2012年2月8日水曜日

池上彰と学ぶ「日本の総理」第1号に校友吉田茂が登場!

もうみなさん書店で目にしているかもしれませんが、小学館ウィークリーブック・池上彰と学ぶ「日本の総理」第1号に吉田茂(第45・48~51代内閣総理大臣)が選ばれました。トレードマークの葉巻をくゆらす表紙写真に、“戦後のワンマン宰相”“いまの日本の基礎を築いた人です” という副題が出ています。お値段は創刊記念号につき390円です!(小学館発行2012年1月10日発売)

 
(発行編集人-掲載了解済み) 

本書は写真、イラスト、年表をふんだんに使用し、プロフィールから大仕事、大一番と銘打った業績、交際人物などが分かりやすく解説してあります。ちなみに“人物伝総理への道”で、日本中学の名がでてきます。梅窓会ブログでは、この冊子には書かれていない大宰相吉田茂と母校の関わりについて、校友紹介のバイブル「日本学園百年史」を紐解きながら、ご紹介したいと思います。

<日本中学校正門・半蔵門時代>

半蔵門時代の日本中学へ入学

吉田茂は15歳までを藤沢にあった耕余義塾という学校で学び、明治27年16歳で日本中学に入学しました。時の校舎は半蔵門にあり、発祥の地であった神田錦町から移転した数年後の頃です。ここで1年間、杉浦校長の下で学びました。学園には当時の貴重な成績表がいまも残されています。(校長先生の日記-吉田茂の通信簿-をご覧ください。)そして5年生となった翌年9月、受験した高等商業学校(現一橋大学)に合格したため、転校していきました。しかしその後は、23歳で東京帝国大学に入るまでの間、実に多くの学校をめまぐるしく渡り歩きます。「日本学園百年史」では、このことについて「評伝吉田茂」(著者-猪木正道)の文を引用し、“本当のところはわからないが、自分に適する学校を見つけるまで、容易に妥協しない性格がここに示されていると思う”というくだりに触れ、後年の頑固な人柄の片鱗が青年期にすでに見い出せるとしています。

杉浦校祖を尊敬し、母校を愛した吉田茂

吉田茂が在籍したのは1年間でしたが、校祖と母校への思いは50年以上経ても変わることはありませんでした。それは昭和26年、戦後の独立という国の命運がかかる講和会議を控えていた時期に来校したことからもうかがえます。

1号館を出る吉田首相と学園生徒の熱い歓送!近過ぎます! 

昭和26年9月8日、サンフランシスコ講和会議に出席。吉田茂は全権首席として平和条約に調印、大役を果たしましたが、そのわずか2ヶ月ほど前の6月20日、超過密スケジュールを縫って来校、学園創立記念の祝賀と記念講演をおこないました。

毎日新聞は当時の様子を次のように伝えています。 「母校なつかし、吉田さんもみくちゃ 五十余年ぶり日本学園へ」 という見出しに続いて、白服の首相は生徒達が緊張した目で見上げる講堂の壇上から「なにせ五十何年も前のことですから…」と古い記憶をたどりながら、同校を創立した杉浦重剛校長の人格をしたって明治27年から約1年、当時半蔵門にあった学校で中学四,五年時代を過ごしたころを追憶してから「軍備を持たない日本を再建するには外交のカンが唯一のものであります。そのカンというものは外国に対する深い知識によって初めて生じるのであり、若い諸君がこのカンを体得した時にかつての日本以上に優れた国ができるのです。」と判り易くじゅんじゅんと外交立国論を一くさり。約廿分の講演ののち1年生の大ぜいにもみくちゃにされる歓送を受け大にこにこで引き揚げた(略)。(日本学園沿革より)

とあります。ひょっとしたらですが、重圧を背負って講和会議に向かう際、この時歓迎を受けた学園生徒の笑顔を日本国民の姿として重ねて、気持ちを奮い立たせていたのかもしれません。

 
            日本学園・資料室の重宝「天台学堂」の揮毫


上の写真は母校・日本学園への来校を記念して書き贈った「天台学堂」という揮毫。(ちなみに天台とは校祖の号で、杉浦重剛先生の学校という意味です。素准というのは吉田茂の号です。)日本学園・資料室の重宝のひとつとして大切に保管・展示されています。

実はこのあと、吉田茂はもう一度母校へ戻る機会があったのです。それは3年後の杉浦先生の命日である昭和29年2月13日「杉浦重剛先生30年祭」が講堂でおこなわれた時でした。当初は参列予定でしたが、数日前から私邸のある大磯で病気療養となり、やむを得ず秘書官を代理として参列させ、内閣総理大臣 吉田茂として祭文を捧げたのであります。この祭文には校祖への深い尊敬の念と、祖国再建に邁進する決意が述べられていました。

なお日本学園では、毎年2/13の命日に杉浦校祖を偲ぶ「景仰会」が行われています。「景仰会」は全校生徒に向けた校長の講話と、生徒有志による杉浦先生の墓参を組み合わせた日本学園の伝統行事。生徒たちは「景仰会」を通じて、杉浦校祖の薫陶に触れ、我が国の近現代史を切り拓いてきた偉人を輩出する日本学園に学ぶ誇りを新たにしています。

文京区「伝通院」にある杉浦先生の墓所はこちらをご覧ください。
http://baisoukai.blogspot.com/2011/01/annex.html


広報部会 S56卒 安齋

2 件のコメント:

日学OB さんのコメント...

吉田茂先輩は数々の学校を渡り歩いたようですが、その中で最も愛していたのが日本学園だったのですね。大変勉強になると同時に母校への誇りを改めて深くする思いです。天台学堂の揮毫は日本学園にしかない貴重な宝物です。他にも数多くの貴重な資料な記録が保管されていると思いますので、ぜひ紹介して欲しいです。これからもOB偉人伝を楽しみにしています。

匿名 さんのコメント...

昨日「日本の総理」を書店で購入しました。池田総理・岸総理も発売されていました。シリーズ一号を飾る首相がOBである母校に誇りを感じます。日本学園OB