2015年2月25日水曜日

梅窓会から卒業生に贈る「卒業記念品」が届きました。

昨年暮れから梅窓会の運営委員会において選定作業をしていた卒業記念品もやっと決まり、昨日この卒業記念品が梅窓会事務所に届きました。3月初旬の卒業式会場にて200余名の卒業生に贈られます。
どんなものかは明かせません。当日のお楽しみ。小さくてもパワーは充分な逸品です。

 
梅窓会 広報部会



2015年2月19日木曜日

私の武蔵野歩き「多摩の歴史を訪ねて」

215日(日)、武蔵野市ウォーキング協会主催の「多摩の歴史を訪ねて」のウォーキングに参加しました。約170名が参加。歩いた距離は12キロ。9時半~午後2時。

ウォーキング・ルート:国分寺の殿ヶ谷戸公園武蔵国分寺公園お鷹の道武蔵国分寺跡国分寺尼寺跡谷保第三公園(昼食)矢川緑地立川公園根川緑道普済寺(国宝「六面石幡」拝見)諏訪神社(解散)というルート。快晴であったが北風が強く、昼食の時は難儀でした。

昭和28年卒 米田利民 
 

 
 お鷹の道の「真姿の池」
 
 国分寺楼門(現在の国分寺)
 
 武蔵国分尼寺跡
 
 矢川緑地(湿地)、木道を歩く。
 
普済寺。昔の立川氏の館の跡地に建てられた池の右奥に国宝「六面石幡」がある。
                      
 
 

2015年2月16日月曜日

2月度運営委員会開催報告

去る214日(土)、運営委員、オブザーバー、理事の参加者20名により、2月度の運営委員会が開催されました

運営委員会Topics

■各部会報告(総務、広報、会計、組織、企画)
1月度の活動報告がありました。

■会報『BAISOUKAI TODAY』について
まもなく発行される会報の発送作業を217日(火)10時より行います。会報封入作業にご協力頂ける方は会議室へお集まり下さい。

■総会、記念同窓会の開催日決定
日本学園が創立130周年を迎えるにあたり、記念行事の検討を行っている「創立130周年記念行事委員会」より、総会、記念同窓会開催についての提案がなされ、総会が6月21()、記念同窓会を927()に開催することが決定しました。記念の年となる会の成功に向けて、引続き検討を行ってまいります。

■第123回卒業式の『卒業記念品』について
見本の品が届き、委員会で使い心地を確かめました。あとは納品を待つばかりです。

■第123回卒業生のクラス幹事歓迎会について
同期会の取りまとめ役となる学年代表幹事と常任幹事を選出し、梅窓会の仕組みと意義を理解する大切な場として位置づけています。33日の開催に向けて組織部会、総務部会が中心となって準備を進めています

■第123回高校卒業式の参加について
髙木会長始め、役員、運営委員が参加予定。

■会費納入状況報告

■理事会報告
小川理事より報告がありました。

議論を交わし、意見を述べ、知恵を出しあう、皆さんの真剣な表情
すべては母校の発展と梅窓会の活性化のために・・


梅窓会 広報部会

2015年2月13日金曜日

私の山歩き「早春の吾妻山」

24日(水)神奈川県のJR二宮駅から吾妻山(標高136.2m)という湘南の海や伊豆半島が美しく見える山へ登ってきました。登山というよりハイキングです。下山後、徳富蘇峰記念館を訪ねました。
 
昭和28年卒、米田利民

 

 袖ヶ浦海岸(蝦夷討伐に向かう日本武尊ヤマトタケルノミコトを海難から救おうと海に
     身を投げた弟橘媛オトタチバナヒメの小袖が流れ着いた経緯から命名)
 
 途中で見た「寒アヤメ」
 
吾妻山頂上、箱根の山がよく見える
 
山頂からの湘南の海・伊豆半島の絶景
 
徳富蘇峰記念館の梅園(梅は一分咲き、水仙が満開)
 
 

