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2014年11月7日金曜日

創部10周年!トライアスロン部『JTU強化クラブ』に指定!

全国唯一の学校内トライアスロン部として注目を集め続ける母校・トライアスロン部は、今年、創部10周年!この記念すべき年に、同部は『日本トライアスロン連合(JTU)』からJTUの強化クラブに指定されました。今後も日本のトライアスロン界をリードする存在として、その活動が大いに期待されています。2020年・東京オリンピックでは、本校トライアスロン部OBが選手として選ばれるかもしれません広報部会では、顧問の堀越先生(英語科)にアンケート形式で紙上インタビューを実施。創部からの10年間を振り返り、今後の抱負を語っていただきました。


トライアスロン部 創部10周年を迎えて。

トライアスロン部 顧問 堀越和彦

■トライアスロン部の創部に至る経緯を聞かせてください。
はい、創部当時の日本学園には、現在のようなスポーツコースはなく、現在強化部となっている部活動に所属してもドロップアウトした生徒や入部したくても実力不足を感じている生徒がいました。しかし、そんな生徒たちでも「何かやりたい」という意欲に燃えていました。その頃、私も偶然にもトライアスロンという競技に挑戦していたところでした。「何かやりたいなら、部活でも作ってみるか」と提案してみたら、「よし!やろう」ということになりました。今ではその時一緒にやってくれた彼らにとても感謝しています。

中央で両腕を上げているのが顧問の堀越先生

■現在の活動内容は?
トライアスロンはシドニー五輪(2000年)からオリンピック正式種目になっているにもかかわらず、インターハイがまだ正式にはありません。私も『日本トライアスロン連合(JTU)』の学生委員としてインターハイ競技として同時期に開催されるように精一杯働きかけを行っています。ですが、あともう10年以上かかるかもしれません。一方で、JTUの運動のおかげもあり、2019年の岩手国体から青年の部に加えて少年の部も実施される可能性が出てきました。その時には本校から是非とも代表を出したいと思いますが、まだまだ全くの手探り状態です。

トライアスロンのジュニア最高峰大会としてインターハイの代わりになるものが、毎年8月に行われる『ジュニアオリンピック(JOC)』です。この大会も4年前からやっと出場できるようになりました。今年からデュアスロン(ラン+バイク+ラン)のジュニア最高峰の大会(11月)にも参加する予定です。
 

これらの大会を目指して、日々の活動では月水土を中心に、3種目を練習しています。特に水曜日は目黒区・渋谷区トライアスロン連合の方々とのランとスイムの合同練習で、世界選手権日本代表経験者の指導も受けています。他にも檜原村合宿、鎌倉ロングライド、伊豆大島合宿など強化合宿を組んでいます。もっともっと活動を盛んにしていく計画です。


■10周年を迎えての決意を聞かせてください。
発足当時は「軟弱同好会」と言われました(笑)。10年経過してその要素は随分なくなりましたが、ひとり一人を見ると、まだまだ甘えている部員が多いです。定期的なミーティングによる相互理解と練習の記録も始めました。一人でも多くの小学生・中学生に「トライアスロンをやりたいから、にちがくを選ぶ!」と言ってもらえるような部活動を作り上げたいと思います。


 ■『日本トライアスロン連合(JTU)』強化クラブ指定の意義とは?
たいへん大きな意義があります。まずは、学校内でトライアスロン部として活動しているのが本校しかないことです。今後は日本学園が全国の中学校・高校の中心(学内部活動のモデルケース)となっていかなければならないし、JTUからもそれを期待されています。そのためには強化に特化するだけではなく、普及の役目も担っています。強化と普及の両立は同一のクラブではなかなか困難が多いと思いますが、その名に恥じぬよう精一杯やるだけです。


■日本学園OBへメッセージをお願いします!
いつもトライアスロン部を応援していただき、ありがとうございます!毎年夏休み中に実施しているトライアスロン初心者向けの「にちがくアクアスロン大会」に参加して下さるOBの方もいらっしゃいます。本当に有難いことです。トライアスロンは誰にでも挑戦できるスポーツです。その達成感はやってみた人にはすぐわかります。ぜひ皆さんも挑戦してみて下さい。そして一緒に練習してみませんか?

梅窓会 広報部会

2014年5月25日日曜日

毎日がいっしょうけんめい。
8年間の校長時代を振り返って。

2月中旬にお届けいたしました『Baisoukai Today』。広報部会では、OB・生徒・学園関係者以外のみなさまにも、本校OBの素晴らしさを紹介したいと願い、同冊子に掲載された記事の中から、最新のインタビューを梅窓会ブログで発信して参ります。2014年度の第一弾は、第15代校長として活躍され、名門回帰への道筋を切り拓いた谷川平夫先輩(S34年卒)が登場!待望のOB校長誕生のいきさつ、名門回帰に向けた新戦略、一号館耐震工事の舞台裏などなど、母校と生徒を愛し、全力で駆け抜けたドラマチックな8年間を語ってくださいました。

     

学校法人日本学園 
第15代校長・元特別顧問 
谷川平夫(昭和34年卒)
Profile
1959年、日本学園高等学校卒業。東京大学文学部卒業後、読売新聞社に入社。パリ支局長などを務める。国際問題担当論説委員を経て論説副委員長。退職後、帝京大学教授。200510月に日本学園・校長に就任。2013年4月~2014年3月まで日本学園・特別顧問として活躍。

