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2018年3月17日土曜日

卒業から半世紀後の卒業式への参列。

平成30年3月10日(土)第126回卒業証書授与式が挙行されました。式典には私達卒業後50年(昭和43年卒)のOB有志8名も参列し卒業生の前途を祝福しました。

自分たちの卒業式から50年後の卒業式は素晴らしく立派な体育館、卒業生への学校側からの力の入れ方、そして何よりも驚いたのが、保護者(特に父親)の出席者が多かったことです。自分たちの卒業式は、こんなに暖かく盛大だったろうか。

私達昭和43年卒業生は卒業年で「四三会」という名称で、平成21年に満60才還暦の年に同期会を発足させました。昨年の二次会がとても盛り上がり、来年三月の卒業式臨席では母校に一人1万円寄付しようじゃないかと言う事になり、それが実現できました。
私達もあと2年で満70才の古希の佳節を迎えますが、健康管理には十分留意して、まだまだ元気に張り切って母校の発展のために貢献したいと心から思っております。
 S43年卒 矢澤 修

これからの梅窓会を担う世代の皆さんの式典参列。

式典後の食事会

卒後50年、昭和43年卒の皆さん。

梅窓会事務所前にて

食事会の後、梅窓会を訪問。

梅窓会 広報部会

2013年10月31日木曜日

S43年卒・第3回同期会『四三会』 開催報告

昭和43年卒業ということで『四三会』という名称にして、2年ごとの開催で平成21年の60歳の還暦の年に第一回の会を開催しました。

3回目の今回は新宿にある『銀座アスター新宿賓館』で、ご高齢の先生方に配慮して午後3時からの開始にしました。先生方は鈴木昭二元校長、村松健次先生(H組担任)、草下勲夫先生(H組担任)、来賓に髙木光・梅窓会会長、谷川平夫前校長、和田英昭前事務長の6名様にご出席を賜りました。同期生は24名、総勢30名の会合です。長野県諏訪市と大阪府枚方市からの出席者もおられて、幹事一同、心から感動いたしました。また、PTA会長・岸志伸(しのぶ)氏と二年先輩の昭和41年卒の代表幹事・清水正敏氏からも祝電を頂き、会場の雰囲気は一段と明るくなりました。その後も和やかな歓談が続き、大きく盛り上がったところで全員で記念写真を撮影いたしました。

この日の旧交を温めた大きなパワーを忘れずに、7年後の『東京オリンピック・パラリンピック』に向けて、どんな事があっても健康管理に十二分に留意し、本物の競技を56年ぶりに見たいものだ、と思いました。盛会にバンザイです。全員で二年後の再会を約束しました。



平成二十五年十月二十一日 代表幹事 矢澤修

2011年12月19日月曜日

昭和43年卒同期会「四三会」(第二回) 開催報告

S43年卒 矢澤修

第一回大会で、同期会を二年ごとと決め、今回は震災で予定より4カ月延期されましたが、10月15日(土)新宿プリンスホテル地下一階レストラン「トリアノン」で昭和43年卒業の名称「四三会」第二回同期会を開催致しました。招待のお客様は谷川平夫校長、梅窓会宮原洋一副会長、鈴木昭二先生、村松健次先生、藤森喜代一先生の5名、同期生18名総勢23名と2年前の第一回大会よりは、ひとまわり規模が小さくなってしまいましたが、この時期を乗り越えなければ、長期の同期会の継続はできないと考えております。

顧みますと、2年前、私どもが還暦の佳節を迎えた年に同期会を立ち上げる時に、ほんとうに迷い、躊躇し、そしてかなりの期間を保留しましたが最後に私の信条のひとつであります『やった後悔よりも、やらなかった後悔の方がいつも必ず大きいはずだ。』という信条のもと開催致しました。私は同期生が喜んでくれるのならば、という考えで始めた同期会開催は、キャッチボールの法則通り自分自身にど真ん中のストライクでもどってきたという感じです。

今回の同期会で、高校時代3年間同じ学校に通っていながら、顔も知らなければ、もちろん話をした事も一度もない同期生とかなり親しくなれたことはとても嬉しいのですが、又何か奇怪な感じであります。さらに嬉しいことに、あの東日本大震災の被災県、宮城県仙台市からかけつけてくれた同期生、柳憲雄君にはとても感激いたしました。同期会は、現千葉県浦安市の市長、松崎秀樹君の力強い開会の挨拶から始まり、なつかしさでどのテーブルでも笑顔がこぼれおちるほどあふれ、そして一人一人の胸につけた名札を確認してから話しかける人もいました。なごやかな雰囲気のなかで、校歌斉唱の時には、だれということなく全員で肩を組んで歌い、ラグビー部だった沢木要人君の手慣れた三三七拍子、万歳三唱の音頭でお開きとなりました。

2年後の第3回同期会の再会を約束しようとしましたが、二次会ではさらに盛り上がり、『幹事は大変だけれど、毎年でも開催してほしいヨ』とも言われてしまいました。母校は4年後の2015年には開校130年の周年行事を迎える伝統校であります。今や人生100年の時代ですので、まだまだこれからも健康第一に元気に、はりきってやっていきたいと思います。 敬白


平成二十三年十二月十日記   矢澤修