2010年12月31日金曜日

それでは良いお年を...

これにて本年の更新を終了致します。
梅窓会ブログをお読みいただき、ありがとうございました。
来年も強力な広報部会メンバーにより、新しい企画などを準備中です。
梅窓会会員の情報発信の場として、来年も梅窓会ブログをよろしくお願い致します。



梅窓会 広報部会 ブログ管理人 S37卒 風間

2010年12月30日木曜日

我流展景-日校Photoスケッチ(12月-3)


寒風を切る者がいる・・・

猛進し続ける者がいる・・・

ひたむきに打つ者がいる・・・



一瞬を読む者がいる・・・



生徒諸君の2011年が、素晴らしい年でありますように。


広報部会 S56卒 永澤

2010年12月29日水曜日

坂の上の雲と明治時代の母校先人に思いを馳せて(その2)

日露開戦から旅順港閉塞作戦へ!
壮絶な戦死を遂げた広瀬中佐、これから日露の戦いや如何に!
という佳境を迎え、次回に期待を抱かせつつ今年の放送分は終わりました。
そして第2部となる今回も母校と深い関わりのある偉人がいらっしゃいました。

12.5放映の「日英同盟」にて登場した外務大臣の小村寿太郎氏(配役-竹中直人)。
日本近代外交史に燦然と名を残すこのお方、実は杉浦先生を陰に陽に助け、
母校発展に尽力された人でもあります。(日本学園功労者~百の年輪より)


小村寿太郎侯(画-真野紀太郎校友)

寿太郎氏は、1855年(安政2年)に九州飫肥藩(宮崎県日南市)に生まれ、
藩の貢進生に選抜され、1870(明治3年)東大の前身大学南校に入学。
そして時を同じくして膳所藩(滋賀県大津市)より選ばれ、入学したのが
杉浦先生でありました。

明治初期、全国の俊秀が集まったこの学校で学業を極め友情を結びます。
そしてともに文部省官費留学生に選ばれ、寿太郎氏(第1回留学生)は
米国で法律を、杉浦先生(第2回留学生)は英国で化学を学びました。
寿太郎氏は帰国後司法省に入省、その後外務省に転出。頭角を現します。 
1896年(明治29年)外務次官、その後各国公使歴任。
1901年(明治34年)外務大臣に就任、翌年には日英同盟の締結に尽力しました。
ドラマでは、口髭姿の小柄な竹中直人が日英同盟、
日露交渉の息詰まる展開に凄みのある演技で魅了しています。


小村寿太郎(竹中直人)

<友情のエピソード>
寿太郎氏は親の借財により生涯に渡って生活に苦労したとあります。
普段の着物もままならなかったというほどで、
いつも同じフロックコートを着ていたとか。そんな彼を放っておけず、
大学南校の仲間が肩代わりして懸命に返済に努めます。
「君をこんなことで困らせては国家の大損となる。国事に専念してもらいたい」と。
仲間の先頭に立ったのは杉浦先生たちでありました。
寿太郎氏は熱き友情に応えて、外務大臣として難局を乗り越えていきます。
そして、日露戦争では、ポーツマス会議全権代表として絶対決裂できない
講和会議に臨み、条約調印に成功。国難を救いました。
ところがこの条約内容に不満な群衆が政府を糾弾、
有名な日比谷焼き打ち事件が起こります。
この時母校百年史によると、杉浦先生は小村邸の留守をまもる長男、
欣一氏(当時東大生)を見舞い、叱咤激励したとあります。
ここでまた日学OBが登場。小村欣一氏です。

彼は、父寿太郎氏の勧めで、日本中学に入学しました。
そして母校を成績首位で卒業、一高に進み、東大法学部でも
1907(明治40年)首席で卒業、成績優秀者への銀時計を賜っています。
もう完璧であります。
そして父と同じく外交官の道を選び、山本権兵衛(配役-石坂浩二-海軍大臣時)の
内閣時代は情報部長、その後1928年(昭和3年)拓務省の初代次官になりました。
また多角的な外交官としても有名で演劇に通じ、文芸、美術界にも知己を持ち
関東大震災で実現なりませんでしたが、国立劇場の設置も推進していました。
しかし48歳の若さで急逝。
将来を嘱望されていただけに惜しまれてのことでした。

