2013年8月11日日曜日

今も現役で活躍中!銀座線・浅草&稲荷町駅とOB今井兼次

日学ファンのみなさま!酷暑お見舞い申し上げます!酷暑とはいえ子供たちは夏休みの真っ最中!『おとうさん、どっか連れてって~!』と袖をひっぱる子供たちの声も聞こえて参ります。そこで一服の涼を求めて身近な観光地『浅草界隈』へ、お出かけになってはいかがでしょうか。浅草界隈にはOB今井兼次の設計による建造物が、いまも街の玄関口として活躍しています!


アントニ・ガウディ、エストベリ、シュタイナーらの作品をいち早く日本に紹介した建築家であり、日本学園一号館の設計者である今井兼次(日本学園OB・早稲田大学教授・1895年~1987年)が手がけた作品は壮大な建造物だけではありません。写真の東京メトロ・銀座線・浅草駅&稲荷町駅『出入り口上屋』のように、街中の風景となり、人々の暮らしに溶け込んでいる作品もあります。

銀座線は昭和2年12月に上野~浅草間2.2キロが開通した日本初の地下鉄道であり、この上屋も開通当時から現存する貴重な建造物です。つまり今井先輩は、日本初の地下鉄駅(上野~浅草間の駅舎・ホーム)を設計した、日本の鉄道史に名を刻む建築家でもあるのです。浅草寺を思わせる和風のデザインが特徴の浅草駅上屋、アールデコ調のモダンな意匠が際立つ稲荷町駅上屋、どちらも緻密な計算と遊び心を感じるディティールを与えられています。「いままで何気なく利用していたが、OBの設計とは知らなかった!」という在校生・卒業生も多いのではないでしょうか。浅草界隈にお出かけの際は、ぜひお立ち寄りいただき、国際観光都市・浅草のシンボルであり続ける、OB今井先輩の作品をご覧ください。特に鉄道研究部の諸君は必見ですヨ!

浅草・稲荷町駅上屋の写真&専門的な解説はこちらへ!
「関根要太郎研究室@はこだて」
http://fkaidofudo.exblog.jp/13863518/

*掲載写真は「関根要太郎研究室@はこだて」様より転用いたしました。

梅窓会   広報部会
日本學園 資料室委員會

2013年8月9日金曜日

倶進Vol.79 ~私の山歩き39~

~尾瀬ヶ原~ 

S28年卒 米田利民

7月30日、小雨の中を鳩待峠(標高1591m)より尾瀬ヶ原(平均標高1405m)に下り、「山の鼻」で昼食。その時は雨もやみラッキー。牛首・竜宮十字路・見晴を経て、温泉小屋に泊まり、31日朝、三条の滝を眺め、東電小屋経由、鳩待峠に帰って来ました。2日目は7時間弱歩き足が棒になりました。ニッコウキスゲは若干残っていましたが、ヤナギランは全然ありませんでした。ヒツジグサが小さいながら頑張っていました。群馬県・福島県・新潟県の三県を歩いたことになります。

ヒツジグサの咲く池 

ヒツジグサ(拡大)、ヒツジ(未、午後2時)の刻に花開くので 
     このような名前がついていますが実際には午前10時には咲いています 

三条の滝 

燧ヶ岳(標高2346m)、風がなければ池に「サカサヒウチ」が写るのですが。 

尾瀬ヶ原の南西にそびえる至仏山(標高2228m)

2013年8月7日水曜日

教育情報サイトに『明大・高大連携』&『日学講座』紹介!

「私立中高一貫校の魅力」がわかる受験生&保護者向け教育情報サイト『NettyLand‐ネッティランド」に、母校と明治大学の「高大連携」および日本学園独自の新教育プログラム「日学講座」が紹介されました。今や首都圏中高一貫校の中でも、ひときわ注目を集める我らが母校。インタビューの中で小岩校長は以下の取り組みを分かりやすく解説しています。母校が”どのような目標や考え方、取り組み方で伸びていこうとしているのか知りたい”というOB諸兄も多いはず。ぜひご覧ください。

『明治大学との高大連携、新プログラムで話題沸騰中!」
NettyLand‐ネッティランド(2013・6・14)


がっちり握手を交わす
明治大学・福宮学長(左)と日本学園・小岩校長

*明治大学連携校となり受験生増加!その大半が日本学園を第一志望に!

