2018年8月11日土曜日

武蔵野中央公園の月待台

武蔵野市の北部に都立武蔵野中央公園があります。

ここは終戦(1945)まで、中島飛行機の工場があったところで、「隼」戦闘機などのエンジンを製作していました。
米軍は東京を空襲できるようになって最初の本格的な爆撃をこの工場目掛けて9度にわたり行いました。その最初が1944年(昭和19年)11月24でした。
多くの犠牲がでました。武蔵野市では11月24日を武蔵野市の「平和の日」として世界平和を祈願する日に設定しています。
戦後は米軍の家族宿舎ができたりしましたが、最終的に公園とすることになりました。市民は「通常の公園」にするのでなく、なにもないはらっぱにするようにとの運動を起こし、最終的に花壇や池や子供のための遊具などのない公園ができました。今でも「原っぱ」と通称されています。
「原っぱ」になったため、人々は凧を揚げ、模型飛行機を飛ばすことが出来ます。武蔵野市の消防隊の出初式もここで行なわれます。

公園全体 右に見えるビルはNTTの研究所

公園の説明板、最初に古歌「武蔵野は 月の隠れる 山もなし 草より出でて 草にこそ入れ」が書かれています。

月待台

月待台の名板

昭和28年卒 米田利民

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

あの公園よく散歩に行きました。
でも最近は言ってないな~。
我家から軍艦のような巨大なNTTのビルがよく見えます。