2015年2月8日日曜日

先輩達の卒業アルバム

中学の入試も終わり、高校入試も一般入試を残すのみとなりこれが終了すれば、あとは37日の卒業式を待つばかりとなりました。
さて、ここに一冊の戦前のアルバムがあります。東京商科大学(現在の一橋大学)の卒業記念アルバムです。なんと310ページに及ぶ大変豪華な内容のアルバムです。背文字は「東京商科大学卒業記念帖」とあり、表紙は校章である白蛇(商業の神と言われている)が描かれております。昭和16年(1941年)12月の発行となっています。
中をおもむろにめくってみますと、沢山の卒業生の顔写真が掲載されておりますが、そのなかに日本中学校を卒業した我々の大先輩のお二人が出ております。お名前を紹介しますと河村友三先輩と都竹憲太郎先輩です。河村先輩は三菱銀行、都竹先輩は三菱鉱業に就職先の会社名が記されております。なお都竹先輩のクラブは体育系で柔道部なのです。
両先輩は日本学園が新宿淀橋から世田谷松原の現在の地に移ったのが昭和11年(1936年)10月ですので計算してみますと、この松原校舎での最初の卒業生だと思われます。
なお英米に宣戦布告し太平洋戦争が始まったのはこのアルバムのできた月、128日であります。卒業式といえば通常は3月ですが、この当時政府より発せられたのが兵員不足を補う為に実施された《学徒出陣令》で、これによって卒業が3ヶ月早まり12月卒業になり、直ぐに徴兵検査の後、2月に軍隊に入隊する事と新たに定められます。卒業にあたりお二人の言葉が添えられていますので下にご紹介しましょう。日本を代表する大企業に就職先も決まり戦争のことなど何も感じさせない文章ですが、我々には想像を超える心境で書かれたのではないでしょうか。

河村友三先輩
長い様だった学生生活もあわただしく終わるというようなことになり、今迄何をして来たことか。一体何が得られたかを考へ、今後一層勉強しようと思っています。

都竹憲太郎先輩
学生という特権の陰に色々の事を行って来たが、いよいよ赤裸な社会生活の入ることになった。進む為には退かねばならぬという、残された二カ月を更に深く一橋生活に沈潜させようと思う。人生はこれからだ。

 

広報部会 44年卒 中村 隆
 
 
下の写真は左クリックすると拡大されます。
 
当時の東京商科大学(現在の一橋大学)の卒業記念アルバム



河村友三先輩(上)と都竹憲太郎先輩(下)。出身校の日本中の文字。

 
柔道部の都竹先輩(左から二人目)
 
河村先輩の卒業の言葉
 
都竹先輩の卒業の言葉
 
 
 
 

2015年2月6日金曜日

平成27年2月度の運営委員会開催のお知らせ  

平成27年2月度の運営委員会を下記の通り開催いたします。
運営委員・オブザーバー各位のご参集をお願いします。
運営委員で欠席の方は梅窓会事務室または出席者へ必ずご連絡ください。
現在、開催のお知らせはブログor FAXのみで郵送は廃止しています。
 
 

日時:平成27214日(土)14:0016:00

 場所:日本学園内 木造会議室


議題

1) 平成27年1月度運営委員会議事録確認
2) 各部会報告(総務、広報、会計、組織、企画)
3) 会費納入状況
4) 会報BAISOUKAI  TODAY について
5) 創立130周年記念行事検討委員会の諮問について
6) 平成27年度活動計画と平成26年度の活動実績について
7) 平成26年度卒業生のクラス幹事歓迎会(学年幹事、学年代表幹事の選出)について
8) 高校卒業式(3月7日 土曜日)参加について
9)その他

会議中に理事会報告を予定しています。
 
★運営委員以外のOBもオブザーバーとして参加できます !

梅窓会 会長 髙木 光
  

 