*2012年度は6つの高大連携プログラムを実施!学力伸長の意欲を促進!


*新プログラム『日学講座』を放課後に週4回実施!学習時間をしっかり確保!


*目標は中学1年生で英検3級全員合格!


*中学3年生で全員が海外語学研修に参加!

*母校独自の『創発学』の最終目標として”英語で創発できる国際人”を育成!



NettyLand‐ネッティランド(2013・6・14)はこちら!
http://www.netty.ne.jp/contents/explore/2013/06/14/3016/

受験生&保護者注目!高大連携に関するメディアクリップはこちら!
http://baisoukai.blogspot.jp/2013/01/blog-post_28.html

梅窓会 広報部会

2013年8月5日月曜日

速報!この秋・日本学園OB・巨匠『横山大観展』開催!

来たる10月5日(土)から横浜美術館にて東京英語學校(現・日本学園)・第一期卒業生であり、近代日本画壇を代表する巨匠・横山大観の作品約120点を一堂に集めた『横山大観展』が開催されます。


【東京英語學校と横山大観】
横山大観(在校時:酒井秀麿)は、府立第一中学校(現・都立日比谷高校)を優秀な成績で卒業し、東京大学予備門と同予備門附属の英語専修科の両方を受験しました。しかし当時、両方の受験は禁止されており、この件の発覚により、横山大観は受験資格をはく奪されてしまいました。このとき東京大学予備門長であられたのが日本学園校祖・杉浦重剛先生であります。横山大観を含め連座した十数名の学生は、そろって杉浦先生の門を叩いて陳情に及びましたが杉浦先生は会われませんでした。この事件で再受験への意欲をなくした横山大観は、遊んでいるわけにもいかず、1885年、東京英語學校(現・日本学園)に入学します。そして東京英語學校在学中に画家・渡辺丈三郎から遊び半分で鉛筆画を習っているうちに絵が好きになり、東京英語學校の3年課程を修了した1889年、開校したばかりの東京美術学校(現・東京芸術大学)の一期生として入学しました。横山大観は、母校の自由と創造を尊ぶ気風の下で才能を開花させた、シンボリックなOBのひとりといえるでしょう。ワールドクラスの名だたる芸術家を輩出し続ける日本学園。一人ひとりに秘められた豊かな才能と引き出す校風は、創立から今日まで脈々と受け継がれる母校の良き伝統です。


         秋色<1917年・大正6年>

『横山大観展』では、良き師・岡倉天心から薫陶を受け、大正期に共に歩んだ良き友4人、今村紫紅、小杉未醒(放庵)、小川芋銭、富田渓との交流から作風を飛躍的に発展させていった横山大観の「良き師」「良き友」との関わりを読み解きながら、約120点の作品で明治から昭和初期までの大観芸術の魅力に迫ります!日本学園・美術部の諸君はもちろん、OB諸兄お誘い合わせの上、ぜひお出かけください!

『横山大観展』

開催期間:平成25年10月5日(土)~11月24日(日)
開催時間:10:00~18:00(休館・木曜日)
開催会場:横浜美術館(みなとみらい線『みなとみらい駅』3番出口徒歩3分

『横山大観展』オフィシャルサイトはこちら!
9/1まで先行ペア前売り券も発売中!
http://www.taikan2013.jp/

梅窓会 広報部会

2013年8月3日土曜日

硬式野球部 第95回夏季大会ムービー

先月15日に行われた夏季大会3回戦・対世田谷学園戦のハイライトシーンをムービー制作いたしました。当日試合会場に来られなかった会員の皆さま、日校球児たちの熱戦模様をぜひご覧ください。



今月末より、早くも秋季大会開幕。頑張ろう日本学園!

広報部会 S56卒 安齋

2013年8月1日木曜日

我流展景-日校Photoスケッチ(8月-1)

