そこで注目すべきなのがドラマのベースである村岡花子と柳原白蓮のリアルヒストリーです。ふたりが東洋英和女学校在学中に和歌の創作を師事し、終生にわたり敬仰し続けた歌人・国文学者こそ、東京英語學校(現・日本学園)OB・佐佐木信綱先輩なのであります。
歌人・国文学者
近代歌壇の第一人者、佐佐木信綱先輩
佐佐木先輩は三重県鈴鹿市で歌人佐々木弘綱の長男として誕生。父の教えを受け5歳にして作歌。1882年(明治15年)上京。東京英語學校を経て東京帝国大学文学部古典講習科に学びます。
『日本学園百年史』によりますと、東京英語學校(現・日本学園)で学んだ期間は14歳~15歳の2年間。「夜学科(現代におけるⅡ部・イブニングコース)」の生徒でした。同時期に在籍していた生徒には近代画壇の大家、横山大観先輩、詩人・文芸評論家として活躍した上田敏先輩などがいます。この夜学科は英語教育を専門に行う科であり、初等科2年・高等科1年・特等科6か月の課程を設置していました。おそらく東京大学合格のために英語の実力を特に磨く必要があり、あえて夜間課程の英語専科を選んだと思われます。
佐佐木先輩は、若き校祖・杉浦重剛先生の薫陶をストレートに受けた本校草創期の代表的なOBであり、生涯にわたり杉浦先生を敬慕していました。その思いを佐佐木先輩は数々の和歌にこめて先生に贈っています。『山きよく水うるわしき近江の湖 湖ぞひの膳所(ぜぜ)はよき人生みつ』。これは杉浦先生の生誕の地である滋賀県大津市膳所を詠んだ和歌のひとつです。
佐佐木先輩は1890年(明治23年)父と共編で『日本歌学全書』全12册の刊行を開始。1896年(明治29年)森鴎外の『めざまし草』に歌を発表し、歌誌『いささ川』を創刊。また、落合直文、与謝野鉄幹らと新詩会をおこし、新体詩集『この花』を刊行。歌誌『心の花』を発行する短歌結社「竹柏会」を主宰し、木下利玄、川田順、前川佐美雄、九条武子、柳原白蓮など多くの歌人を育成しました。国語学者の新村出、翻訳家の片山廣子、村岡花子、国文学者の久松潜一も佐佐木先輩のもとで和歌を学んでいます。
1934年(昭和9年)帝国学士院会員。1937年(昭和12年)には文化勲章を受章。帝国芸術院会員。御歌所寄人として歌会始撰者でもあり、その流れで貞明皇后ら皇族にも和歌を指導しています。佐佐木先輩は近代日本の文学界をリードした第一人者と言えるでしょう。
花子と白蓮、ドラマのウラに佐佐木先輩の短歌指南あり!
1908年(明治41年)東洋英和女学校に編入した腹心の友、柳原白蓮の導きにより、花子は歌人・佐佐木信綱先輩の主催する短歌結社「竹柏会」に入門。花子は佐佐木先輩から歌人の片山廣子を紹介されました。アイルランド文学の翻訳者でもある片山廣子は、新しい時代の英米文学の世界へ花子を導き、この縁がやがて花子を翻訳者への道へ誘います。数多の歌人の中から、優れた翻訳者でもある片山廣子と花子を結び付けた佐佐木先輩。そこには花子の確かな英語力と豊かな想像力を見抜き、育もうとする鋭い洞察力がありました。
「私は学生時代に短歌を竹柏園で学んだ。けれども中途で歌の道から離れて、今ではまったく歌詠むすべを知らず、歌を語ることも出来ない者となってしまった。唯、残っているのは佐佐木信綱博士を恩師として敬う気持ちだけである。教えていただいた時分は毎週必ず十数首の歌を西片町の先生のお宅へ持って行ったものだが、今はそれらの歌はほとんど見あたらない」村岡花子:『短歌記録』-生きるということ-より
ドラマにも登場した白蓮の歌集『踏絵』の序文を書いた佐佐木先輩!