もう一度父寿太郎氏に話を戻します。
この後にも歴史に残る大仕事を成し遂げています。
1908年(明治41年)外務大臣に再任され、幕末以来の欧米列国との不平等条約の
改正交渉をおこない、ついに1911年(明治44年)日米通商航海条約の調印に成功。
その後英独仏とも調印。日本は関税自主権の回復を果たし、諸外国との関係を
対等にすることが出来たのであります。
当初恥ずかしながら私、歴史上の人物、配役は竹中直人か・・
程度の認識しかありませんでした。しかし調べていくうちに
この方の姿勢に感銘を受けることとなりました。それは・・
もっとも大切なことを見極め、「誠」を尽くし邁進する。
極貧生活でありながら(それだけでも凹みますが)、
その後国家間との最も重要な交渉を成功に導くという類い稀なるタフネスぶり。
この方が母校功労者であったとは・・言葉になりません。

現在故郷の宮崎日南市には郷土の偉人として
記念館があり、生家も残されています。
そして飫肥の中心地には生誕地碑があり、碑面に東郷平八郎元帥の題字、
裏面には杉浦先生の友情の言葉が刻まれています。

追記 2022.5.16

 

生誕地碑に刻まれた杉浦先生の友情の詩はこのように刻まれています。

 

茅盧を出でしより幾変遷(ほうろうをいでしよりいくへんせん)

南船北馬十余年(なんせんほくばじゅうよねん)

神州の諸葛身便ち胆(しんしゅうのしょかつみはすなわちたん)

握るを要す堂々宇内の権(にぎるをやうすどうどううだいのけん)

 

〈意訳〉

家を出てから、幾つかの変遷を経て、東奔西走すること十年あまり

日本の諸葛孔明(小村寿太郎)は豪胆さを身につけ、

堂々と天下に権をふるった

 

1905(明治38)、日露講和条約締結、ポーツマス会議から帰国して間もなく、清国へと向かった小村全権大使。この時、病床にあった杉浦先生はこの詩を賦し、はなむけとされました。

 

杉浦先生は掛け軸にも書され、現在も日本学園資料室に大切に保管されています。






広報部会 

2010年12月28日火曜日

「漢の花園」Vol.7師走

いや~久しぶりの元祖「漢の花園」であります。
この秋はANNEXに情熱を注いだこともあり、当コーナーも既に3年は続いている
ような気がしていましたが、まだ1年もたっていないことに気が付き、
そうだ、新春は梅、春には桜、今年の初夏に紹介できなかった
花もたくさんあったゾ・・・などなど、不肖の後輩が勝手気ままに
送りつける情報をアップしてくださる管理人・風間先輩の
ご苦労などそっちのけで、来年への想いを馳せているのであります。
風間先輩、来年こそは自分でアップできるように勉強いたします!

タマサンゴ(玉珊瑚:ナス科) 
ブラジル原産の常緑の低木です。観賞用として庭などに植えられたものが 
野生化したそうです。日本学園のキャンパスでも、一号館正面左手の植え込み、
学生食堂正面右手の通路わきなどに自生しています。このタマサンゴ、
その名の通り花よりも果実を観賞する植物ですが、ナス科というだけあって、
その花は9月に紹介したナスの花そのもの。ただし、色は白であります。
別名フユサンゴ、リュウノタマとも呼ばれます。なんとも可愛い植物ですね。

野菊の仲間(キク科) 
菊は皇室の紋章でもあります。その由来は鎌倉時代の始め、 
後鳥羽上皇が菊花のデザインを好み、「菊紋」を天皇家の家紋としたことに
始まるそうです。それほど菊と日本の関わりは古いわけですが、
菊の仲間は日本だけでも自生種で約350、帰化種で約150、
世界には約20,000種もあるとのこと。従って、この野菊の種類も判然と
しないのであります。この野菊、一号館テニスコートに面したヒマラヤスギの
根元や体育館前の広場で花を付けています。小さな株に花を咲かせていますので、
生徒諸君はうっかり踏みつけないように注意してくださいね。