Matsubara Summer Jungle/1

Matsubara Summer Jungle/2

Matsubara Summer Jungle/3

Matsubara Summer Jungle/4

広報部会 S56卒 永澤

2013年7月30日火曜日

「漢の花園」Vo.38文月

酷暑お見舞い申し上げます!「漢(オトコ)の花園」のお時間でございます。夏もひと月続きますと、そろそろ秋の気配も漂う頃・・・ではなく、これから8月を迎える長い長い今年の夏・・・そんな先々週末、同期のJ君と奥高尾・景信山~相模湖まで山歩きを楽しんで参りました。ともに人生の舵取りに失敗した敗残者のごときOB二名。すさみきったオッサンたちの心を慰めたのは、山中に咲く山百合の花でありました。パッと咲くとは、まさに百合の花のこと。その艶姿は薄暗い森に灯った希望への道しるべのようでありました。オッサンたちは、妖艶な香りを胸一杯に吸い込み、うなだれている花あらば、その首元をかたわらの小枝にそっと添わせ、何ひとつパッとしない人生を噛みしめながら「ああ、早いとこ下山してキンキンに冷えたビールが飲みてぇ~!!」と叫ぶのでした・・・母校に学ぶ後輩諸君、こんな無反省なオッサンになってはいけないよ。というわけで、今月は母校の森に盛夏到来を告げる百合(ユリ科)四景をお届けします。

ユリA(百合:ユリ科)

ユリB(百合:ユリ科)

ユリC(百合:ユリ科)

ユリD(百合:ユリ科)

2012年7月紹介の草花はこちら!
広報部会 S56卒 永澤

2013年7月29日月曜日

我流展景-日校Photoスケッチ(7月-2)

Nichigaku Footsal Boys/2013 Summer

Nichigaku Footsal Boys/2013 Summer

Nichigaku Footsal Boys/2013 Summer

Nichigaku Footsal Boys/2013 Summer

フットサルボーイズ夏の陣!8/17・18『東京フットサルチャレンジU18』参戦!
OBのみなさん、応援よろしくお願いします!
その突破力・急上昇中!日本学園フットサル部・最新情報はこちら!
http://www.nihongakuen.ed.jp/cumpus/club.php?id=16&pos=0#no6505

広報部会 S56卒 永澤

2013年7月28日日曜日

学生円ダービー12位健闘中!すごいぞ『為替株式学習部』!

世界情勢から為替レートを予測する!株式購入体験を通して社会と経済の仕組みを学ぶ!そして数々の経済コンテストに出場しながら知識を深める『為替株式学習部』!日本学園を代表する「知の軍団」が日本経済新聞主催『第13回・学生円ダービー』で、並みいる強豪校を引き離し、かい離合計83銭で第12位へ大躍進!5月末予想時の54位から、一気にTOP30校入りを果たし、さらなる上位を虎視眈々と狙っています!

為替株式学習部・川俣君(部長)元田君(副部長)

『学生円ダービー』詳しい戦況はこちら!
http://www.nihongakuen.ed.jp/cumpus/club_article.php?id=52&p=6541

第12位へ躍進したのは、元田直希君が率いる高校3年生チーム。部長の川俣君、副部長の元田君は、本年2月発行の『Baisoukai Today』、3/2アップの当ブログ『Baisoukai Todayスペシャルインタビュー』に登場しました。「コンテストでさらなる上位進出を狙う」と語っていた両君。その言葉通り、磨き抜いてきた経済感覚と知識をフルに活かし、見事な結果を出しています。中学生チームも高校生チームに続けとばかりに7月末を105円75銭と円安進行を大胆予測!月末の市況が注目されます!日本経済新聞主催『学生円ダービー』は、ゼミで社会科学を専攻する大学生や経済学に興味を持つ学習意欲の高い中学生・高校生が集う、日本を代表する「知の格闘」。もはや日本学園における文化系の看板クラブ『為替株式学習部』は、その実力においても経済コンテスト界の看板となりつつあります!

大健闘中の川俣君・元田君インタビューはこちら!
http://baisoukai.blogspot.jp/2013/03/baisoukai-today.html

