学校法人明治大学と本学園との下記報道がされましたので掲載します。
「学校法人明治大学との基本合意書締結について」
詳細は下記URLを参照して下さい。
https://www.nihongakuen.ed.jp/nichi-blog/info/24537/
時代の流れと受け止めます。しかし、校歌、校章、校旗と1号館、杉浦重剛先生銅像、壁面訓は、『必ず』残して下さい。母校の魂ですから。それが学園、梅窓会の責務と考えます。
以前も何度かコメントさせていただきました昭和最後期のOBです、いつも御活動お疲れ様です。今回の件非常に残念でなりません。これからの学校経営、運営等未来へ向けての選択であること、またこれから中、高校生になる子供達にとっては良いニュースだと理解しているつもりです。しかし他に選択肢は無かったのでしょうか?単一校の男子校として残る事は無理なのでしょうか?基本合意ということですがこれからの数年ただただ進捗状況を見守って行く事しかOBはできないのでしょうか?数名の先輩、後輩と私の気持ちを好き勝手言わせていただきましたがお許し頂ければ幸いです。校名が消え、校歌、学園歌が消え、学舎もどうなるかわからない………無力さと虚しさだけが心を支配しております。本当に悲しいです。
もはやどうでもいい気持ちですが、一号館、校歌、杉浦先生像、壁面訓、校内の緑地・樹木だけは「死守」してください。これだけは、どうでもよくありません。
全ては未公開で進められているようですが、せめてこうしたOBの悲痛な要望は梅窓会として動く時ではありませんか。全てが消えるのには耐えられません。
今日のニュース見ると世間では系属校を付属高と勘違いしているのが多い。系属校は付属とは違う点をせめて梅窓会はOBにしっかり明言すべきと思います。やはり世田谷の立地条件は大変な人気になりそうですね。何故この松原の立地(宝)をこれまで学園経営に活用し再建できなかったのか。
日本学園は1885年に創立され、1892年に『日本』という名を背負ってから129年という長きにわたる時を刻んでいます。そして数多の優れた人材を輩出し、(明治大学総長、野球部主将もいます。)関東大震災、第二次世界大戦の大きな荒波をも乗り越え、連綿とその名をつないできました。しかし、この度は自然災害でも戦時でもない、この今に校名が変更となる。はるか明治時代の卒業生から令和の卒業生まで慣れ親しんできたこの校名を、ほんの今、学園にいる方々が変えるのです。少子化へ厳しい生き残りへの対策とそのご苦労は重々承知し、また拝察しますが、この歴史の重みはご認識いただきたい。先のOBの方々のコメントにもあるように、一号館と校歌、八咫の鏡、杉浦先生像、壁面訓、クスノキについて、学園は絶対護るべきです。また梅窓会もその働きかけをおこない、経緯については総会、常任幹事会、会報等を通じて、OBに丁寧に説明されることが必要と考えます。
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6 件のコメント:
時代の流れと受け止めます。
しかし、
校歌、校章、校旗と
1号館、杉浦重剛先生銅像、壁面訓は、
『必ず』残して下さい。
母校の魂ですから。
それが学園、梅窓会の責務と考えます。
以前も何度かコメントさせていただきました昭和最後期のOBです、いつも御活動お疲れ様です。
今回の件非常に残念でなりません。これからの学校経営、運営等未来へ向けての選択であること、またこれから中、高校生になる子供達にとっては良いニュースだと理解しているつもりです。
しかし他に選択肢は無かったのでしょうか?単一校の男子校として残る事は無理なのでしょうか?
基本合意ということですがこれからの数年ただただ進捗状況を見守って行く事しかOBはできないのでしょうか?数名の先輩、後輩と私の気持ちを好き勝手言わせていただきましたがお許し頂ければ幸いです。
校名が消え、校歌、学園歌が消え、学舎もどうなるかわからない………
無力さと虚しさだけが心を支配しております。本当に悲しいです。
もはやどうでもいい気持ちですが、一号館、校歌、杉浦先生像、壁面訓、校内の緑地・樹木だけは「死守」してください。これだけは、どうでもよくありません。
全ては未公開で進められているようですが、
せめてこうしたOBの悲痛な要望は梅窓会として動く時ではありませんか。
全てが消えるのには耐えられません。
今日のニュース見ると世間では系属校を付属高と勘違いしているのが多い。
系属校は付属とは違う点をせめて梅窓会はOBにしっかり明言すべきと思います。
やはり世田谷の立地条件は大変な人気になりそうですね。
何故この松原の立地(宝)をこれまで学園経営に活用し再建できなかったのか。
日本学園は1885年に創立され、1892年に『日本』という名を背負ってから129年という長きにわたる時を刻んでいます。
そして数多の優れた人材を輩出し、(明治大学総長、野球部主将もいます。)関東大震災、第二次世界大戦の大きな荒波をも乗り越え、連綿とその名をつないできました。
しかし、この度は自然災害でも戦時でもない、この今に校名が変更となる。はるか明治時代の卒業生から令和の卒業生まで慣れ親しんできたこの校名を、ほんの今、学園にいる方々が変えるのです。
少子化へ厳しい生き残りへの対策とそのご苦労は重々承知し、また拝察しますが、この歴史の重みはご認識いただきたい。先のOBの方々のコメントにもあるように、一号館と校歌、八咫の鏡、杉浦先生像、壁面訓、クスノキについて、学園は絶対護るべきです。また梅窓会もその働きかけをおこない、経緯については総会、常任幹事会、会報等を通じて、OBに丁寧に説明されることが必要と考えます。
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