2011年3月31日木曜日

スペシャルサイト「我ら日校健児」第2回配信!

日本学園に学び、激動の時代を乗り越えてきた卒業生の自伝・インタビューを掲載するスペシャルサイト「我ら日校健児」第2回を配信いたします。スタート以来、各方面から絶賛をいただいている堤健二氏著『人生と出逢い』。物語の舞台は我らが母校、日本学園(日本中学校)へ移ります。堤氏は第2回配信に当たり、往時の学園生活を読者にお伝えしたいという願いを込めて、特に大幅な加筆・推敲を行ってくださいました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。移転・竣工した白亜の松原校舎、綺羅星のごとき教授陣、智徳体を磨く生徒の群像。名門・日本中学校に学ぶ堤氏の躍動感あふれるドキュメントをご堪能ください。

梅窓会 広報部会


青年への自覚

堤  健 二(昭和19年 日本中学校卒)

前回は私が日本中学校に入学するまでの幼少年期の世相・生活環境の中で、私がどう育って行ったかということを、子供の視線で描いてみました。当時の世相は世界的な不況の影響もありますが、日本自体が余りにも貧しく、これを少しでも緩和するべく軍事は益々拡大し、しかもこれが日本経済を更に窮地に追いやり、やがては対米戦すらも想定させる逼迫した様相を呈しておりました。そうした厳しい環境の中にあったこの時期、当時の生徒学生にとっては一般的なことでしたが、国の為にどう学び、働き、どう戦い、どう生き抜くべきか、最後があるとすればどう迎えるべきか等々、個人的に程度の差はありますが、それなりに悩み、自覚するよう促されていたわけです。そして『万葉の心』『武士道の精神』なども広く見直されていました。

今回はいよいよ少年から青年へと、そしてやがては大人に向かって人格形成の第一歩を踏み出すことになる中学生時代について、入学のところから海軍に入隊するまでの約三年間の諸々のことを述べてみます。父の推薦で入学した日本中学校、そこでは真っ向から『大日本人たれ!』という杉浦重剛先生創旨に基づく教育からのスタートでした。四月三日入学第一日目の月曜第一時限教科が猪狩校長著『杉浦重剛先生小伝』の講義で始まり、続く二時限目は英国人を父親に持つ日系二世であるジェームス・ハリス先生のオンリーイングリッシュ会話でした。小学校時代とは一線を画して背中にサッと気合いが入った思いのスタートでした。以下本校教育のユニークさと、私たち生徒に精神・学業・体育など多くの面で強烈な影響を残された恩師の諸先生方、或いは共に議論し錬磨し合った友人達などを中心に、今なおその印象は鮮烈にそして懐かしくもある中学時代生活の一端ではありますが申し述べ、そしてそれが次の海軍時代に始まり、敗戦から復興への永い生涯に亘って、いかに大きな影響を残していったかという点についてもお話さして貰いました。本来日本人の倫理哲学であり、総ての行動の原点である『武士道の精神』『葉隠の魂』にもふれてみました。

*実はこの自伝を記述していて重要なことに気が付きました。今まで、私の生涯を通して最も大きく影響を残した要素は、青年期の始まり、主として海軍時代に形成されたものとばかり思いこみ、しかも事実・内容を好く吟味することも無しに迂闊にも七十年近く周辺の方々にもお話してきたのですが、今、頭の襞の間に埋もれた追憶を追求してゆく過程で、なんと実は中学生在校時代にこそ育成されたものー気力・知力・体力などの素質こそ、正に海軍時代の錬磨をよく支え、それがやがては我が生涯に亘っての人生観の基本になっていったことに気がついたのです。『人間過去を浚っても何もない、ただ前向きにこそ。』と言われる方もおられるが、『己の道跡を自覚すればこそ、将来に向かって力一杯、直向きに己を変える第一歩を踏み出せるのでは』と私は思うのです。さあ!私の青年期プロローグ第一歩の始まりです。

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2 件のコメント:

和田英昭 さんのコメント...

長い人生をどう生きるか、それはどこで培われたのか、大先輩が過ごした過程を知ることにより、大いに参考となり、自分を顧みる必要を感じました。ひたすらに前へ、ではなく
過去を顧みながら成長していくことに感銘しました。S37卒 和田英昭

S56卒永澤 さんのコメント...

毎回楽しみにしています。激動する時代の中で当時の青年たちが何を考え、いかに行動したかが鮮やかに描かれており、実に読み応えがある自伝です。特に今回は往時の日本学園が舞台であり、在校生諸君にもぜひ読んでいただきたい内容だと思います。母校が名門たる所以は単なる歴史の長さではなく、高い見識と志を持つ先生・学生たちの人生の集積であることを実感いたしました。次回も大いに期待しております。