2015年2月8日日曜日

先輩達の卒業アルバム

中学の入試も終わり、高校入試も一般入試を残すのみとなりこれが終了すれば、あとは37日の卒業式を待つばかりとなりました。
さて、ここに一冊の戦前のアルバムがあります。東京商科大学(現在の一橋大学)の卒業記念アルバムです。なんと310ページに及ぶ大変豪華な内容のアルバムです。背文字は「東京商科大学卒業記念帖」とあり、表紙は校章である白蛇(商業の神と言われている)が描かれております。昭和16年(1941年)12月の発行となっています。
中をおもむろにめくってみますと、沢山の卒業生の顔写真が掲載されておりますが、そのなかに日本中学校を卒業した我々の大先輩のお二人が出ております。お名前を紹介しますと河村友三先輩と都竹憲太郎先輩です。河村先輩は三菱銀行、都竹先輩は三菱鉱業に就職先の会社名が記されております。なお都竹先輩のクラブは体育系で柔道部なのです。
両先輩は日本学園が新宿淀橋から世田谷松原の現在の地に移ったのが昭和11年(1936年)10月ですので計算してみますと、この松原校舎での最初の卒業生だと思われます。
なお英米に宣戦布告し太平洋戦争が始まったのはこのアルバムのできた月、128日であります。卒業式といえば通常は3月ですが、この当時政府より発せられたのが兵員不足を補う為に実施された《学徒出陣令》で、これによって卒業が3ヶ月早まり12月卒業になり、直ぐに徴兵検査の後、2月に軍隊に入隊する事と新たに定められます。卒業にあたりお二人の言葉が添えられていますので下にご紹介しましょう。日本を代表する大企業に就職先も決まり戦争のことなど何も感じさせない文章ですが、我々には想像を超える心境で書かれたのではないでしょうか。

河村友三先輩
長い様だった学生生活もあわただしく終わるというようなことになり、今迄何をして来たことか。一体何が得られたかを考へ、今後一層勉強しようと思っています。

都竹憲太郎先輩
学生という特権の陰に色々の事を行って来たが、いよいよ赤裸な社会生活の入ることになった。進む為には退かねばならぬという、残された二カ月を更に深く一橋生活に沈潜させようと思う。人生はこれからだ。

 

広報部会 44年卒 中村 隆
 
 
下の写真は左クリックすると拡大されます。
 
当時の東京商科大学(現在の一橋大学)の卒業記念アルバム



河村友三先輩(上)と都竹憲太郎先輩(下)。出身校の日本中の文字。

 
柔道部の都竹先輩(左から二人目)
 
河村先輩の卒業の言葉
 
都竹先輩の卒業の言葉
 
 
 
 

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