ユズ(柚子:ミカン科) 
今年の冬至は12月21日あたりだったそうです。冬至に柚子を入れた 
柚子湯につかると、よく温まって風邪をひかない、などと申します。
風邪をひかないだけでなく、柚子はお鍋やお酒、料理のアクセントに、
欠かせない冬の食材でもあります。この柚子、写真では一号館を
背景に入れたいばかりに、寂しく実っているように見えますが、
実はかなり大きな木でありまして、実も鈴生り状態であります。
23区広しと言えども、校内に柚子が実る学園はほとんどないでしょう。
学園産の柚子を効かせたお湯割り焼酎で一杯やりたいものです。

キンカン(金柑:ミカン科) 
見よ、この見事な実りを!というわけで「漢の花園」2010年の大トリは 
キンカンであります。戦国マニアの自分としては、キンカンで思い浮かぶのは、
織田信長と明智光秀。信長が光秀を「この、キンカン頭めがっ!」と、
四六時中、面罵罵倒しており、自尊心を傷つけられていた秀才、
光秀の恨み頂点に達して本能寺の変に至った、という次第。
嘘か誠か分かりませんが、信長がたとえた「キンカン頭」とは、
いったいどんなデザインの頭だったのか、興味はつきません。
そこで私も信長に習い、今年最後の雄たけびで締めます。
「柚子と金柑がたわわに実る、こんな学園、他にあるかっ!!」

みなさま、よいお年をお迎えください!

広報部会 S56卒 永澤

2010年12月27日月曜日

「クリスマスコンサート2010」レポート!

去る12/25(土)3号館講堂にて
吹奏楽部のクリスマスコンサート2010が開催されました!

山下達郎「クリスマスイブ」からスタート! 

10月23日より、高齢者サービスセンター・幼稚園・保育園等、
様々な施設で慰問・訪問コンサートを展開し、
900人を超える方に心温まる演奏をお届けしてきた吹奏楽部。
今回のコンサートは、その集大成として開催されたものです。

愉快なサンタさん登場!さあ、誰でしょう・・・ 

コンサートはお馴染みの司会2名とサンタさんによる
コミカルな掛け合いでスタート。山下達郎「クリスマスイブ」を皮切りに、
「時代劇メドレー」、「ジュピター」、「おどるポンポコリン」など、
大人から子供まで親しめる名曲の数々を披露しました。


テーマは音楽レストラン。司会も上手いぞ! 

圧巻はサンタさんが美声で歌い上げる「オーソレミーオ」。
観客一同、思わず聞き惚れてしまうほど素晴らしく、
クリスマスらしいひとときを堪能いたしました。顧問の土居先生、
梅窓会のぼりを背景に置かせていただき、本当にありがとうございました。

「おどるポンポコリン」に子供たちも拍手で参加! 

おつかれさま!定期演奏会も応援にいきます! 


■予告
第18回 日本学園 吹奏楽部 定期演奏会

*日時:2011年3月30日(水)18:00開演
*場所:エコルマホール
(小田急線狛江駅前・小田急OX4階)

吹奏楽部がパワー全開でお贈りする圧倒的かつ繊細なサウンド!
これぞ伝統校、日本学園の吹奏楽だ!
みなさま、ぜひともお越しいただき、
後輩たちの努力の集大成に熱き喝采をお願いします!

梅窓会 広報部会

2010年12月26日日曜日

「漢の花園」ANNEX(秋の?紅葉編-四)

秋は去りました・・・。ふと気が付けば、すでに師走であります。
師走は誰でも忙しいのであります。
忙しいと母校のことなど、ドーデモよくなります。
従って秋の紅葉編のことも、すっかり忘れていたのであります。

「キミ、一号館右手の紅葉が見ごろだヨ・・・」。
和田事務長から情報をいただいたのは、そんな金曜日の夕方でありました。
南無三!やり残していた仕事がまだあったではないか!
というわけで、押っ取り刀で馳せ参じた快晴の世田谷区松原2-7-34。
さあ遅まきながらトリを務めますのは、一号館&三号館を鮮烈に彩るモミジに楓。
2010年最後の艶姿でございます!

四本石柱に降り注ぐ紅の滝。

紅葉を従えて、漢ぶりにも磨きがかかる。 

あまりに遅く、あまりに華麗。

三号館前のボルテージも頂点に! 

こちらはさしずめ紅の小滝か・・・。

嗚呼美しや、我が母校。 
和田事務長、旬を逃さない情報提供、ありがとうございました!

