2010年12月22日水曜日

「漢の花園」ANNEX(山茶花と母校編)

みなさま、お寒うございます・・・。この季節の風物詩といえば、
落葉焚きであります。しかし、最近では防災管理が何かとうるさく、
都内で焚き火をする情緒あふれる風景は見られなくなりました。
焚き火で思い出すのは、今も昔も童謡「たきび」です。

落葉を掃き集める中学生たちと山茶花。落葉焚きの季節。 

「さざんかさざんか咲いた道~♪(2番)」で始まる童謡「たきび」を
作詞されたのは巽聖歌(たつみせいか1905年~1973年)。
近代日本の児童文学・少年詩・近代短歌の創世記に
最も重要な影響を与えた作家のひとりであります。
この巽氏の才能を高く評価したのが北原白秋でありました。

淡い紅をさした蕾も美しい。 

北原白秋は大正7年(1918年)夏目漱石門下の児童文学者、
鈴木三重吉が主宰する児童文学誌『赤い鳥』の創刊に参加します。
この『赤い鳥』の創刊には、芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、高浜虚子など、
そうそうたる文学者たちが賛同しました。
その中に、我らが日本学園(日本中学校)を卒業し、一高、帝大英文科を経て
夏目漱石門下としてデビューした作家、森田草平氏がいました。
「たきび」を作詞した巽聖歌は、この『赤い鳥』に創作の場を得たことから、
その後の児童文学史に鮮やかな足跡を刻んでいったのです。


 
森田草平:明治14年(1881年)~昭和24年(1949年) 
しかし、イイ男だなぁ・・・。こりゃ女性にモテるわけだわ・・・。 

鈴木三重吉を中心に森田先輩らが一丸となって創刊した『赤い鳥』、
それは、子供の純性を育むための話・歌を世に広める文学的潮流、
「赤い鳥運動」へと広がり、それまでの政府主導型の児童唱歌には見られなかった
芸術的な香気と音楽的エッセンスを持つ、数々の作品を世に送りだしていきました。
国民的愛唱歌として親しまれるようになった巽聖歌の「たきび」は、
この赤い鳥運動を揺籃として生まれた歌でもあるのです。
若き巽聖歌と文壇の論客、森田先輩は、どんな夢を語り合ったのでしょうか。

山茶花は今が開花時期ですが、親戚の椿はもっと寒くなってから咲きます。

赤い鳥運動をルーツとする児童文学の芥川賞、「赤い鳥賞」は、
今年2010を最後に40回の歴史を重ねてきました。森田先輩らが児童文学・
唱歌に注いだ情熱が、近現代の子供たちに与えてきた感化は計りしれません。
しかし、この森田先輩の人生は”児童文学の純性”とは程遠い
破天荒極まりないもの。それも”芸術家の純性”がなせる技でありましょうか・・・。
生徒諸君、森田先輩のマネだけは絶対しないように。はっきり言って過激です。

森田草平先輩については以下をクリック!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E8%8D%89%E5%B9%B3

花一輪にも日校健児の物語があるのものです・・・ 

広報部会 S56卒 永澤

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