2010年12月12日日曜日

坂の上の雲と明治時代の母校先人に思いを馳せて(その1)

NHK制作の3年に渡る気合いの入ったスペシャルドラマ、
坂の上の雲、ご覧になっていますか。
先日第2部が放映開始されました。
松山出身の正岡子規と秋山好古、真之兄弟3人の若者を中心に
激動の明治時代を壮大に描いた物語。
時代背景やストーリーの余りのスケールの大きさに正直圧倒されます。

しかし、ここに母校の先人たちが深く関わっていたとしたら・・・
遥か遠いと思った時代からちょっと親近感が湧いてきませんか。
今回はその先人たちをご紹介いたします。

昨年第1部の放映では主人公の二人正岡子規と秋山真之が、大志を
抱きて故郷松山から上京。共立学校で学び、明治17年揃って念願の
大学予備門(のちの一高、現在の東大教養学部)へ入学を果たします。
そして、まさにこのときの大学予備門の校長が、
我らが校祖杉浦重剛先生でありました。
明治9年英国留学の頃の杉浦先生(22歳) 

さらにこのときの入学者には、後に子規と親友となる夏目漱石もおりまして。
なんと豪華な面々・・・

若き杉浦校長は、彼らとどんな言葉を交わしていたのでしょうか。
ドラマの映像とシンクロして、そうした場面を想像するとロマンに駆られます。
(この翌年明治18年に母校の前身東京英語学校が創立されました。

正岡子規はその後帝国大学に進学するも明治25年中退し、新聞「日本」に入社。
記者兼俳句、短歌担当となり文芸活動を展開していきます。
ドラマでは病を認識した子規(香川照之)が陸羯南(佐野史郎)に
固い決意で、入社を請うシーンが印象的でした。
そしてこの新聞「日本」にも、杉浦先生が創刊から尽力されていたのであります。

さらに新聞「日本」と子規、母校先人たちの深い関わりは続きます。
明治34年には、大先輩である鈴木虎雄氏が入社します。

このお方は、明治24年東京英語学校を卒業され、東京府尋常中学、一高、 
東大漢文科を卒業。正岡子規の根岸短歌会にも学生のころから参加し、
中国文学者として長年の功績から昭和36年文化勲章を受章されています。
新聞「日本」では病に倒れた子規に代わって短歌の選者を勤めたとあります。
ちなみに奥様は主筆陸羯南の次女鶴代。彼の学才と人柄が羯南に高く
評価されていたとのことです。

そしてもうお一人。さきの『日校健児に流れる文武両道の遺伝子。(その2)』
でも登場した長谷川如是閑氏。

学生野球の偉大なる発案をされた大阪朝日新聞時代より以前、
新聞「日本」の記者として活躍されていました。
如是閑氏は明治22年に東京英語学校入学、
26年東京法学院(現中央大学)に進み、卒業後、新聞「日本」へ。
明治34年に入った鈴木虎雄氏の1年後の入社とあります。

ドラマ第2部もいよいよクライマックスとなりますね。
そしてこの後も、坂の上の雲、と大きく関わる母校先人が現れます。
参考文献 学校法人日本学園「日本学園百年史」、同「百の年輪」、
日本学園ホームページ(沿革)

広報部会 S56卒 安齋 

2 件のコメント:

S44卒 中村 さんのコメント...

杉浦先生の教えが日本の政治・経済・文化・芸術まで幅広く大きく影響していたことがわかりますねえ。
素晴らしい記事をありがとうございました。
記事は、その2と続くのですねえ。
期待してます。

S56卒安齋 さんのコメント...

その2作成予定です。
ドラマの展開と合いそうです。ありがとうございました。
あとその後の調べで、杉浦先生と夏目漱石に良い関係があるのが分かりました。