広報部会 S56卒 永澤

富「土」記-1~初霜おりる~

しつこいようですが、今年は寒いですね。観測史上最高に暑かった、
あの夏が嘘のようです。そんなきりっと冷えたクリスマスの午後、
グラウンドへ登る土手の日陰で溶けずにいる霜に出会いました。

踏むのも楽し、しもばしら・・・ 

日本学園は”土の学園”でもあります。
広大な校地の1/2近くは土で占められていると思います。

土があるから、生徒たちは臆することなくスポーツに打ち込める。
土があるから森があり、花が咲き、昆虫や鳥たちが集まる。
さらに土は、その匂いに四季のうつろいを醸し、
土に親しむ人間の感受性を磨き上げて行くもの。

生徒諸君、君たちは本当によかった。日本学園の土の記憶。
それもここで学んだ君たちの、かけがえのない宝物になるのだから。

梅窓会 広報部会

2010年12月24日金曜日

Merry Christmas!

                       ポップアップします
Merry Christmas!from Baisou alumni association. 
素敵な聖夜を貴方へ・・・


梅窓会 広報部会 

2010年12月23日木曜日

「カレッジ・フォーク」、「仮面ライダー」で大活躍。荒木しげる氏

早いもので今年も余すところあと一週間足らずになりました。そして年末、年始になるとTV各局では音楽番組が数多く組まれます。今日はそんな音楽、芸能界で大活躍したOBを紹介しましょう。

昭和41年(1966年)ビートルズが来日し、彼らに大いに影響を受け楽器を自ら演奏しながら歌うグループが雨後の竹の子のように日本で次々とデビューしました。そんな中、主に大学生を中心に若者の間で流行っていたのがカレッジ・フォーク(カレッジ・ポップスとも呼ばれています)でした。

当時流行った曲をざっと上げれば、皆さんご存知の「バラが咲いた(マイク真木)」、「若者たち(ザ・ブロードサイド・フォー)」、「この広い野原いっぱい(森山良子)」、「小さな日記(フォー・セインツ)」、「白いブランコ(ビリー・バンバン)」、「時には母のない子のように(カルメンマキ)」、「走れコウタロー(ソルティーシュガー)」など枚挙に遑(いとま)が無いほど多くの曲が若者の心を捉えていました。

・・・前置きが長くなりました。荒木しげる氏は昭和42年に日本学園高校を卒業、同年玉川大学1年在学中にカレッジ・フォーク・グループ「フォー・セインツ」のドラムスとしてデビュー。「小さな日記」、「希望」、「冬物語」などのビッグヒット曲を生み出しました。余談ですが日本学園高校OBの放送作家「高田文夫」氏は当時三年生で授業をこっそり休んで武道館でビートルズ来日コンサートに行ったと数十年前の雑誌にて告白しておりました。

昭和48年グループ解散後は、CMモデルを経て俳優に転向。昭和50年、「仮面ライダーシリーズ」第5作である『仮面ライダーストロンガー』に空手や柔道、フットボールの経験を買われ「城茂」役で主演に抜擢。その後、『超神ビビューン』『特捜最前線』『暴れん坊将軍』等にもレギュラー出演するなど芸能界で大活躍。平成20年にはフォー・セインツの再結成に参加。各地でライブを開催しています。フォー・セインツの代表曲の1つ「小さな日記」、「希望」を再結成後、元気な姿でドラムを叩き、歌う荒木しげる氏を右のYou-tube 「小さな日記」 をクリックしてご覧ください。バックのドラマーが荒木しげる氏です。

上は「小さな日記」のシングルレコードのジャケット。グループサウンズとは一味違う清潔感で、メロディーラインが綺麗で聴き手のハートに染み込んでくる歌でした。今も歌われ続けられているカレッジ・フォークの名曲。手前の黒いセーター姿が荒木しげる氏と思われます。

「仮面ライダーストロンガー」に関しては、とても書ききれませんので逸話などにご興味ある方はWeb百科事典のウィキペディアで検索ください。この「仮面ライダーストロンガー」をクリックすると動画が見れます。若き日の荒木しげる氏がご覧いただけます。

