川校長より厳粛に卒業証書が授与される。 

谷川校長は「卒業生を送る言葉」で一貫して震災に触れ、「人として大切なものは何か。卒業生諸君は何よりも、それをしっかり掴むことができる人間へ成長して欲しい!」とのメッセージを送りました。

谷川校長「卒業生を送る言葉」の要旨は「校長日記」をご覧ください。
 http://www.nihongakuen.ed.jp/kocho/index.html?id=0&pos=0#no4616


会場受付では被災地への募金活動を展開。 

卒業生の中には、夏の福島県における農泊体験や宮城県・松島での漁業体験を通じて、東北の皆様にお世話になった生徒も大勢います。本年度の卒業式は、震災の体験を今後の生き方にどのように活かし、各々が何を成していくべきかを考え、行動していく門出となりました。

全員で日本学園校歌・100周年記念学園歌を斉唱。拍手に送られて出発。 

未来の日校健児?可愛い弟たちもお兄ちゃんにエール! 

記念写真撮影。校訓のごとく、いざというとき役に立つ人間たれ! 

■各賞授与

*一カ年精勤賞    :門田君 坂本君 高杉君 増井君 宮川君 三浦君
*三カ年精勤賞    :深作君
*日本学園賞   :高杉君 元田君 栗山君
*日本私立中学高等学校連合会賞   :飯島君
*東京都中学校体育連盟・体育優良生徒   :三浦君
*東京都中学高等学校協会第8支部・体育優良賞   :末次君
*東京都吹奏楽連盟理事長賞   :栗山君

梅窓会 広報部会

2011年3月12日土曜日

東北関東大震災

みなさまご無事でしょうか。
刻々と災害の大きさが伝わって来ます。
この度の地震により被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。


梅窓会 広報部会

2011年3月11日金曜日

36年卒 同窓会開催報告

烏兎怱怱と申しますが、アッと言う間に半世紀が過ぎてしまいました。
2年ほど前に40年ぶりくらいに母校の前に立った時も懐かしさが溢れ、
暫し、門前に佇んでおりましたが、この度は50年ぶりに会う友もいて
感激一入のものがありました。
やはり、面影が残っているもので、会えば直ぐに昔の顔が重なってきます。
最初の内は何となく君付けで読んでいたものが、いつの間にか昔の呼び方に
なり、皆、高校時代に戻りました。
卒業式も我々の時代とは正しく隔世の感を憶える現代的で温かな式で
大変素晴しいものでした。





S36卒 松本 勝馬

2011年3月10日木曜日

倶進 Vol.1

「わが青春の譜」其の一

S38年卒 川本雅之(梅窓会・広報部会)

私は日本学園において昭和三十二年中等部入学、昭和三十五年高等部入学、そして昭和三十八年卒業と六年間の充実した学園生活を送り、私の青春の一頁を飾りました。

昭和三十五年からの高等部の三年間は新聞部に籍を置き、当校新聞『俱進』の作成・発行に携わりました。当時『俱進』はタブロイド版四頁で、年四回発行し、学園内外のニュース、とりわけ学校行事である入学式・卒業式・体育祭・文化祭等を中心に、その他クラブ活動状況、生徒の文集等を掲載していた。

校舎全景・昭和36年頃 

『俱進』の年四回発行は学校予算だけでは資金が不足していたので、当時の明大前駅商店街に毎日出向き、お店の広告掲載をお願いし、その広告料で資金不足を補填した。また当校新聞の指定印刷所が当時の国鉄飯田橋駅近くにあり、放課後、われわれ部員は原稿の持ち込みゲラの校正等で日参し、帰りはいつも夜九時頃になり、駅前の肉屋の一ケ五円のコロッケを頬ばったり、一杯五十円のラーメンを食べ、空腹を満たしたことを思い出します。

さて当校新聞『俱進』の記事として昭和三十五年(高一)は千九百六十年日米安全保障条約締結の年で、いわゆる六十年安保闘争があり、国会議事堂前学生デモで東大生樺美智子さんが死亡すると云う衝撃的な事件があった。一部高校生もデモに参加したとの記事もあり、『俱進』でもこの安保闘争を記事として取扱うか否かで議論はあったが、高校生としての記事としては重すぎるとのことで掲載せず、一般的な記事を掲載した。

新聞部室(現在の木造棟二階)棚側の左から五番目が私、二番目が和田事務長!

