2020年・東京オリンピック・パラリンピック開催が決定しました!7年後に母校のある東京で、どんな熱いドラマが繰り広げられるのか、はたして日本代表選手となる母校OBアスリートは選出されるのか?などなど・・・今から期待が高まります!そこで母校を象徴する”Mr.オリンピック”をご紹介しましょう!1952年のヘルシンキから4大会連続でオリンピックに出場し、日本選手史上最多の13個のメダルを獲得した体操選手・小野喬(たかし)氏です!小野喬氏は母校OBではありませんが、
昭和30年代に日本学園の体育講師としてご活躍されました。現在60代後半~70代のOBで小野先生の薫陶に触れた方も多いのではないでしょうか。
東京オリンピック体操団体の表彰式。表彰台に立った小野先生は1952年のヘルシンキから
4大会連続でオリンピックに出場し、日本選手史上最多の13個のメダルを獲得した名選手。
小野先生は1931年秋田県生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)3年のとき、ヘルシンキ五輪に出場し、日本初の銅メダルを獲得。東京オリンピックまでの4大会連続で体操の日本代表となり、金メダル5つを含む日本人最多のメダル13個を獲得しました。1964年の東京オリンピックでは、日本選手団主将に指名され、開会式で選手宣誓を務めました。東京オリンピックの頃は選手のピークを過ぎており、肩の故障を引きずったまま演技に臨みましたが、個人でのメダル獲得はならず、団体総合の一員として金メダルを授与されました。小野先生のメダル獲得の記録は歴史的な偉業であり、日本のオリンピック選手として出場した全ての大会でメダルを獲得し、夏季大会4大会連続メダルは谷亮子が更新するまで日本人最多(男子では2013年現在も最多記録)、さらに獲得メダル最多記録も破られていません!
いまもお元気で活躍されている小野喬先生
さらに小野先生は、お隣の二階堂学園の常務理事も務め、1998年に国際体操殿堂入り。2011年には「東京都名誉都民」に顕彰。現在は日本スポーツクラブ協会名誉顧問としてご活躍中です。母校OBとも深い絆で結ばれたMrオリンピック、小野喬先生。これからも日本のスポーツ界をリードする名選手で在り続けることでしょう。
1964年・東京オリンピック・小野喬先生の映像はこちら!
2011年「東京都名誉都民」顕彰式インタビューはこちら!
「笹川スポーツ財団」インタビュー『オリンピアンかく語りき』はこちら!
2020年・東京オリンピック・パラリンピック招致についても語っています。
梅窓会 広報部会