■母校の校長に就任された経緯を聞かせてください。
私が校長に就任したのは200510月でした。それ以前は、大学の教壇に立ちながら、梅窓会の副会長を務めていました。日本学園の理事会から校長就任の要請を受けたとき、まず考えたのは“中等教育の現場を知らない、まったくの素人である自分に校長という重責が務まるのだろうか”ということでした。しかし“母校再建のため”という理事の皆様の言葉に突き動かされ、愛する母校への恩返しのつもりで校長就任を決意しました。諸事情あって年度の途中である10月の就任だったので、翌年の入試も迫っており、心機一転となるべき新校長の就任には相応しくないタイミングでした。さして深刻な気持ちにもならずに校長生活をスタートしたのは、まさに“素人の怖いもの知らず”だったと思います(笑)。


校長室ドアの常時開放や休日返上のクラブ応援など、
生徒とのふれあいを何よりも大切にした谷川先輩。

■校長に就任して実感されたことは?
ご存じの通り、当時の母校は進学実績において自慢できる状況ではありませんでした。また、少子化に伴う他校との競争激化により、新入生も減少傾向にあり、このままでは学校経営が暗礁に乗り上げる可能性がありました。“大胆かつ戦略的な改革を行わない限り、母校の再建はあり得ない”。これが就任した頃の実感です。しかし、改革と言っても事は単純にはいきません。たとえば、入試問題のレベルをいきなり上げても、確かな進学実績がなければ受験生は集まらないし、経営の安定化を図ろうとすれば、レベルアップを諦めて生徒数の確保に走らざるを得ません。『質と量の両立』は本校のみならず、少子化時代における私立中等教育機関の最重要課題なのです。



■課題解決のために行った改革とは?
本校の『教育の質』を根本から向上させることでした。その第一弾が3つの『にちがく信条』の制定です。校祖・杉浦重剛先生は、さまざまな格言や訓戒を残されていますが、本校の『校訓』として明文化されたものはありません。そこで先生方と共に“私たちは、この決意で教育にあたります”というコンセプトを明確化しました。本校が長い歴史の中で培ってきた教育への取り組みを現代風に解釈し、生徒たちにも分かる言葉で発信することから始めたのです。また、2007年を『にちがく元年』と位置づけ、コース制を導入しました。中学校に『難関大学コース』を、高等学校にも『特進コース』を加えることで、文武両道の進学校へ回帰する方向性を明確に打ち出したのです。

さらに本校独自の『創発学』を導入しました。『創発学』は、自己啓発的なキャリア教育と実体験を重視する校外学習を組合せ、生徒の創造力と自己発信力を引き出す教育カリキュラムです。私は新聞記者だったので“現場での実体験に勝る学びはない”と考えていました。林業・農業・漁業などの現場を体験することで、人間の営みを原点から見つめ、クリエイティブな感性を育てることもその一環です。『創発学』を通じて、一人ひとりの総体的な『人間力』を高め、学ぶ歓びと意欲を育み、大学受験でも他校の生徒に負けない実力をつける。その成果は、本校の外部評価を着実に高めてきたと自負しています。

「私も君たちといっしょに日本学園を卒業します!」
校長時代の最後を飾る言葉となりました。
2013年3月『吹奏楽部・定期演奏会(エコルマホール)』にて。

■校長時代で最も達成感を味わったことは?
ひとつはOBをはじめとする皆様のご協力で、2010年に一号館の耐震工事を実現できたことです。2008年に中国で四川大地震が発生し、多くの学校が倒壊したことを教訓に、日本政府は校舎の耐震工事費用の補助金を最大8割まで引き上げました。このチャンスを活かさない手はありません。一方、私たちが危惧したのは耐震診断の結果、一号館の老朽化が予想以上に激しく、使用禁止や建て直しの診断が下されることでした。
 
そこで本校OBでコンクリート工学の権威である横浜国立大学・名誉教授のY氏に見立てていただいたところ、今でも充分な強度があり、耐震工事を施せば心配ないだろう、というお墨付きを頂戴しました。さらにラッキーだったのは、耐震診断の結果、最大8割の補助率が適用されたことです。一号館の耐震工事は、母校・OB・学園関係者が一丸となって成し遂げた、まさに記念すべき事業といえるでしょう。もうひとつは明治大学と『高大連携』です。『高大連携』については小岩校長を中心にさまざまな取り組みが進んでいます。その成果が具体的に表れる日も遠くないと確信しています。


特進クラス1期生OB・早川君(右・H23年卒・早稲田大学)
飯島君(左・H23年卒・青山学院大学)と校長室で取材を受けました。
<進学情報誌『サピア』2011年10月号『母校再訪』より>

■校長生活8年間を振り返って思うことは?
教育は成果が表れるまで時間がかかる仕事であり、実現できなかったことも、やり残したことも多々あります。しかし、“母校再建の基本的な枠組みだけは作ることができたのかな”と思っています。8年間を通じて様々な無理を聞いてくださり、教育改革を共に推進し、今も改革の先頭に立っていらっしゃる先生方、私たちの期待に応えてくれた生徒たち、そしてご協力いただいたOBの皆様に深く感謝いたします。来年、母校は創立130周年を迎えます。日本学園が未来に向かって飛躍するのは、まさにこれから。OBの皆様には母校への一段のご支援をお願い申し上げます。

梅窓会 広報部会

2013年7月26日金曜日

日本学園に学んだ。そのプライドをパワーに。(下)

松本勝馬(S36年・日本学園高等学校卒)
昭和18年1月17日生まれ。狛江市に育つ。中央大学 経済学部卒。
エレクター株式会社・専務取締役を経て2013年相談役に就任。