昭和三十六年(高二)は自分が新聞部部長の任を承り、重責を感じた年である。この年、前校長 蜷川先生が急逝され、われわれ新聞部は新しく校長に就任された東証一部上場、同和鉱業株式会社 代表取締役社長に就かれていた本校先輩、久留島秀三郎先生のもとに、東京駅八重洲口、自社ビルを訪問し、社長室へ通され、緊張した面持でインタビューしたことがあります。 

昭和三十七年(高三)は新聞部の主体が二年生に移行したが、この年は日本学園創立七十周年にあたり、『俱進』では記念特集号を組み、われわれ三年生も編集に加わり、学校の資料集めに奔走し、編集に苦慮したが、先生方、先輩方の協力により十二頁にわたる特集号を発行することが出来た。

新聞部の仲間たち。右から二番目が私、一番右が和田事務長。 

日本学園を卒業して来年で五十年になるが、かくの如き学園での日々の出来事を今でも鮮明に思い出します。

昭和37年『俱進』記念特集号


*梅窓会ブログの新連載企画「俱進」がスタートいたしました!

「俱進」は日本学園OBの在学中の思い出、学園にまつわるエピソード、現在の活躍・近況、進学先でのキャンパスライフやサークル&部活動のニュース、旅行・レクレーション報告などをノージャンルで発信するOBによるOBのためのブログ新聞です。「俱進」のタイトルには、その記念すべきVol.1を寄稿していただいた日本学園新聞部OB・川本雅之氏「わが青春の譜」で紹介された学園新聞『俱進』へのオマージュを込めました。梅窓会正会員であれば、どなたの寄稿でも広報部会にて内容確認の上で掲載いたします。みなさまの原稿をお待ちしています!

* 本文1,500文字以内(タイトル必須)・できるだけ写真を同封してください。
     【宛先】 〒156-0043
     東京都世田谷区松原2-7-34 日本学園気付 梅窓会 広報部会

* メールでも寄稿OK。詳しくは梅窓会ブログ・トップページ
     「原稿投稿の仕方」をご参照ください。

梅窓会 広報部会

2011年3月9日水曜日

3月度運営委員会 開催のお知らせ

平成23年度3月度の定例運営委員会を下記の通り開催いたします。
ご参集の程、よろしくお願い申し上げます。

日時:3月12日(土)14:00~17:00
場所:木造棟会議室(日本学園構内)

当日の主な審議
*平成23年度予算及び事業計画について
*各部会より平成23年度活動方針発表
*6月梅窓会総会・懇親会企画・準備について
*梅窓会報75号編集の検討
その他・報告・審議事項あり

運営委員以外の方も自由に参加できます!

一号館左手の草叢に咲き誇るスイセン 

梅窓会 広報部

2011年3月8日火曜日

第119回・卒業証書授与式・続報!

先日挙行された卒業証書授与式では、高等学校卒業後50年を迎えたS36年卒のOB代表者11名が式典に列席。学園関係者・保護者と共に卒業生をお祝いし、輝かしい未来を祈念しました。

梅窓会・太田会長を囲むS36年卒のOB諸兄。 

日本学園では、毎年、卒業後50年を迎える梅窓会・常任幹事を中心としたOB代表者を卒業式にお招きし、前途ある後輩たちの門出をお祝いしています。これも先輩・後輩の絆を大切にする母校ならではの良き伝統です。

広大な体育館に祝・卒業の歓喜が満ちる。 

おめでとう!の声と盛大な拍手に送られて出発する卒業生たち。 

式典ではS36年卒のOB代表者より記念品のボールペンが贈呈されました。来年はS37卒のOB代表者の出番です。同年卒のみなさま、よろしくお願いいたします!