上位30チーム(5・6月末の予想結果合計)
順位チームかい離
合計
5月末予想
時の順位
代表者学校名
1小沢 萌子桜美林大学34銭20位
2度会 真広桜美林大学43銭6位
3奥田 瑛介東海高校45銭28位
4神近 公規大阪府立大手前高校65銭44位
5猪瀬 悟史茨城大学66銭31位
6森本 拓暢立命館大学76銭26位
7飯田 翔太大阪府立大手前高校78銭20位
8奥田 和希都立小石川中等教育学校79銭54位
9檜垣 歩夢愛媛県立松山東高校80銭11位
9星 雅登京都学園高校80銭40位
11山中 智弘愛知大学82銭26位
12元田 直希日本学園高校83銭54位
13渡部 孝夫愛媛県立松山東高校86銭18位
14花畑 奈生大阪府立大手前高校90銭70位
15久保 大輝愛媛県立松山東高校1円00銭101位
16富田 航平愛媛県立松山東高校1円03銭84位
17武井 一輝北杜市立甲陵高校1円04銭35位
18村松竜太郎日本大学1円11銭59位
19岡 ちかる北海道石狩翔陽高校1円12銭80位
20北野 文啓龍谷大学1円14銭12位
20野々村美優京都学園高校1円14銭73位
22傅 啓明江蘇省・淮陰師範学院1円15銭107位
23村田 可帆京都学園中学校1円17銭111位
24布施 宥哉東京経済大学1円21銭98位
24山本 茜京都学園高校1円21銭70位
24吉田 七美京都学園高校1円21銭119位
27安達 飛希法政大学1円22銭42位
28岡部 綾音田園調布雙葉高校1円23銭14位
29内藤 真晴北杜市立甲陵高校1円28銭128位
30井上 普京都学園高校1円29銭126位

『学生円ダービー』は7月末の予想でラストとのこと。7月10日締め切りで提出した高校3年生チームの予想は100円64銭です。さらなる上位進出なるか!がんばれ為替株式学習部!OB諸兄の応援よろしくお願いします!

梅窓会 広報部会

2013年7月27日土曜日

日本学園OB Webサイトリンク集 

2019. 10. 19更新 Webサイト数 4

佐山こうた 〔ジャズピアニスト〕 H12卒・柔道部OB
6歳よりクラシックピアノを始め、日本学園在学中の16歳より独学でジャズピアノを学び、卒業後に渡米。2000年ボストンのバークリー音楽院に入学し、音楽理論を正式に学んだ後、2004年より日本で活動を開始する。伊藤多喜雄、瀬木貴将、日野皓正、相川七瀬、はるな愛、40mPなど多くの方との演奏に参加。現在もジャンル問わず多方面で活躍中です。ブログでは日々の出来事や参加作品、ライブの模様等を紹介しています。


百代期 清文塾 理事長

創部114年を誇る日本学園柔道部。その100期生以降のOB達による現役生後援会組織『百代期-清文塾』。日本学園柔道部OB会『一歩会』の育成機関でもあります。
【相互リンク】


佐藤正和重孝 〔彫刻家〕 H3卒
山梨県在住。甲虫をモチーフに独特の作品世界を創造する気鋭の彫刻家。個性溢れる作品写真、毎月更新の制作日記”やまなし暮らし、虫のアトリエ”も必見です。
【相互リンク】


梅窓会 広報部会

2013年7月26日金曜日

日本学園に学んだ。そのプライドをパワーに。(下)

松本勝馬(S36年・日本学園高等学校卒)
昭和18年1月17日生まれ。狛江市に育つ。中央大学 経済学部卒。
エレクター株式会社・専務取締役を経て2013年相談役に就任。

大学卒業後はどのようなキャリアを積まれてきたのですか?
大学卒業後、広告代理店に入社しました。ところが憧れていた広告業界の華やかさは見た目だけで、現実は明けても暮れてもクライアントの接待ばかり・・・テレビ局や新聞社などのメディアにもペコペコしなきゃならない。若かったこともあり“こんなことばかりやってられるか!”という気持ちになって、心機一転、粘着シートやテープ、フィルム等を製造する日東電工㈱に転職しました。当時の日東電工は一部上場したばかりで勢いがあり、日本で最も早い時機に週休二日制を導入するなど、社員を大切にする働きやすい会社でした。

日東電工時代は、一般家庭向け消費財を手掛けられたそうですね。
はい、その背景から話しますと、もともと日東電工は、電気絶縁材料、粘着テ-プ、高分子材料等の工業材料と録音テープ、乾電池という一般家庭向け消費財を製造していたのですが、後述するプロジェクト結成の10年ほど前に、この録音テ-プや乾電池の事業部が日立と合併して別会社(日立マクセル株式会社)になってしまいました。一方、海外の競合メーカーである3M(スリーエム・カンパニー)は、カセットテープの代名詞になっていたスコッチテープや金属たわし/スポンジ製品などの世界的な消費財ブランドである「スコッチ・ブライト」を立ち上げ、工業材料以外の分野でシェアを伸ばしていた。「日東電工も3Mのようになるべきだ」ということで、家庭用消費財を扱うブランドを再度立ち上げることになったのです。日東電工は地味で堅いイメージの会社ですから、立ち上げプロジェクトの担当者には“主婦ウケするソフトさと個性を備えた社員を”ということで僕に白羽の矢が当たったのです(笑)。僕は日本学園時代から自分らしさを大切にしていたので、お堅い日東電工でもストライプ模様のシャツやサイドベンツ(当時Yシャツは白無地、ボタンダウンは駄目、スーツはノーベントが当然だった)が入ったスーツを平気で着ていました。髪も今と同じように長く、やたらと目立つ社員だった。それで「あいつはトッポイからやらせてみよう」ということになったわけです(笑)。