大学卒業後はどのようなキャリアを積まれてきたのですか?
大学卒業後、広告代理店に入社しました。ところが憧れていた広告業界の華やかさは見た目だけで、現実は明けても暮れてもクライアントの接待ばかり・・・テレビ局や新聞社などのメディアにもペコペコしなきゃならない。若かったこともあり“こんなことばかりやってられるか!”という気持ちになって、心機一転、粘着シートやテープ、フィルム等を製造する日東電工㈱に転職しました。当時の日東電工は一部上場したばかりで勢いがあり、日本で最も早い時機に週休二日制を導入するなど、社員を大切にする働きやすい会社でした。

日東電工時代は、一般家庭向け消費財を手掛けられたそうですね。
はい、その背景から話しますと、もともと日東電工は、電気絶縁材料、粘着テ-プ、高分子材料等の工業材料と録音テープ、乾電池という一般家庭向け消費財を製造していたのですが、後述するプロジェクト結成の10年ほど前に、この録音テ-プや乾電池の事業部が日立と合併して別会社(日立マクセル株式会社)になってしまいました。一方、海外の競合メーカーである3M(スリーエム・カンパニー)は、カセットテープの代名詞になっていたスコッチテープや金属たわし/スポンジ製品などの世界的な消費財ブランドである「スコッチ・ブライト」を立ち上げ、工業材料以外の分野でシェアを伸ばしていた。「日東電工も3Mのようになるべきだ」ということで、家庭用消費財を扱うブランドを再度立ち上げることになったのです。日東電工は地味で堅いイメージの会社ですから、立ち上げプロジェクトの担当者には“主婦ウケするソフトさと個性を備えた社員を”ということで僕に白羽の矢が当たったのです(笑)。僕は日本学園時代から自分らしさを大切にしていたので、お堅い日東電工でもストライプ模様のシャツやサイドベンツ(当時Yシャツは白無地、ボタンダウンは駄目、スーツはノーベントが当然だった)が入ったスーツを平気で着ていました。髪も今と同じように長く、やたらと目立つ社員だった。それで「あいつはトッポイからやらせてみよう」ということになったわけです(笑)。

現在の日東電工㈱本社があるハービスOSAKA

それがメジャーブランド「ニトムズ」の始まりだったのですか!
昭和47年(1972年)に「日東ホームプロダクツ」というプロジェクトチームを編成しました。それを略した「ニトムズ(NITTO HOME PRODUCTS)チーム」が、後に「㈱ニトムズ」の社名となりました。“日東電工の粘着テープで培った技術をベースに家庭用ヒット商品を開発する」、それがプロジェクトチームのミッションでした。僕は「本気でブランディングするなら組織も日東電工と切り離し、スタッフも親会社の価値観に縛られていない新しい人材を入れなければダメだ」と考えていたので、銀座に事務所を借りて、そこにプロジェクトチームを移しました。女性スタッフまで新たに採用し、大手広告代理店からブランド・コミュニケーションのエキスパートに出向してもらって、ゼロからスタートしたのです。最初の1~2年は失敗の連続でしたが、3年目から手ごたえを感じ、昭和50年に株式会社ニトムズを設立。「フリーラック」、「バスタワー」等のヒット商品開発の後、僕が営業企画本部長だった昭和58年(1983年)に、粘着式カーペットお掃除ツール「コロコロⓇ」が大ヒットしたのです。

全国の主婦にお馴染みの、あの「コロコロⓇ」シリーズですね!
そうです、僕は企画・宣伝・販売促進など、「コロコロⓇ」に関するマーケティング戦略全般を担当しました。商品力に自信はあったのですが、予算がない上に失敗は絶対に許されない、という状況でしたから、大規模なPRを実施することは不可能でした。そこでテレビCMの媒体料金が安価なローカルエリアでテストマーケティングを繰り返し、消費者の反応を確かめながら評判を全国へ広げていく作戦を実行したのです。最初にテレビCMをオンエアしたのは北海道でした。「寒い地域だからカーペットもたくさん使っているはずだ」ということで・・・それが功を奏して、まず北海道でヒット商品となり、次は広島でヒット、次は仙台でヒット・・・といった具合です。最終段階では、消費者の食いつきが悪い地域とし有名な名古屋でテレビCMをオンエアしたところ売れに売れた。それで満を持して関東・関西エリアで一挙にCMを流したのです。売上は8億円ぐらいまで伸びましてね、ニトムズでテレビ番組のスポンサードもしたい、CMもシリーズ化すれば、もっと売上も伸びるはずだと確信しました。日東電工の社長にマーケティング予算の増額を頼んだのもこの頃です。

爆発的ヒット商品となり、今も人気商品の「コロコロⓇ」。
写真は「コロコロスタンダードS」。

どんな番組をスポンサードされたのですか?
中山美穂さんのデビュー作となったドラマ「毎度おさわがせします」(TBS系列1985年O.A.)です。タイトル通りの刺激的なストーリーで人気番組になりました。僕は「コロコロⓇ」の認知を盤石にして、さらに売上を伸ばすためには、挑戦的な企画で高い視聴率を見込める番組をスポンサードしなければ意味がないと考えていました。そのポテンシャルを秘めたドラマが「毎度おさわがせします」だったのです。刺激的なドラマのスポンサーとなることは、お堅いイメージを持つ親会社にとっても大きな賭けとなります。それだけにトップへのプレゼンテーションは、僕にとって一世一代の勝負。あえてカジュアルなジーンズ姿でプレゼンテーションに臨みました。その結果、「毎度おさわがせします」のスポンサードが決定し、急上昇する中山美穂さんの人気と比例するように、「コロコロⓇ」の販売実績も着実に伸びていきました。

世界中で愛されているワイヤーシェルフ「エレクター」。
写真は「スーパーエレクターシェルフ」。棚板はすべて抗菌クリアコーティング仕様。
業界のパイオニアならではの堅牢性と信頼性、ワイドなバリエーションが魅力だ。