短歌の道から翻訳家の道へ進む花子に対し、腹心の友、柳原白蓮は佐佐木先輩に師事し九州・福岡の炭鉱王、伊藤伝右衛門と結婚した後も一貫して和歌を詠み続けます。不遇な人生を歩む白蓮は和歌に心の救いを求めました。その白蓮が福岡での結婚生活中に刊行した第一歌集が『踏絵』(1915年:大正4年3月・写真下)でした。
第一歌集『踏絵』はドラマ『花子とアン』6月3日(火)放送の中で福岡の蓮子からはなに届いた歌集として初登場。6月6日(金)の回想シーンにも登場しました。竹久夢二の美しい装丁を施された『踏絵』を受け取ったはなは、蓮子の挑発的な手紙に触発され、もう一度童話を書こうとペンを取る・・・というストーリーでしたが、この『踏絵』の序文を書いたのは、誰あろう白蓮の師である佐佐木先輩でありました。佐佐木先輩は序文で白蓮の歌を「深刻かつ沈痛なる歌風」と評し、白蓮の苦悩に満ちた結婚生活を案じています。
ドラマ『花子とアン』はこれからがヤマ場!本校OB・佐佐木信綱の教えを受けたふたりの才女がどんな人生を歩んでいくのか?OBはもちろん、生徒諸君・保護者のみなさまも、そんな風に意識してご覧になりますと、ドラマも一段と身近に楽しく感じられることでしょう。日本学園なくして日本の近現代史は語れません。ドラマに映画に小説に、これからも偉大な先輩方が続々と登場してくるはず。梅窓会ブログでは、今後も母校OBの偉業を紹介して参ります。それでは、ごきげんよう、さようなら。
NHK連続テレビ小説『花子とアン』HPはこちら!
http://www.nhk.or.jp/hanako/
梅窓会 広報部会
『日本学園百年史』によりますと、東京英語學校(現・日本学園)で学んだ期間は14歳~15歳の2年間。「夜学科(現代におけるⅡ部・イブニングコース)」の生徒でした。同時期に在籍していた生徒には近代画壇の大家、横山大観先輩、詩人・文芸評論家として活躍した上田敏先輩などがいます。この夜学科は英語教育を専門に行う科であり、初等科2年・高等科1年・特等科6か月の課程を設置していました。おそらく東京大学合格のために英語の実力を特に磨く必要があり、あえて夜間課程の英語専科を選んだと思われます。
佐佐木先輩は、若き校祖・杉浦重剛先生の薫陶をストレートに受けた本校草創期の代表的なOBであり、生涯にわたり杉浦先生を敬慕していました。その思いを佐佐木先輩は数々の和歌にこめて先生に贈っています。『山きよく水うるわしき近江の湖 湖ぞひの膳所(ぜぜ)はよき人生みつ』。これは杉浦先生の生誕の地である滋賀県大津市膳所を詠んだ和歌のひとつです。
佐佐木先輩は1890年(明治23年)父と共編で『日本歌学全書』全12册の刊行を開始。1896年(明治29年)森鴎外の『めざまし草』に歌を発表し、歌誌『いささ川』を創刊。また、落合直文、与謝野鉄幹らと新詩会をおこし、新体詩集『この花』を刊行。歌誌『心の花』を発行する短歌結社「竹柏会」を主宰し、木下利玄、川田順、前川佐美雄、九条武子、柳原白蓮など多くの歌人を育成しました。国語学者の新村出、翻訳家の片山廣子、村岡花子、国文学者の久松潜一も佐佐木先輩のもとで和歌を学んでいます。
1934年(昭和9年)帝国学士院会員。1937年(昭和12年)には文化勲章を受章。帝国芸術院会員。御歌所寄人として歌会始撰者でもあり、その流れで貞明皇后ら皇族にも和歌を指導しています。佐佐木先輩は近代日本の文学界をリードした第一人者と言えるでしょう。
花子と白蓮、ドラマのウラに佐佐木先輩の短歌指南あり!