現在の日東電工㈱本社があるハービスOSAKA

それがメジャーブランド「ニトムズ」の始まりだったのですか!
昭和47年(1972年)に「日東ホームプロダクツ」というプロジェクトチームを編成しました。それを略した「ニトムズ(NITTO HOME PRODUCTS)チーム」が、後に「㈱ニトムズ」の社名となりました。“日東電工の粘着テープで培った技術をベースに家庭用ヒット商品を開発する」、それがプロジェクトチームのミッションでした。僕は「本気でブランディングするなら組織も日東電工と切り離し、スタッフも親会社の価値観に縛られていない新しい人材を入れなければダメだ」と考えていたので、銀座に事務所を借りて、そこにプロジェクトチームを移しました。女性スタッフまで新たに採用し、大手広告代理店からブランド・コミュニケーションのエキスパートに出向してもらって、ゼロからスタートしたのです。最初の1~2年は失敗の連続でしたが、3年目から手ごたえを感じ、昭和50年に株式会社ニトムズを設立。「フリーラック」、「バスタワー」等のヒット商品開発の後、僕が営業企画本部長だった昭和58年(1983年)に、粘着式カーペットお掃除ツール「コロコロⓇ」が大ヒットしたのです。

全国の主婦にお馴染みの、あの「コロコロⓇ」シリーズですね!
そうです、僕は企画・宣伝・販売促進など、「コロコロⓇ」に関するマーケティング戦略全般を担当しました。商品力に自信はあったのですが、予算がない上に失敗は絶対に許されない、という状況でしたから、大規模なPRを実施することは不可能でした。そこでテレビCMの媒体料金が安価なローカルエリアでテストマーケティングを繰り返し、消費者の反応を確かめながら評判を全国へ広げていく作戦を実行したのです。最初にテレビCMをオンエアしたのは北海道でした。「寒い地域だからカーペットもたくさん使っているはずだ」ということで・・・それが功を奏して、まず北海道でヒット商品となり、次は広島でヒット、次は仙台でヒット・・・といった具合です。最終段階では、消費者の食いつきが悪い地域とし有名な名古屋でテレビCMをオンエアしたところ売れに売れた。それで満を持して関東・関西エリアで一挙にCMを流したのです。売上は8億円ぐらいまで伸びましてね、ニトムズでテレビ番組のスポンサードもしたい、CMもシリーズ化すれば、もっと売上も伸びるはずだと確信しました。日東電工の社長にマーケティング予算の増額を頼んだのもこの頃です。

爆発的ヒット商品となり、今も人気商品の「コロコロⓇ」。
写真は「コロコロスタンダードS」。

どんな番組をスポンサードされたのですか?
中山美穂さんのデビュー作となったドラマ「毎度おさわがせします」(TBS系列1985年O.A.)です。タイトル通りの刺激的なストーリーで人気番組になりました。僕は「コロコロⓇ」の認知を盤石にして、さらに売上を伸ばすためには、挑戦的な企画で高い視聴率を見込める番組をスポンサードしなければ意味がないと考えていました。そのポテンシャルを秘めたドラマが「毎度おさわがせします」だったのです。刺激的なドラマのスポンサーとなることは、お堅いイメージを持つ親会社にとっても大きな賭けとなります。それだけにトップへのプレゼンテーションは、僕にとって一世一代の勝負。あえてカジュアルなジーンズ姿でプレゼンテーションに臨みました。その結果、「毎度おさわがせします」のスポンサードが決定し、急上昇する中山美穂さんの人気と比例するように、「コロコロⓇ」の販売実績も着実に伸びていきました。

世界中で愛されているワイヤーシェルフ「エレクター」。
写真は「スーパーエレクターシェルフ」。棚板はすべて抗菌クリアコーティング仕様。
業界のパイオニアならではの堅牢性と信頼性、ワイドなバリエーションが魅力だ。