現在のエレクター㈱へ転身された経緯は?
プロジェクト立ち上げから短期間でニトムズ㈱は急成長しました。新製品も次々に投入され、暮らしに欠かせない日用品ブランドとしての安定したポジションを確立しました。平成に入って急成長して来た(株)ニトムズの成長が踊り場に差し掛かった頃、次期成長戦略を巡り、トップの考えとどうしても折り合いがつけられないことから、私が身を引くことを決意し退社しました。充電期間も半年になり、少々退屈しだした頃、旧知のエレクタ-社の社長からお誘いを受けたのです。ご存じのように「エレクター」は世界各国で愛されているワイヤーシェルフです。弊社は和食レストランを経営する会社として1957年に創業しました。その後、1966年に米国のインターメトロ社と技術提携し、日本で独自にエレクター・ブランドの製品を製造・販売する会社になったのです。米国生まれの製品を扱っているので、一見、外資系企業のように見えますが、実は生粋の日本企業なんですよ(笑)。エレクターのワイヤーシェルフは、優れたデザイン性、機能性、耐久性、クリーン性で、フードサービス、ホテルのレストラン、病院、工場など、様々な業界のプロに支持されてきました。エレクター㈱の次の狙いは、家庭向けのワイヤーシェルフ「ホームエレクター」を開発・販売して市場拡大を図ることでした。ニトムズ㈱で培った家庭用品のブランドマネジメントのノウハウを活かし、「ホームエレクター」の市場開拓をリードする、それが僕の新しい仕事になりました。平成3年にマーケティング部長として入社しましてね、プライベートユースに見合ったプライス設定や機能面の改善・改良なども手掛けました。その甲斐あって「ホームエレクター」はクリエイターのSOHOから一般家庭のキッチンに至るまで、幅広い市場を獲得することができました。

松本さんが手がけた「ホームエレクター」シリーズ。
写真は木目ブランチシェルフ(棚板)を備えたリビング向けの製品。

松本さんは同窓会・同期会の意義をどのようにお考えですか?
同窓会・同期会は若い頃から継続することが大切だと思います。しかし、現実は転勤や転居など、様々な事情で音信不通になる友人もあり、仕事も家庭も忙しく、同窓会や同期会どころじゃなくなる・・・結果的に一部の仲の良い友人同士の限られた付き合いになってしまうんですね。私自身もそうでした。一人ひとりのOBが若い頃から、先輩や友人とつながる努力を続けていれば、仕事でもプライベートでも、もっと助け合えるはずだし、母校で結ばれた人材のネットワークがビジネスチャンスを生み出す可能性もあります。もちろん、つながるためには、それを後押しするパワーが必要です。そのパワーこそ“日本学園に学んだプライド”に他なりません。榎本理事長、谷川前校長を始めとする学校関係者の皆様並びに梅窓会の皆様のご努力により、現在、母校で学ぶ生徒たちは“名門・日本学園の生徒であるプライド”を着実に取り戻しつつあると思います。たとえば、吹奏楽部諸君の演奏ひとつを取っても、僕らの時代より、はるかにハイレベル。良き伝統を継承しながら、現代の名門校に相応しい教育環境を着々と整備されおり、生徒も期待に応えています。その意味でも、これからはOBネットワークを再構築する絶好の時期。文武両道でがんばる後輩たちのためにも、OB一丸となって交流の輪を広げていきましょう。

平成25年度・梅窓会・懇親会(6/23)で同窓の仲間と共に。

梅窓会 広報部会

2013年7月24日水曜日

Baisoukai Today スペシャル・インタビュー④

OB&在校生(梅窓会・準会員)の“今”を伝える「Baisoukai Todayスペシャル・インタビュー」をお届けします。第4回は、梅窓会ブログ・訪問者総数100,000人を記念するロングインタビューを実施。プロ仕様シェルフの世界ブランド「エレクター」の日本における開発・販売を推進するエレクター株式会社・相談役・松本勝馬さん(S36年卒)にお話を伺いました。

日本学園に学んだ。そのプライドをパワーに。(上)

松本勝馬(S36年・日本学園高等学校卒)
昭和18年1月17日生まれ。狛江市に育つ。中央大学 経済学部卒。
エレクター株式会社・専務取締役を経て2013年相談役に就任。

在学中はいくつもの部活を掛け持ちされていたそうですね。
僕は中学校から日本学園に入学しましてね、中学時代は「ブラスバンド部」(現在の吹奏楽部)、「社会科研究部」、「天文部」、高等学校に進級してからは、「社会科研究部」と「コーラス部」で活動しました。特にコーラス部の活動には力を入れていましてね、高校1年生のとき、コーラス部の先輩たちが演じたイタリアオペラの「ラ・ボエーム」にスタッフとして参加して、僕もやってみたい、と思ったのが入部のきっかけです。みんなでひとつの舞台を作り上げていく楽しさを知って夢中になりましたね。当時のコーラス部は、コーラスの練習に来たり来なかったり・・・そんな幽霊部員みたいな生徒も含め、いろんな奴が参加していました。ですからOB会で集まると「アレ、おまえもいたのか?」という同窓生と再会することもありますよ(笑)。

日本学園中学校1年生の遠足。右端バスガイドさんの左・メガネの少年の左下で
何かをくわえている少年が松本さん。担任は声楽家の友竹正則氏。

コーラス部での思い出を聞かせてください。
文化祭で上演した『マルタ』(正式には『マルタまたはリッチモンドの市場』)が思い出深いですね。フリードリッヒ・フォン・フロトー作曲の4幕からなるドイツオペラで、女官のいたずら心から起きる騒動と恋の顛末を描く、コミカルでロマンティックな作品です。日本ではアイルランド民謡「夏の名残りのバラ」をテーマ曲としていることでも有名です。この『マルタ』を文化祭の公演規模に合わせて再構成する必要がありました。そこで僕が脚本・美術舞台装置を担当して、東京芸大を目指していた同期の金沢君が作曲を担当、主役のライオネルを演じた河野君が演出を担当しました。見せ場見せ場の『アリア』5~6曲以外は、すべて金沢君がオリジナルを作曲したんですよ。僕は役者としてバリトンも担当しましてね、準備に一年ぐらいかけたかなぁ・・・懐かしいですね・・・