1908年(明治41年)東洋英和女学校に編入した腹心の友、柳原白蓮の導きにより、花子は歌人・佐佐木信綱先輩の主催する短歌結社「竹柏会」に入門。花子は佐佐木先輩から歌人の片山廣子を紹介されました。アイルランド文学の翻訳者でもある片山廣子は、新しい時代の英米文学の世界へ花子を導き、この縁がやがて花子を翻訳者への道へ誘います。数多の歌人の中から、優れた翻訳者でもある片山廣子と花子を結び付けた佐佐木先輩。そこには花子の確かな英語力と豊かな想像力を見抜き、育もうとする鋭い洞察力がありました。
「私は学生時代に短歌を竹柏園で学んだ。けれども中途で歌の道から離れて、今ではまったく歌詠むすべを知らず、歌を語ることも出来ない者となってしまった。唯、残っているのは佐佐木信綱博士を恩師として敬う気持ちだけである。教えていただいた時分は毎週必ず十数首の歌を西片町の先生のお宅へ持って行ったものだが、今はそれらの歌はほとんど見あたらない」村岡花子:『短歌記録』-生きるということ-より
ドラマにも登場した白蓮の歌集『踏絵』の序文を書いた佐佐木先輩!
短歌の道から翻訳家の道へ進む花子に対し、腹心の友、柳原白蓮は佐佐木先輩に師事し九州・福岡の炭鉱王、伊藤伝右衛門と結婚した後も一貫して和歌を詠み続けます。不遇な人生を歩む白蓮は和歌に心の救いを求めました。その白蓮が福岡での結婚生活中に刊行した第一歌集が『踏絵』(1915年:大正4年3月・写真下)でした。
第一歌集『踏絵』はドラマ『花子とアン』6月3日(火)放送の中で福岡の蓮子からはなに届いた歌集として初登場。6月6日(金)の回想シーンにも登場しました。竹久夢二の美しい装丁を施された『踏絵』を受け取ったはなは、蓮子の挑発的な手紙に触発され、もう一度童話を書こうとペンを取る・・・というストーリーでしたが、この『踏絵』の序文を書いたのは、誰あろう白蓮の師である佐佐木先輩でありました。佐佐木先輩は序文で白蓮の歌を「深刻かつ沈痛なる歌風」と評し、白蓮の苦悩に満ちた結婚生活を案じています。
日本を代表する翻訳家の道を歩んだ村岡花子、衆目を集めながら歌人として激動の生涯を歩んだ柳原白蓮。 ふたりを和歌で結び、個々の才能を引き出し、育んだのは、佐佐木先輩という当時の文学界における希代のプロデューサーでありました。
ドラマ『花子とアン』はこれからがヤマ場!本校OB・佐佐木信綱の教えを受けたふたりの才女がどんな人生を歩んでいくのか?OBはもちろん、生徒諸君・保護者のみなさまも、そんな風に意識してご覧になりますと、ドラマも一段と身近に楽しく感じられることでしょう。日本学園なくして日本の近現代史は語れません。ドラマに映画に小説に、これからも偉大な先輩方が続々と登場してくるはず。梅窓会ブログでは、今後も母校OBの偉業を紹介して参ります。それでは、ごきげんよう、さようなら。
NHK連続テレビ小説『花子とアン』HPはこちら!
http://www.nhk.or.jp/hanako/
梅窓会 広報部会
1 件のコメント:
ドラマを楽しみに見ています。二人が師事していた方が、にちがくのOBとは、知りませんでした。ドラマの見方が変わりますね。偉大なOBの情報をありがとうございました。
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