慣れない芸能界でご苦労も沢山あったことでしょう。大病もなされたと聞いております。日本全国の若者には音楽の素晴らしさを、子供たちには夢を与えてくれた日本学園OB「荒木しげる」氏を誇りに思い、絶大なるエールを送りたいと思います。


広報部会 S44卒 中村

2010年12月22日水曜日

「漢の花園」ANNEX(山茶花と母校編)

みなさま、お寒うございます・・・。この季節の風物詩といえば、
落葉焚きであります。しかし、最近では防災管理が何かとうるさく、
都内で焚き火をする情緒あふれる風景は見られなくなりました。
焚き火で思い出すのは、今も昔も童謡「たきび」です。

落葉を掃き集める中学生たちと山茶花。落葉焚きの季節。 

「さざんかさざんか咲いた道~♪(2番)」で始まる童謡「たきび」を
作詞されたのは巽聖歌(たつみせいか1905年~1973年)。
近代日本の児童文学・少年詩・近代短歌の創世記に
最も重要な影響を与えた作家のひとりであります。
この巽氏の才能を高く評価したのが北原白秋でありました。

淡い紅をさした蕾も美しい。 

北原白秋は大正7年(1918年)夏目漱石門下の児童文学者、
鈴木三重吉が主宰する児童文学誌『赤い鳥』の創刊に参加します。
この『赤い鳥』の創刊には、芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、高浜虚子など、
そうそうたる文学者たちが賛同しました。
その中に、我らが日本学園(日本中学校)を卒業し、一高、帝大英文科を経て
夏目漱石門下としてデビューした作家、森田草平氏がいました。
「たきび」を作詞した巽聖歌は、この『赤い鳥』に創作の場を得たことから、
その後の児童文学史に鮮やかな足跡を刻んでいったのです。


 
森田草平:明治14年(1881年)~昭和24年(1949年) 
しかし、イイ男だなぁ・・・。こりゃ女性にモテるわけだわ・・・。 

鈴木三重吉を中心に森田先輩らが一丸となって創刊した『赤い鳥』、
それは、子供の純性を育むための話・歌を世に広める文学的潮流、
「赤い鳥運動」へと広がり、それまでの政府主導型の児童唱歌には見られなかった
芸術的な香気と音楽的エッセンスを持つ、数々の作品を世に送りだしていきました。
国民的愛唱歌として親しまれるようになった巽聖歌の「たきび」は、
この赤い鳥運動を揺籃として生まれた歌でもあるのです。
若き巽聖歌と文壇の論客、森田先輩は、どんな夢を語り合ったのでしょうか。

山茶花は今が開花時期ですが、親戚の椿はもっと寒くなってから咲きます。

赤い鳥運動をルーツとする児童文学の芥川賞、「赤い鳥賞」は、
今年2010を最後に40回の歴史を重ねてきました。森田先輩らが児童文学・
唱歌に注いだ情熱が、近現代の子供たちに与えてきた感化は計りしれません。
しかし、この森田先輩の人生は”児童文学の純性”とは程遠い
破天荒極まりないもの。それも”芸術家の純性”がなせる技でありましょうか・・・。
生徒諸君、森田先輩のマネだけは絶対しないように。はっきり言って過激です。

森田草平先輩については以下をクリック!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E7%94%B0%E8%8D%89%E5%B9%B3

花一輪にも日校健児の物語があるのものです・・・ 

広報部会 S56卒 永澤

2010年12月21日火曜日

続・ビッグり!松ぼっくり?

先日ご紹介した松ぼっくり。その大きさに驚かれた諸兄も多いことと存じます。
で、先日、一号館右手の大王松を望遠で見上げたところ、ありました!
梢にぶらさがる「ビッグり!松ぼっくり?」が。写真上部を斜めに横切る
黒い部分は、なんと一号館最上部の庇(ひさし)の影であります。
この大王松がいかに巨大か、お察しいただけることと存じます。 

はるか高みでは可憐にさえ見えるビッグり!松ぼっくり。 

大王松は「ダイオウショウ」と読むそうで、原産地の北アメリカでは、
樹高40mを超えるそうです。40mといえば7階建てのビルに匹敵する高さ。
日本では半分の20m程度までは育つといいます。ということは、
3階建ての一号館に寄り添う大王松は、日本屈指の巨樹に間違いなし。
大王松を小さく育てることは極めて難しく、ゆとりある空間が不可欠とのこと。
これも広大なキャンパスを持つ、日本学園ならではの風景であります。

一号館を守るようにそびえたつ大王松の雄姿。 

梅窓会 広報部会

2010年12月20日月曜日

「校章旗」、堂々完成!

