2014年5月25日日曜日

毎日がいっしょうけんめい。
8年間の校長時代を振り返って。

2月中旬にお届けいたしました『Baisoukai Today』。広報部会では、OB・生徒・学園関係者以外のみなさまにも、本校OBの素晴らしさを紹介したいと願い、同冊子に掲載された記事の中から、最新のインタビューを梅窓会ブログで発信して参ります。2014年度の第一弾は、第15代校長として活躍され、名門回帰への道筋を切り拓いた谷川平夫先輩(S34年卒)が登場!待望のOB校長誕生のいきさつ、名門回帰に向けた新戦略、一号館耐震工事の舞台裏などなど、母校と生徒を愛し、全力で駆け抜けたドラマチックな8年間を語ってくださいました。

     

学校法人日本学園 
第15代校長・元特別顧問 
谷川平夫(昭和34年卒)
Profile
1959年、日本学園高等学校卒業。東京大学文学部卒業後、読売新聞社に入社。パリ支局長などを務める。国際問題担当論説委員を経て論説副委員長。退職後、帝京大学教授。200510月に日本学園・校長に就任。2013年4月~2014年3月まで日本学園・特別顧問として活躍。

■母校の校長に就任された経緯を聞かせてください。
私が校長に就任したのは200510月でした。それ以前は、大学の教壇に立ちながら、梅窓会の副会長を務めていました。日本学園の理事会から校長就任の要請を受けたとき、まず考えたのは“中等教育の現場を知らない、まったくの素人である自分に校長という重責が務まるのだろうか”ということでした。しかし“母校再建のため”という理事の皆様の言葉に突き動かされ、愛する母校への恩返しのつもりで校長就任を決意しました。諸事情あって年度の途中である10月の就任だったので、翌年の入試も迫っており、心機一転となるべき新校長の就任には相応しくないタイミングでした。さして深刻な気持ちにもならずに校長生活をスタートしたのは、まさに“素人の怖いもの知らず”だったと思います(笑)。


校長室ドアの常時開放や休日返上のクラブ応援など、
生徒とのふれあいを何よりも大切にした谷川先輩。

■校長に就任して実感されたことは?
ご存じの通り、当時の母校は進学実績において自慢できる状況ではありませんでした。また、少子化に伴う他校との競争激化により、新入生も減少傾向にあり、このままでは学校経営が暗礁に乗り上げる可能性がありました。“大胆かつ戦略的な改革を行わない限り、母校の再建はあり得ない”。これが就任した頃の実感です。しかし、改革と言っても事は単純にはいきません。たとえば、入試問題のレベルをいきなり上げても、確かな進学実績がなければ受験生は集まらないし、経営の安定化を図ろうとすれば、レベルアップを諦めて生徒数の確保に走らざるを得ません。『質と量の両立』は本校のみならず、少子化時代における私立中等教育機関の最重要課題なのです。



■課題解決のために行った改革とは?
本校の『教育の質』を根本から向上させることでした。その第一弾が3つの『にちがく信条』の制定です。校祖・杉浦重剛先生は、さまざまな格言や訓戒を残されていますが、本校の『校訓』として明文化されたものはありません。そこで先生方と共に“私たちは、この決意で教育にあたります”というコンセプトを明確化しました。本校が長い歴史の中で培ってきた教育への取り組みを現代風に解釈し、生徒たちにも分かる言葉で発信することから始めたのです。また、2007年を『にちがく元年』と位置づけ、コース制を導入しました。中学校に『難関大学コース』を、高等学校にも『特進コース』を加えることで、文武両道の進学校へ回帰する方向性を明確に打ち出したのです。

さらに本校独自の『創発学』を導入しました。『創発学』は、自己啓発的なキャリア教育と実体験を重視する校外学習を組合せ、生徒の創造力と自己発信力を引き出す教育カリキュラムです。私は新聞記者だったので“現場での実体験に勝る学びはない”と考えていました。林業・農業・漁業などの現場を体験することで、人間の営みを原点から見つめ、クリエイティブな感性を育てることもその一環です。『創発学』を通じて、一人ひとりの総体的な『人間力』を高め、学ぶ歓びと意欲を育み、大学受験でも他校の生徒に負けない実力をつける。その成果は、本校の外部評価を着実に高めてきたと自負しています。

「私も君たちといっしょに日本学園を卒業します!」
校長時代の最後を飾る言葉となりました。
2013年3月『吹奏楽部・定期演奏会(エコルマホール)』にて。

■校長時代で最も達成感を味わったことは?
ひとつはOBをはじめとする皆様のご協力で、2010年に一号館の耐震工事を実現できたことです。2008年に中国で四川大地震が発生し、多くの学校が倒壊したことを教訓に、日本政府は校舎の耐震工事費用の補助金を最大8割まで引き上げました。このチャンスを活かさない手はありません。一方、私たちが危惧したのは耐震診断の結果、一号館の老朽化が予想以上に激しく、使用禁止や建て直しの診断が下されることでした。
 
そこで本校OBでコンクリート工学の権威である横浜国立大学・名誉教授のY氏に見立てていただいたところ、今でも充分な強度があり、耐震工事を施せば心配ないだろう、というお墨付きを頂戴しました。さらにラッキーだったのは、耐震診断の結果、最大8割の補助率が適用されたことです。一号館の耐震工事は、母校・OB・学園関係者が一丸となって成し遂げた、まさに記念すべき事業といえるでしょう。もうひとつは明治大学と『高大連携』です。『高大連携』については小岩校長を中心にさまざまな取り組みが進んでいます。その成果が具体的に表れる日も遠くないと確信しています。


特進クラス1期生OB・早川君(右・H23年卒・早稲田大学)
飯島君(左・H23年卒・青山学院大学)と校長室で取材を受けました。
<進学情報誌『サピア』2011年10月号『母校再訪』より>

■校長生活8年間を振り返って思うことは?
教育は成果が表れるまで時間がかかる仕事であり、実現できなかったことも、やり残したことも多々あります。しかし、“母校再建の基本的な枠組みだけは作ることができたのかな”と思っています。8年間を通じて様々な無理を聞いてくださり、教育改革を共に推進し、今も改革の先頭に立っていらっしゃる先生方、私たちの期待に応えてくれた生徒たち、そしてご協力いただいたOBの皆様に深く感謝いたします。来年、母校は創立130周年を迎えます。日本学園が未来に向かって飛躍するのは、まさにこれから。OBの皆様には母校への一段のご支援をお願い申し上げます。

梅窓会 広報部会

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