広報部会 S34卒 宮原

2011年3月5日土曜日

第119回・高等学校・卒業証書授与式を挙行!

3月5日(土)10:00より、日本学園体育館にて、
第119回高等学校卒業式が盛大に挙行されました!

119回目の卒業式を迎えた快晴のキャンパス。 

会場へ向かう木立の道を続々とゆく保護者・来賓の方々。 

卒業生は吹奏楽部の勇壮な演奏と熱い拍手に迎えられながら次々と入場。日本学園校歌を誇り高く斉唱し、いよいよ卒業証書・賞状の授与へ。各クラス全員の氏名が読み上げられ、谷川校長からクラス代表者に卒業証書・賞状がしっかりと手渡されました。

吹奏楽部の演奏がスタート。いよいよ卒業式が始まる。 

心地よい緊張感と共に証書を受け取るクラス代表者。 

卒業証書・賞状の授与に続き、谷川校長、榎本理事長が祝辞を述べられました。谷川校長は、グローバルスタンダードな人材へ成長することの大切さを説きつつ、卒業後は日本学園を愛する母校として、いつでも訪れて欲しい、とのあたたかいメッセージを贈りました。

来賓祝辞を述べる梅窓会・太田会長。 

続いて梅窓会・太田会長が卒業生を代表して祝辞を述べられました。太田会長は長きにわたり生徒たちを見守って来た一号館が今日も健在であることの誇りと歓びについて語り、一号館に象徴される栄ある歴史の新たな一頁を開く者こそ、梅窓会正会員となった諸君であること強調されました。

日校健児の誇りも高く、記念撮影に臨む卒業生たち。 

卒業記念品のロゴ入り手帳を梅窓会から贈呈。 

式典では「3ヵ年精勤賞」・「日本学園賞」・「東京都知事賞」・「東京都高等学校体育連盟賞」を始め、文武両道の日校健児を体現する数々の賞状授与も行われました。卒業生諸君、本当におめでとう!4月から君たちは日本学園を母校とする誇り高き梅窓会の正会員です!日本学園で育んだ友情の絆を、先輩たちと共に未来へつなげていきましょう!

■上記以外で登壇された方

*お祝いの言葉・記念品贈呈:PTA会長 村本直美様(卒業生代表 鵜木君) 
*先輩を贈る言葉 :       在校生代表・村本君
*記念品目録贈呈:                卒業生代表・佐藤君
*卒業にあたって  :                卒業生代表・吉澤君

■各賞授与

*3ヵ年精勤賞:  早川君他24名
*日本学園賞:   野村君他6名
*東京都知事賞:  竹内君
*東京都私学財団奨励賞:  早川君
*日本私立中学高等学校連合会賞:  荻田君
*東京私立中学高等学校協会第8支部 体育優良賞:  中塚君(陸上競技部)
*東京私立中学高等学校協会第8支部 生徒部賞:  吉澤君
*東京都高等学校体育連盟賞:  土井君(バスケットボール部)
*東京都高等学校野球連盟賞:  竹内君
*東京都高等学校吹奏楽部連盟理事長賞:  浅田君
*東京都高等学校軽音楽連盟賞:  佐藤君

梅窓会 広報部会

2011年3月3日木曜日

我流展景-日校Photoスケッチ(3月-1)

窓:一号館資料室~「日中」の意匠を刻む階ありて 

窓:一号館資料室~その軋みにも伝統は脈打つ 

窓:一号館資料室~何の用事か女学生ふたり・・・ 

窓:一号館資料室~校祖の机は今日も校門を見つめている・・・ 

広報部会 S56卒 永澤