『マルタ』を演じた仲間たちと在りし日の一号館・外階段で撮影。
左から5番目のスカーフを巻いた青年が松本さん。

『マルタ』を演じるためには女優さんが不可欠ですが?・・・
そうなんです、男子校だから女子がいない(笑)!そこで中等部までブラスバンド部でトランペットをやっていて、国立音楽大附属高校に転校した友人に頼んで、同校の女子生徒に参加してもらいましてね、それから鴎友学園女子高校の生徒にも参加してもらいました。衣装も六本木の俳優座へみんなで借りにいってね、女子は自分たちで手製の衣装を作って演じていました。すごいでしょ(笑)。小生の衣装は母の手作りで、なんと、この5月に転居した折、台本や楽譜と共に53年ぶりに出て来たんですよ。

休日に私服で登校。一号館北側エントランスの階段で撮影。
当時からオシャレな青年だった。

松本さんが学んでいた頃の日本学園はどんな学校でしたか?
兄が日本学園に通っていたものですから、それが縁で入学したんです。僕の二級上には前校長の谷川さんや常務理事の小川さんを始め、現在の母校を支えている先輩方もおられました。進学実績では毎年、国公立大学、早稲田大学、慶応義塾大学や現在MARCHと呼ばれるクラスの大学にも、それぞれ数名から数十名が合格していました。群を抜いた進学校ではなかったけれど、世田谷周辺では歴史ある名門校として認識されていたと思います。先生方も優秀かつ個性派ぞろいでした。中学時代の担任は、その後テレビ番組でも活躍された声楽家の友竹正則先生です。体育科の講師にはメルボルンオリンピックの鉄棒で金メダルを獲得した小野喬先生がいらっしゃいました。おさな心の中に「俺たちはすごい先生方から教わっているんだ!」という誇らしい気持ちがありましたね。高校に進級してからは、とにかく自由な雰囲気で、青春時代をのびのびと謳歌できる学校でした。「受験勉強しろ!」とうるさく言う先生もいなかった。もし、うるさく言われていたら、進学実績はもっと良くなっていたかもしれませんね(笑)。

一号館南側ヒマラヤ杉の下で。
右は同期の浦本建十郎さん。浦本さんは軟式テニス部OB。
ラテンムード歌謡グループ「東京モナルダ」のメンバーとして活躍。
現在は中野坂上で居酒屋『食いものや駄々っ子』のオーナーをされています。
「東京モナルダ」のヒット曲『神戸で別れて』をYouTubeでお聞きいただけます。

日本学園らしい自由の気風の中で青春を謳歌されたのですね。
はい。当時の制服は黒い詰襟でしたが、校内で私服を着用する時には、着用する理由を書いて学校に届け出なければならなかった。しかし僕は“黒い詰襟にグレーのフラノのズボン”という当時の大学生の着こなしに憧れていましてね、なんだかんだと適当な理由をつけては、それを真似した格好で登校していました。僕は高校時代に生徒会長も務めたのですが、そんな規則違反の常習者が生徒会長なんですから、良くも悪くも、おおらかな気風があったんですね。そんなことで僕も中学校を卒業する時は「優等賞」をいただきましたが、高等学校へ進学してからは、部活に夢中で、まったく勉強しませんでした(笑)。当時は高等学校から入学してきた優秀な生徒も多く、さらに他校を退学になって日本学園に編入してきた猛者なんかもいて、いろんな奴が個性を発揮していた時代でしたね。

上段左が高校1年生の松本さん。右・田中さん(一年先輩)、左下・河野さん(同期)、
右下・間瀬さん(同期)。日本学園の生徒は今も昔もオシャレでセンスがある。

今、日本学園に学ぶ生徒たちに伝えたいことは?
僕は日本学園で本当に心豊かな6年間を過ごしました。その豊かさの中には、すばらしい友人や先生方との出会いもあったし、社会の第一線で活躍するOBや一流の見識を備えた方の薫陶に触れる機会もありました。プロ野球解説の草分けである小西得郎氏、映画監督の吉村公三郎氏、陸軍大将だった荒木貞夫氏、吉田茂の後継と言われながら急逝した緒方竹虎氏。河野洋平氏・太郎氏の父であり、祖父であった河野一郎氏などの講演会もあって、立派な先輩方がいる日本学園を誇りに感じたものです。この恵まれた環境は、現在の日本学園も変わらないと思います。在校生諸君は、ぜひ日本学園の歴史やOBの偉業を学んで欲しいですね。知れば知るほど、日本学園の生徒であることを誇りに思うはずです。

次回『日本学園に学んだ。そのプライドをパワーに。』(下)に続く。

梅窓会 広報部会

2013年7月10日水曜日

「Baisoukai Todayスペシャル・インタビュー」③

OB&在校生(梅窓会・準会員)の”今”を伝える「Baisoukai Todayスペシャル・インタビュー」をお届けします!柔道部OB、為替株式学習部に続く第3回は、「中学・野球部」で活躍する球児諸君と中学野球部監督・高橋裕輔さん(H14年卒・高等学校・硬式野球部助監督)が登場!この春、部員不足で約2年間、試合に出場できなかった中学野球部に待望の新入部員9名が入部!3年生と合わせて12名となり、6月には約2年ぶりに公式戦にも出陣しました!日本学園の未来を担う”もっとも若い梅窓会メンバー”に野球への想いと将来の夢を聞きました!