運営委員会で制作を進めていた
日本学園「校章旗」2タイプがついに完成しました!

八咫鏡のみ!これぞ名門の美学。カッコよすぎるぜ!

昨今、数多くの同窓会が会旗・校章旗を制作し、
卒業生の志気と結束の向上に役立てています。
日本学園の「校章旗」は、紫紺のスクールカラーに白抜きの校章のみを
染め上げた、伝統校に相応しいシンボリックなデザインです。
校章だけのシンプルな旗ですので、あらゆるシーンでご活用いただけます。


このように同期会会場の居酒屋の壁に貼っても映えます!

■「校章旗」仕様
*大サイズ:90×135㎝
*小サイズ:70×105㎝

■効果的な使用方法
*同窓会・同期会の会場の壁などへ掲出。御旗のもとに盛り上がれ!
*同窓会・同期会の記念写真に手持ち等で撮影。
*同窓生同士の旅行やお祝いの席などに。
*クラブ活動の応援旗として梅窓会のぼりと合わせて。
*生徒諸君の部活の試合や発表会等の会場演出旗として。
*PTAや保護者の会合・イベント等の演出旗として。

「校章旗」は梅窓会員だけでなく、在校生・PTA・学園関係者にも
使用目的を確認の上、貸し出しOKです!
お気軽にお問い合わせください!
注1)現段階で専用のポール・スタンド等はご用意しておりません。
注2)悪天候下の屋外等、激しい汚れや痛みが予想できる
   環境への貸し出しはご遠慮いただく場合もございます。

「校章旗」に関するお問い合わせ先
090-5498-6753  
梅窓会 広報部会 宮原洋一

梅窓会 広報部会

2010年12月18日土曜日

我流展景-日校Photoスケッチ(12月-2)

白の世界A-冬の光は狂おしいほど・・・ 


白の世界B-青い輪郭を描き・・・ 


白の世界C-電話する君塚さんを添景に・・・ 

白の世界D-冬枯れを映しゆらめく 


広報部会 S56卒 永澤

2010年12月17日金曜日

篠 清弘 プレイフル・ムード・コンサート

先日の12月10日夜、今年も篠 清弘さん(日本学園S37年卒)のコンサートが
中野ZERO小ホールで開催され、我々同期生37会も駆けつけました。
毎年12月に開催される篠さんのコンートは、中野区長の挨拶で始まる
区の年末年中行事のようです。篠さんを慕う地元の人達で
会場中野ZERO小ホール(550名)は満員でした。
前半は篠さんの独演会で、バンドの指揮、ピアノの弾き語り、
コラボ演奏の指揮など、指揮者・ピアニスト・作詞・作曲・編曲家・
プロデューサー・歌手である篠さん全開のステージでした。

花で埋まった華やかな中野ZERO小ホールの受付。

篠さんの指揮で演奏されるPlayful Moodオーケストラ。

篠さん作詞・作曲の作品をピアノと歌で次々と。

Playful Moodオーケストラと和太鼓・三味線のコラボ演奏を指揮する篠さん。
スカイツリー未完成祝賀曲 篠 清弘 作品

37ミニ会(S37卒)は8名ほどが集い、中野の街で恒例の忘年会となりました。
同年齢の篠さんの元気一杯の活躍に刺激され、
同期会の皆も元気一杯をもらった夜でした。

S37卒 風間

2010年12月16日木曜日

日学・冬じたく

急にお寒くなりました・・・。予測では今年の冬は格別に寒くなるとか。 
いやなだぁ・・・。さて、ご存じの通り、日本学園の一号館は昭和11年に 
竣工した学園のシンボルであり、この夏、最先端のテクノロジーを駆使した 
耐震補強が施されました。地震に負けない堅牢さを秘めて生まれ変わった 
一号館ですが、いまだにひとつだけ、以前と変わらないものがあるとしたら・・・ 

 
見よ!カッコよく、美しく、そして、よく冷えるエントランスを! 