2015年1月31日土曜日

昭和初期、明大前駅の駅名は影も形も無かった。

●日本学園は昭和11年(1936年)1018日から新宿淀橋から現在の松原の新校舎に勉学の地を移し現在に至っていますが、OBの皆さんが3年間あるいは6年間お世話になった明大前駅は昭和初期発行の東京世田谷松原地域の古い地図を見てみますと明大前駅は、まだ影も形もありません。●上の地図(新大東京全図 昭和7年 文彰堂編集部発行)ではまだ井の頭線も開通しておらず、京王線(旧京王電気軌道)は代田橋駅の次は「松原駅」という駅が今の明大前駅より少し西側に存在し、次の駅が下高井戸駅となっております。さらに下の地図(大東京市区分地図 昭和9年 雄文館発行)は井の頭線がやっと開通しましたが、明大前駅はなく現在の明大前駅よりやや北側に「西松原駅」が出来ております。すでに東松原駅がありましたので西松原駅という駅名にしたものと思われます。その後昭和10年(1935年)にこの松原駅と西松原駅を合体させ明大前駅としたようです。なお女体専校の文字が確認できますがこれは現在の二階堂高校であることがわかります。そして明大前駅が出来て1年後の昭和11年に日本学園は新宿淀橋から現在の松原の地に移ってきたことになります。
●資料によりますと、明大前駅は大正2年(1913年)京王電気軌道の火薬庫前駅として開業。大正6年(1917年)松原駅に改称し、昭和10年(1935年)に明大前駅に改称、現在に至っています。

長い伝統を誇る日本学園が創立130年を迎える年にあたり、OBの皆さんが通学でお世話になった明大前駅の歴史について紹介をさせていただきました。(画像をクリックすると地図は拡大できます)
 
広報部会 44年卒 中村 隆

                                         
 
                             
 
 
 
 

 
 

2015年1月26日月曜日

春を告げる花「水仙」があちこちで咲いています。

日本学園の中学校舎東側の植え込み、そして体育館前の植え込みなどで早春の花「水仙」があちこちで咲いています。23日は折しも高校の「推薦」入試の合格発表日。受験生の親子連れが学園の校門をくぐっていきます。水仙の花が咲く日に推薦入学発表日・・・すぐそこに本格的な春が近づいているのだなあと感じた学園風景です。
4月からは溢れんばかりの夢と希望を持った頼もしい新入生が日本学園に入学します。梅窓会は心から彼らを歓迎し、応援していきます。
 
梅窓会 広報部会

 

 


 
 
 

2015年1月17日土曜日

実はもう一人、日本中学校関係者が
東宮御学問所の御用掛として活躍されていました。

●1月3日に紹介した「講談社の絵本 明治・大正 偉人絵話」で杉浦重剛先生が東宮御学問所において皇太子裕仁親王(昭和天皇)に倫理を御進講している絵を交えて紹介しましたが、実はもう一人日本学園関係者が東宮御学問所で教師をされていたのです。その名はフランス語に堪能な佐分利貞夫氏。

●大正3皇太子裕仁親王(昭和天皇)の帝王学の教育のために創設された東宮御学問所について詳しく書かれている「天皇の学校」(大竹秀一著 筑摩書房発行)によりますと、「土屋に続いて大正7年5月二番手として登場した佐分利貞夫は・・・・(途中略)・・・・子供のころ東京に移って、杉浦重剛が校長をしていた日本中学に学び、一校、東大仏法に進んでいる。」とあります。佐分利貞夫のフランス語について裕仁親王の学友の一人は「発音の非常にきれいな先生だった」と述懐しています。

日本中学関係者の一人は校祖杉浦重剛先生で「倫理」を担当、そしてもう一人は教え子の日本中学卒業生の佐分利貞夫氏は「フランス語」を東宮御学問所御用掛として講義されていたということになります。


佐分利貞男18791929(明治12‐昭和4)
明治・大正・昭和期の外交官。旧制日本中学校卒業(現日本学園)。1905年東京帝国大学法律学科を卒業。同年外交官試験に1番で合格。吉田茂(同様に日本中学校)とは一期上の外務官僚。大正7年から東宮御学問所御用掛、通商局長,条約局長を歴任。1921年大使館参事官となり、ワシントン会議全権随員となる。1929年(昭和4年)外相幣原喜重郎の抜擢で中国公使。同年帰国、宿泊先の箱根「富士屋ホテル」で謎の死をとげた。なお名前の「貞男」は「貞夫」との表記もありマチマチである。梅窓会のOB名簿管理者の調査によると「貞男」となっているとのレポート。

 画像を左クリックすると拡大画像でご覧いただけます。

広報部会 44年卒 中村 隆 

佐分利貞男氏

 
   日本中学校に学んだ佐分利氏のことが書かれているページ

 
 
「天皇の学校」(大竹秀一著 筑摩書房発行)