2011年12月28日水曜日

小村寿太郎候没後100周年記念式典。

「小村寿太郎候没後100周年記念式典」が故郷宮崎でおこなわれました。

校祖・杉浦重剛先生の親友で、日本学園の功労者でもある小村寿太郎侯。今年は小村候没後100周年であり、故郷の宮崎県日南市では市を挙げての記念式典が開かれ、その模様が地元のインターネットテレビ局にて配信されました。

『小村寿太郎候没後100周年記念式典(宮崎県日南市)』
http://youtu.be/051nLToLSDQ クリックしてご覧ください。
<制作-日南テレビ>

明治初期、膳所、飫肥藩から貢進生に選ばれ全国の俊英が集まった大学南校(東京大学の前身)で知己を得たお二人。その後「管鮑の交わり」にも例えられたほどの固い友情を結び、ともに清貧と至誠に貫かれた生涯を送りました。

          
                 杉浦重剛校祖                       小村寿太郎侯
                    1855-1924                          1855-1911


小村寿太郎が外交官となるきっかけをつくった校祖
杉浦校祖は、小村に対し常に敬愛の念を持って接し、借財に困っていた際は、友人とともに支援しました。また、当時司法省の役人であった小村を外務省へと導いたのも、他ならぬ杉浦校祖でありました。その敬愛の念は親しくしていた外務省高官から、法律と英語に通じた有能な人材紹介の依頼を受け、即座に小村を推挙したことからも明らかです。その時、杉浦校祖は「引き抜きにあたっては、決して外務省へきてくれたら厚遇で報いるなどといってはダメです。彼は欲得では釣れない人物ですから」と言ったと伝えられています。この推挙により小村は、司法省時代から外務省、そして外交官となり、秘めた実力を開花していきます。その後、法律、語学に加え卓越した調査、交渉力と剛胆、緻密さを兼ね備えた外務大臣、全権としてらつ腕を振いました。

「人は好きな道、得意な道で成長すれば良い」 現代の日本学園の教えにも受け継がれているこのお言葉を顧みて、改めて人材の資質を見抜く杉浦校祖の眼力に感嘆します。もし、このお二人の出会いがなければ、明治の日本はまた違った歴史を刻んでいたかもしれません。

小村寿太郎の功績
日英同盟締結、日露戦争のポーツマス講和条約締結、そして欧米列強との不平等を撤廃した関税自主権回復にも尽力。近代日本外交史に大きな足跡を残しました。また長男の欣一は、母校日本中学を卒業し、父と同じ外交官の道を選びました。


広報部会 S56卒 安齋

1 件のコメント:

20020323 さんのコメント...

私、小村寿太郎東京奉賛会の副会長を努めております。昨年3月には杉浦先生のお墓に参ってきました。小村侯の親友は杉浦先生お一人と言っても過言はないほどと考えております。小村候に関する何か交流の深さをうかがい知れる資料はありませんでしょうか?総会で案内できればと考えております。