中学野球部諸君と高橋監督(H14年卒)

勉強も野球も一生けんめいに取り組む、それが中学・野球部です!

★主将:野口君(中学校3年)
OBの皆さん、こんにちは!中学野球部・主将の野口です!現在、中学野球部は1年生・3年生合わせて12名の部員で活動しています。6月9日(日)には約2年ぶりの公式戦となる『世田谷区中学校夏季選手権野球大会』に出場しました。残念ながら1-9で負けてしまいましたが、公式戦を体験できて良かったです。主将としての目標は、中学在学中にチームで一勝すること、声が小さいといわれるので、大きな声を出せるように頑張ることです!中学野球部は高校の硬式野球部とちがい、部員が少ないため、試合に出られるチャンスがあります。練習もみんなで楽しくやっています。小学生のみなさん、中学野球部は、野球のうまい、ヘタを問いません。野球が好きで、一生けんめいに取り組む新入部員を募集します!もちろん、野球部や野球チームで活躍中の小学生も大歓迎!みんなで野球を楽しみましょう!日本学園のグラウンドで待ってます!

一球入魂!平田君の力強く、美しいピッチング・フォームを見よ!

【中学野球部・ひとことインタビュー】
①日本学園に入学した理由は?
②中学野球部に入部した理由は?
③部活で楽しいと感じるのはどんなとき?
④部活で目標にしていることは?
⑤将来の夢や目標を聞かせてください

★及川君(中学校1年)
①難関大学に進学するために日本学園を選びました。
②お父さんが野球をやっていて、自分も中学でやってみたかったので・・・
③ボールをうまくキャッチできたとき。
④『世田谷区中学校夏季選手権野球大会』で優勝したい。
⑤慶応義塾大学を目指しています。将来はゲームメーカーで働きたい。

★平田君(中学校1年)
①高校の野球部が強くなってきたから。高校でも野球をやりたくて入学しました。
②小学校から野球をやっていたから。ポジションはサード&ピッチャー。
③監督の鋭いノックを受けているとき。バッティングしているとき。
④まず一勝したい。試合経験を積んで優勝を狙いたい。
⑤早稲田大学を目指しています。将来はプロ野球選手になりたい。

★山﨑君(中学校1年)
①進学実績が伸びている男子校に行きたかったから。第一志望で入学しました。
②お父さんも野球少年で、自分も小学校から野球をやっていたから。
③バッティングしているとき。ポジションはセカンドです。
④現在3番バッターなので4番バッターになりたい。
⑤難関大学に合格して、みんなを驚かせたい。

1年生の投球を受ける主将・野口君。頼もしい先輩だ。

★海東君(中学校1年)
①歴史と伝統があり、グラウンドも広い。塾の先生にも「日学は良い」と勧められて。
②少年野球チームで野球をやっていたから。ポジションはファースト。
③家での素振りなど、練習が試合の結果につながるとうれしい。
④チームに貢献できるプレーをすること。
⑤キヤノンやニコンなどの精密光学機器メーカーで働きたい。

★近藤君(中学校1年)
①創発学で農業・漁業体験などができて人生のプラスワンになるから。
②勉強のために野球を諦めたお父さんから「野球をやりたいならやれ」と言われて。
③監督のノックをキャッチできたとき。初心者なのでうれしい。
④エラーなどでチームに迷惑をかけない。
⑤三菱重工の社員になって国を守る技術を創造したい。

★稲葉君(中学校1年)
①世田谷の上町に住んでいるので通学に便利だから。
②小学校2年生からクラブチームで野球をやっているから。
③プレーしているとき。
④楽しみながら野球をやること。
⑤東京六大学のどこかに入学して六大学リーグで活躍したい。

広大なグラウンドと巨樹の木陰が日校球児の舞台

★田中君(中学校3年)
①高校を受験せずに済むから。
②小学校から野球をやっていたから。
③試合で打てたときや球をキャッチできたとき。
④試合で勝てる実力をつけたい。
⑤何不自由のない人生を送ること。

★廣田君(中学校3年)
①兄がOBなので、学校の良さを知っている母に勧められて受験しました。
②小学校時代に遊びで野球をやっていたから。
③ノックのボールをキャッチできたとき。
④とにかく試合に勝ちたいです。
⑤Google Japanに入社したい。社員食堂が無料だから。

★亀里君(中学校3年)
①少人数クラスで友人と深く付き合える。授業がしっかりしている。第一志望で入学。
②小学校のときから野球チームでプレーしていたから。
③グラウンドでノックやバッティングをしているとき。
④秋季大会勝利。並行して入部しているトライアスロン部の活動もがんばること。
⑤国立・信州大学を目指しています。都会が苦手なので・・・。

★野口君(中学校3年・主将)
①他校も合格しましたが、特待合格で自然が豊かな日本学園を選びました。
②小学生のときから野球チームでプレーしていたから。
③みんなで楽しく練習しているとき。
④高校でも野球を続けたい。硬式・軟式は決めかねています。
⑤普通の会社に就職して、普通の生活を送りたい。

練習前のミーティング。高橋監督は部員たちの良きアニキでもある。


まさに文武両道!それが日本学園・中学野球部です!
中学野球部監督・高橋裕輔(H14年卒)