現在のエレクター㈱へ転身された経緯は?
プロジェクト立ち上げから短期間でニトムズ㈱は急成長しました。新製品も次々に投入され、暮らしに欠かせない日用品ブランドとしての安定したポジションを確立しました。平成に入って急成長して来た(株)ニトムズの成長が踊り場に差し掛かった頃、次期成長戦略を巡り、トップの考えとどうしても折り合いがつけられないことから、私が身を引くことを決意し退社しました。充電期間も半年になり、少々退屈しだした頃、旧知のエレクタ-社の社長からお誘いを受けたのです。ご存じのように「エレクター」は世界各国で愛されているワイヤーシェルフです。弊社は和食レストランを経営する会社として1957年に創業しました。その後、1966年に米国のインターメトロ社と技術提携し、日本で独自にエレクター・ブランドの製品を製造・販売する会社になったのです。米国生まれの製品を扱っているので、一見、外資系企業のように見えますが、実は生粋の日本企業なんですよ(笑)。エレクターのワイヤーシェルフは、優れたデザイン性、機能性、耐久性、クリーン性で、フードサービス、ホテルのレストラン、病院、工場など、様々な業界のプロに支持されてきました。エレクター㈱の次の狙いは、家庭向けのワイヤーシェルフ「ホームエレクター」を開発・販売して市場拡大を図ることでした。ニトムズ㈱で培った家庭用品のブランドマネジメントのノウハウを活かし、「ホームエレクター」の市場開拓をリードする、それが僕の新しい仕事になりました。平成3年にマーケティング部長として入社しましてね、プライベートユースに見合ったプライス設定や機能面の改善・改良なども手掛けました。その甲斐あって「ホームエレクター」はクリエイターのSOHOから一般家庭のキッチンに至るまで、幅広い市場を獲得することができました。

松本さんが手がけた「ホームエレクター」シリーズ。
写真は木目ブランチシェルフ(棚板)を備えたリビング向けの製品。

松本さんは同窓会・同期会の意義をどのようにお考えですか?
同窓会・同期会は若い頃から継続することが大切だと思います。しかし、現実は転勤や転居など、様々な事情で音信不通になる友人もあり、仕事も家庭も忙しく、同窓会や同期会どころじゃなくなる・・・結果的に一部の仲の良い友人同士の限られた付き合いになってしまうんですね。私自身もそうでした。一人ひとりのOBが若い頃から、先輩や友人とつながる努力を続けていれば、仕事でもプライベートでも、もっと助け合えるはずだし、母校で結ばれた人材のネットワークがビジネスチャンスを生み出す可能性もあります。もちろん、つながるためには、それを後押しするパワーが必要です。そのパワーこそ“日本学園に学んだプライド”に他なりません。榎本理事長、谷川前校長を始めとする学校関係者の皆様並びに梅窓会の皆様のご努力により、現在、母校で学ぶ生徒たちは“名門・日本学園の生徒であるプライド”を着実に取り戻しつつあると思います。たとえば、吹奏楽部諸君の演奏ひとつを取っても、僕らの時代より、はるかにハイレベル。良き伝統を継承しながら、現代の名門校に相応しい教育環境を着々と整備されおり、生徒も期待に応えています。その意味でも、これからはOBネットワークを再構築する絶好の時期。文武両道でがんばる後輩たちのためにも、OB一丸となって交流の輪を広げていきましょう。

平成25年度・梅窓会・懇親会(6/23)で同窓の仲間と共に。

梅窓会 広報部会

2013年7月24日水曜日

Baisoukai Today スペシャル・インタビュー④

OB&在校生(梅窓会・準会員)の“今”を伝える「Baisoukai Todayスペシャル・インタビュー」をお届けします。第4回は、梅窓会ブログ・訪問者総数100,000人を記念するロングインタビューを実施。プロ仕様シェルフの世界ブランド「エレクター」の日本における開発・販売を推進するエレクター株式会社・相談役・松本勝馬さん(S36年卒)にお話を伺いました。

日本学園に学んだ。そのプライドをパワーに。(上)

松本勝馬(S36年・日本学園高等学校卒)
昭和18年1月17日生まれ。狛江市に育つ。中央大学 経済学部卒。
エレクター株式会社・専務取締役を経て2013年相談役に就任。

