2016年12月8日木曜日

菱田春草の切手 文化人切手(第一次)

文化人切手(第一次)18種が1949年~52年にかけて発行されました(物故者)。その18枚のなかに日本学園の前身「東京英語学校」の出身の菱田春草がありますのでご紹介いたします。以下18名が文化人切手です。1枚8円から10円で現在、18種類全てが額面以上というプレミア切手シリーズとなっております。もう1枚菱田春草の代表作で重要文化財の「黒き猫」も切手になっております。そして同じく「東京英語学校」の出身の横山大観は「富嶽飛翔」、「夜桜」、「無我」の3点が切手になっております。

野口英世 福沢諭吉 夏目漱石 坪内逍遥 九代目市川団十郎 新島襄 狩野芳崖 内村鑑三 樋口一葉 森鴎外 正岡子規 菱田春草 西周 梅謙次郎 木村栄 新渡戸稲造 寺田虎彦 岡倉天心(発売順)

菱田春草と横山大観について:日本学園の前身「東京英語学校」の出身の菱田春草(1874~1911)と横山大観(1868~1958)は共に近代日本の日本画の表現方法に画期的な技法で挑んだ日本が誇る天才画家です。「東京英語学校」時代から絵画に興味があり共に「東京美術学校」(現東京芸術大学)に進みます。二人は齢こそ違いますが「東京英語学校」、「東京美術学校」の二校で学んだ間柄で無二の親友、常に行動を共にし西洋画の画法を取り入れた輪郭線を描かない先進的な没線描法の日本画を次々に発表します。しかしこの実験的な手法は保守的風潮の強い当時の画壇ではまったく評価されず、この描き方は曖昧で勢いに欠ける画風という批判的な意味を込めて朦朧体(もうろうたい)と呼ばれていました。この保守風潮の強い日本画壇で活動に行き詰まりを強く感じた二人は意を決して海外に渡り、まずインドへ向かいます。現地で描いた絵が売れて少額ですが資金を得て帰国。続いてアメリカに渡り展覧会を開き絶賛を浴びることになります。ここで資金を得た二人はその足でヨーロッパに渡りイギリス、ドイツ、フランスにて展覧会を開きここでも高い評価を受けることになります。この二人の海外での高い評価が次第に日本にも伝わり、この朦朧体という画風が評価され始めることになります。大きな志を持った二人が成功を収めた背景には「東京英語学校」で習得した英語が大いに役に立ったのは間違いありません。菱田春草は「東京英語学校」で横山大観の後輩でしたが、36歳という若さでこの世を去り、彼のずば抜けた才能を若い時から見い出していた大観はどんなに自分の絵を褒められても、“春草君は俺なんかよりずっと上手かった”という逸話が残っています。

梅窓会 昭和44年卒 中村 隆

菱田春草
切手帳に貼り込んだ文化人切手(第一次)18種。左上が菱田春草(著者所有)

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