◆中学野球部の活動方針・目的は?
中学野球部には野球経験者と未経験者が混在しています。部員の日本学園に入学した理由も野球が主目的ではありません。従って野球をやるために入学してきた高校・硬式野球部の生徒たちとは、活動方針も目的もまったく異なります。中学野球部では、上手い下手は関係ありません。団体競技である野球を通じて、体力づくりはもちろん、団体行動のルールやチームワークの大切さをしっかり学んでいくことが活動方針であり目的です。もちろん、「高校の硬式野球部で野球を続けたい」という生徒もいますので、やりたいという生徒を引きとめることはありません。この春卒業した硬式野球部員の中にも中学野球部OBがいます。また、日本学園には軟式野球部もありますので、野球そのものを続けるのであれば、申し分のない環境が整っていると思います。

◆当面の目標について聞かせてください
今年は3年生部員の協力を得ながら1年生部員を鍛えることです。まず、現在の1年生部員の技術面・体力面の両方をできるだけ伸ばします。さらに来春、新1年生をできるだけ確保し、公式戦に出場できる二学年の体制を作ります。できれば15~16人体制にして夏の公式戦に挑みたいと考えています。世田谷区には区立・砧中学校という超強豪がいますし、私立でも東京都市大学附属中学校などは、あなどれない存在です。多くの私立中学校の野球部は日本学園と同じく、体力づくりや精神面の鍛錬を目的に活動しているのですが、公式戦に出場するからにはやはり勝ちたい。中学生部員の勝利を目指す気持ちは、高校・硬式野球部の先輩たちに負けません。特に今年は小学校時代に野球経験を積んだ生徒が多いので、モチベーションも高い。この勢いで”野球と勉強を両立するならダンゼン日本学園中学校”と評価される中学野球部を育てたいと思っています!野球好きな小学生のみんな!日本学園は勉強にも野球にも、のびのびチャレンジできる学校です!キミたちの入部を待ってます!

取材:2013年6月25日
梅窓会 広報部会

2013年3月2日土曜日

『Baisoukai Today』 スペシャル・インタビュー②

2月中旬にお届けいたしました『Baisoukai Today』。梅窓会ブログでは同冊子に掲載された記事の中から、限りある紙面では紹介できなかったインタビューをスペシャル版として拡大・掲載いたします。その第2弾は文化部の新鋭、「為替株式学習部」で活躍する中高一貫生の準会員2名が登場!同クラブと「鉄道研究部」を掛け持ちでがんばるバイタリティに、広報部会OBもびっくり!そんなふたりに充実したキャンパスライフと知の格闘について伺いました。

麗澤大学主催「企業経営チャレンジ21」財務部門「優秀賞」「奨励賞」に!

【為替株式研究部】
                          高等学校2年C組  川俣 佑貴(為替株式学習部・部長)左
                          高等学校2年C組  元田 直希(為替株式学習部・副部長)右

■ふたりが日本学園に入学した理由は?
【川俣】
日本学園には大勢の偉人を輩出してきた歴史と伝統があります。また、中高6年間の「創発学」で農業体験や漁業体験ができるなど、他校では体験できないカリキュラムがあることにも魅力を感じて入学しました。
【元田】
僕は受験を控えていた小学校6年生のとき、オープンキャンパスで鉄道研究部のクラブ体験に参加し、そのレベルの高さと楽しさに夢中になりました。鉄研に入部するために入学したようなものですね(笑)
【川俣】
実は僕たちは「為替株式学習部」と「鉄道研究部」の両方に所属しています。「鉄道研究部」では、元田君が部長、僕が副部長を務めています。

■為替株式学習部の活動内容と入部したきっかけは?
【元田】
「為替株式学習部」に入部したのも中学時代でした。先に入部していた友人に「為替株式学習部に入部して、エコノミクス甲子園で優勝するとニューヨークへ研修旅行にいけるぞ、やってみないか」と誘われたのがきっかけです。
【川俣】
僕は元田君に誘われて入部しました。もともと経済学に興味があったので、迷わず入部しました。
【元田】
「為替株式学習部」は為替レートと世界情勢、株式購入体験等を通じて経済・経営学の入り口を楽しく学ぶクラブです。主な活動は東証為替市場の為替予測をする「全国学生円ダービー」や中・高・大学生の株式学習コンテスト「ストックリーグ」、仮想の企業を所有し、経営体験を実践的に学ぶ「知の甲子園」、麗澤大主催「高校生対抗・企業経営チャレンジ21」、そして金融・経済を中心とするクイズで全国の高校生と“金融知力”を競うリソナ銀行主催「エコノミクス甲子園」へも参戦しています。

川俣 佑貴(為替株式学習部・部長)

■過去の戦績と現在開催されている大会は?
【元田】
現在(2012年12月末)進行している「知の甲子園は、参加した各校の中高校生が架空の会社を経営して業績を競う大会です。商品の価格、生産設備への投資、広告宣伝費、技術開発費などを多面的に考え、利益や市場占有率等の状況をコンピューターが分析・判定し、各チームの優劣を決定します。
【川俣】
その予選が2012年11月から2013年1月まであり、全国大会が2013年の早春にあります。競技は2人ひと組になってインターネット上で行います。日本学園からは3チームがエントリーしています。予選の結果はまだわかりませんが、すべてのチームがベストを尽くして戦っています。
【元田】
昨年の麗澤大学主催「高校生対抗・企業経営チャレンジ21」で、財務報告・計算力部門で僕が「優秀賞」、同じ部門で川俣君が「奨励賞」をいただきました。うれしかったです!「高校生対抗・企業経営チャレンジ21」は、ボードゲームスタイルで実際に貸借表、在庫管理、資金繰り表などをまとめて、最終的には決算書まで自分たちで作成し、自分たちの会社を成長させるビジネスゲームです。今年はさらに上位の賞を狙いたいですね!

