2012年5月13日日曜日

スペシャルサイト「我ら日校健児」第7回-前編・配信!

激動の時代を乗り越えてきた日本学園OBの自伝・インタビューを掲載するスペシャルサイト「我ら日校健児」第7回前編を配信いたします。早稲田大学・応用化学科を卒業した堤氏は競争率30倍という難関を突破し、磐城セメントに入社。同社の栃木工場へ配属されます。新入社員としての初仕事は、戦後最大規模を誇る「五十里ダム」建設に使用されるセメントの品質設計・製造でした。数十年、さらには百年に及んでも安定した高強度を維持し、天変地変に耐え得るダム用セメントの開発に、戦後日本の発展を重ね合わせ、仕事に打ち込む堤氏。テレビの試験放送も始まり、世はまさに高度成長に向かってまっしぐらに突き進んでいきます。そんな時代の中で堤氏は結婚し、ふたりの娘さんに恵まれ、父親としての人生も歩み始めることに・・・。堤氏は今回も往時を在りのままに伝えたい、という願いを込めて原文へ大幅な加筆・推敲を行ってくださいました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。ダイナミックな時代の変化と共に堤氏のパワフルなエンジニア人生が始まります。

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梅窓会 広報部会

【堤先輩・思い出の写真館】
広報部会では前回に続き堤先輩に家探しをお願いし、今回も貴重な御写真を拝借することに成功いたしました!第2回目は、なんと旧制・日本中学校・生徒時代の堤先輩です!どうです!前回の帝国海軍・飛行兵時代とは比較にならないくらいイタイケでしょう!徽章・ボタンが校章「八咫鏡」であることも分かります!在校生諸君、これが俊英と謳われた旧制・日本中学校の新入生だ!堤先輩、ありがとうございました!引き続き家探しをお願いいたします!

日本中学校一年生:1939年(昭和14年)


一年生全員で千葉の干潟で潮干狩り。
堤先輩がどこにいるのか、ご自分でも分からないそうです

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

堤先輩の青少年時代の写真を拝見できるとは思っていませんでした。まさに、純粋に勉学のみに励まれているといった印象を受けるお姿ですね。
千葉・潮干狩りの写真は中央左、はしけに半分腰掛け、身を乗り出している少年が先輩の英姿ではありませんか?
それにしましても、当時の「日本学園」の生徒は皆さん「清閑でお利巧な若者達」という印象を受けますね。