それはエントランスの寒さ、かもしれません。重厚な趣を見せる
高い天井と柱、ライブもできそうな広いホール、レトロな味わいのある吹き抜け・・・。
故今井兼次先生の美学が随所に光る、永遠に色褪せない造形美は、
その大胆な空間構成と引き換えに、冬はしんしんと冷えるのであります。。


 
待ってました!日校、冬の風物詩! 

そこで大活躍するのが、この石油ストーブたちであります。
今年もそろそろ・・・と思っていたら、ちゃんとスタンバイしておりました!
これからの季節、このストーブたちは団結して熱く燃えたぎり、
エントランスの冷気と闘い続けるのであります。
石油の香りが何ともいえない冬の静謐な時の流れを演出し、
一号館の風格を一段と味わい深いものにいたします・・・。
なお、各教室には最新の空調機器が入っておりますので、
受験生諸君はご安心を。もっとも一号館は厚い石釜のようなもの。
一度温めた熱気は逃しませんぞ。むしろ眠気にご用心。

梅窓会 広報部会

2010年12月15日水曜日

12月度 運営委員会報告

去る12月11日(土)14:00~運営委員会が開催されました。
一年を締め括る会でもあることから、当日は運営委員・オブ
ザーバーを含め、通常を超えるメンバーが集結。20代若手
会員の斬新な意見も飛び交う、熱気あふれる会となりました。

12月度 運営委員会TOPIX

■各部会報告
総務・組織・会計・企画・広報各部会より
活動状況の報告。

*「あつき恵み教室」始まる
学園中学2年生に向けた創発学の一環として、梅窓会OB協力のもと
開催されている「あつき恵み教室」について報告がありました。
今年度も、紀伊國屋書店社長、高井昌史氏(S41卒)を始め、
多数の日校OBとOBに繋がる外部識者に講師としてご協力いただいています。

「創発学」のコンセプトについては以下をご覧ください!
http://www.nihongakuen.ed.jp/cumpus/souhatugaku.html

*卒業記念品の検討
梅窓会から来年3月卒業生に向けた「卒業記念品」の
検討が行われました。複数の候補サンプルを手に取り、
若手会員の意見を重視しながらの審議が行われました。

*日本学園「校章旗」完成披露!
待望の「校章旗」2タイプ/サイズが完成し、
運営委員会にて披露されました。同旗の写真・貸し出し
方法等は、近日中に改めて当ブログ・梅窓会報でお知らせいたします。

■その他 審議・報告事項
*「梅窓会」パンフレット制作進捗状況の報告
*会計部会より予算状況の報告
厳しい財政状況に変わりはありません。
会費未納の方は速やかなご協力をお願いします!
*小川理事長より理事報告

運営委員・オブザーバーを含め、通常を超える20名が集結。
20代若手会員の斬新な意見も飛び交う、熱気あふれる運営委員会。


梅窓会 広報部会

平成22年度 運営委員会忘年会

12月11日 運営委員会終了後、明大前の居酒屋「華の舞」にて、
恒例の忘年会が開催されました。参加者は例年に
比べて少人数でしたが、谷川校長、榎本理事長にも
ご列席いただき、太田会長を始めとするベテラン勢はもちろん、
中堅メンバー、気鋭の20代校友たちのパワー爆発!
学園と梅窓会のさらなる発展を確信する盛り上がりを見せました。

来年もやるぜ!誇りも高き日校健児たち!

紫紺の「校章旗」のもとに世代を超えて語り合うひととき・・・ 

梅窓会 広報部会

2010年12月14日火曜日

バスケットボール 平成22年度の試合。

平成22年度 新人戦本大会 兼 関東新人大会東京都予選。

去る11月21日(日)に組合せ抽選が行われ、下記に決定しました。
選出基準は、今秋の新人大会4ブロックのベスト8の32校と
インターハイベスト8の8校(新人のみ出場)、計40校の激突です。

みんなで応援に行こう!!  目指せ日学 ベスト8入り!!
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各競技の会場校・体育館
A: 都駒場 B: 世田谷学園 C: 専修大付属 D: 都城東 E: 都新宿 F: 都足立
G: 都石神井 H: 都日野 WX: 駒沢屋内 Y: 代々木第二
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S34卒 髙橋