元田 直希(為替株式学習部・副部長)

■日本学園の魅力と将来の夢は?
【川俣】
入学して5年が経ちましたが、日本学園は自分のやりたいことができる、やりたいことを応援してくれる学校です。それが日学の校風だと思います。
【元田】
特に中高一貫クラスは少人数ですが、それだけ一人ひとりの個性を伸ばせる環境があると思います。四季を感じる広大で自然豊かな校内も他校にはない魅力ですね。
【川俣】
将来は為替株式学習部で学んだことを活かせる経済・経営系学部への進学を考えています。鉄道や旅行も好きなので観光学にも興味があります。いつかは日本全国を旅するのが夢です。
【元田】
僕も経済・経営系学部へ進学し、将来は為替株式学習部で学んだ経済・経営学の基礎と観光学を両立できるような仕事に就きたいと考えています。鉄道・交通業界もそのひとつですね。日学のOBにはJR東日本で活躍された榎本理事長のような大先輩もいらっしゃるので心強いです。

■部長の川俣君から4月の新入生にメッセージを!
【川俣】
経済学や経営学はむずかしいのでは?という中高校生も多いと思いますが、僕たちのやっていることは、その入り口であり、決してむずかしくはありません。むしろ、経済学・経営学をシュミュレーション・ゲームのような感覚で体験しながら、楽しく学んでいます。為替株式学習部は中学生の段階から、社会科学を追求できる全国的にも貴重なクラブです。この春入学する新入生で“社会の仕組みを知りたい”という諸君は大歓迎!ぜひ入部してください!待ってるよ!

為替株式学習部の最新情報はこちら!
http://www.nihongakuen.ed.jp/cumpus/club.php?id=52&pos=0#no6231

取材:2012年12月25日
梅窓会 広報部会 


2013年2月23日土曜日

『Baisoukai Today』 スペシャル・インタビュー①

2月中旬に梅窓会員のみなさまへお届けいたしました『Baisoukai Today』。もうお読みになりましたか?梅窓会ブログでは同冊子に掲載された記事の中から、限りある紙面では紹介できなかったOBインタビューをスペシャル版として拡大・掲載いたします。

日本学園の誇りを胸に大学柔道の頂点を目指します!

星 光(平成23年卒・平成22年インターハイ優勝)
國學院大學・柔道部<経済学部1年生>

■星君の近況を聞かせてください
日本学園OBのみなさん、先生方・在校生・学園関係者のみなさん、そして柔道部ならびに柔道部OBのみなさん、こんにちは!私はいま、國學院大學・たまプラーザキャンパス(横浜市・青葉区)にある柔道部の寮で大学生活を送っています。たまプラーザキャンパスには柔道場、陸上トラック、野球場、テニスコートなど、國學院大學のスポーツ施設があり、初等教育や健康体育学を学ぶ人間開発学部も設置されています。この恵まれた環境で、私は日々柔道に打ち込んでいます。

顧問の手塚先生と練習風景を見ながら後輩たちのコンディションをチェック。

どんなキャンパスライフを送っていますか?
私の一日は朝練から始まります。早朝6時から1時間ほど汗を流し、朝食を食べてから田園都市線に乗って渋谷の大学へ向かいます。國學院大學は近年、キャンパスの再開発プロジェクトが完成し、校舎も最新型のきれいで機能的な校舎に生まれ変わりました。緑も多く、落ち着いて学べる環境です。勉強は得意ではありませんが、講義は休まず出席し、柔道部の先輩にも教わりながら、単位はきっちり取っていますので心配しないでください(笑)。授業が終わると一度寮に帰ってから柔道場へ行き、夕食の時間まで練習です。日曜日だけ練習が休みなので、寮の仲間と遊びに出かけたり、部屋で身体を休めるなど、メリハリある生活を送るように努めています。

日本学園柔道場に今も掲げられたインターハイ優勝記事。
星先輩は柔道部後輩たちの憧れだ!

■大学柔道部の雰囲気と戦績・今後の予定は?
國學院大學・柔道部は練習は厳しいのですが、先輩・後輩の間に壁が無く、柔道も勉強もプライベートのことも、何でも相談できる温かい人間関係があります。高い目標と実力を持つ仲間が全国から集まっていますので、お互いに切磋琢磨しながら練習しています。國學院は一昨年に全国大会で3位に輝き、さらに上位進出を狙っています。2012年の自分は全日本ジュニアで準優勝することができました。しかし、全日本ジュニアは日本学園時代に2回戦で負けてしまった大会なので、大学では絶対に優勝してリベンジを果たしたいと思っていました。それだけに準優勝は悔しかったですね。いまの私の目標は3月のブレーメン国際大会で優勝すること。さらに、全日本大学体重別選手権大会の個人戦予選が7月に、本戦が9月にあり、さらに11月には団体戦も控えています。強豪・國學院の名を高めるためにも、個人戦はもちろん、団体戦でも柔道部一丸となって優勝を目指します。

将来の目標とメッセージをお願いします!
大学に入学して一年目なので、具体的な将来像は考えていませんが、柔道部で結果を出すことができれば、その実績を活かし、警察官になることも視野に入れています。しかし、いまは柔道と学業に真剣に取り組むことが最優先です。すべての大会でベストを尽くし、個人でも団体でも日本学園OBの誇りを胸に頂点を目指して戦います。応援よろしくお願いします!

取材当日、久しぶりに訪れた懐かしい柔道場で
恩師・万田先生・手塚先生、後輩たちと記念撮影!

日本学園・柔道部・最新情報はこちら!

日本学園・柔道部OBブログ「百代期」はこちら!
http://ameblo.jp/hyakudaiki-seibunjyuku/

取材:20121224
梅窓会 広報部会