在学中はいくつもの部活を掛け持ちされていたそうですね。
僕は中学校から日本学園に入学しましてね、中学時代は「ブラスバンド部」(現在の吹奏楽部)、「社会科研究部」、「天文部」、高等学校に進級してからは、「社会科研究部」と「コーラス部」で活動しました。特にコーラス部の活動には力を入れていましてね、高校1年生のとき、コーラス部の先輩たちが演じたイタリアオペラの「ラ・ボエーム」にスタッフとして参加して、僕もやってみたい、と思ったのが入部のきっかけです。みんなでひとつの舞台を作り上げていく楽しさを知って夢中になりましたね。当時のコーラス部は、コーラスの練習に来たり来なかったり・・・そんな幽霊部員みたいな生徒も含め、いろんな奴が参加していました。ですからOB会で集まると「アレ、おまえもいたのか?」という同窓生と再会することもありますよ(笑)。

日本学園中学校1年生の遠足。右端バスガイドさんの左・メガネの少年の左下で
何かをくわえている少年が松本さん。担任は声楽家の友竹正則氏。

コーラス部での思い出を聞かせてください。
文化祭で上演した『マルタ』(正式には『マルタまたはリッチモンドの市場』)が思い出深いですね。フリードリッヒ・フォン・フロトー作曲の4幕からなるドイツオペラで、女官のいたずら心から起きる騒動と恋の顛末を描く、コミカルでロマンティックな作品です。日本ではアイルランド民謡「夏の名残りのバラ」をテーマ曲としていることでも有名です。この『マルタ』を文化祭の公演規模に合わせて再構成する必要がありました。そこで僕が脚本・美術舞台装置を担当して、東京芸大を目指していた同期の金沢君が作曲を担当、主役のライオネルを演じた河野君が演出を担当しました。見せ場見せ場の『アリア』5~6曲以外は、すべて金沢君がオリジナルを作曲したんですよ。僕は役者としてバリトンも担当しましてね、準備に一年ぐらいかけたかなぁ・・・懐かしいですね・・・

『マルタ』を演じた仲間たちと在りし日の一号館・外階段で撮影。
左から5番目のスカーフを巻いた青年が松本さん。

『マルタ』を演じるためには女優さんが不可欠ですが?・・・
そうなんです、男子校だから女子がいない(笑)!そこで中等部までブラスバンド部でトランペットをやっていて、国立音楽大附属高校に転校した友人に頼んで、同校の女子生徒に参加してもらいましてね、それから鴎友学園女子高校の生徒にも参加してもらいました。衣装も六本木の俳優座へみんなで借りにいってね、女子は自分たちで手製の衣装を作って演じていました。すごいでしょ(笑)。小生の衣装は母の手作りで、なんと、この5月に転居した折、台本や楽譜と共に53年ぶりに出て来たんですよ。

休日に私服で登校。一号館北側エントランスの階段で撮影。
当時からオシャレな青年だった。

松本さんが学んでいた頃の日本学園はどんな学校でしたか?
兄が日本学園に通っていたものですから、それが縁で入学したんです。僕の二級上には前校長の谷川さんや常務理事の小川さんを始め、現在の母校を支えている先輩方もおられました。進学実績では毎年、国公立大学、早稲田大学、慶応義塾大学や現在MARCHと呼ばれるクラスの大学にも、それぞれ数名から数十名が合格していました。群を抜いた進学校ではなかったけれど、世田谷周辺では歴史ある名門校として認識されていたと思います。先生方も優秀かつ個性派ぞろいでした。中学時代の担任は、その後テレビ番組でも活躍された声楽家の友竹正則先生です。体育科の講師にはメルボルンオリンピックの鉄棒で金メダルを獲得した小野喬先生がいらっしゃいました。おさな心の中に「俺たちはすごい先生方から教わっているんだ!」という誇らしい気持ちがありましたね。高校に進級してからは、とにかく自由な雰囲気で、青春時代をのびのびと謳歌できる学校でした。「受験勉強しろ!」とうるさく言う先生もいなかった。もし、うるさく言われていたら、進学実績はもっと良くなっていたかもしれませんね(笑)。

一号館南側ヒマラヤ杉の下で。
右は同期の浦本建十郎さん。浦本さんは軟式テニス部OB。
ラテンムード歌謡グループ「東京モナルダ」のメンバーとして活躍。
現在は中野坂上で居酒屋『食いものや駄々っ子』のオーナーをされています。
「東京モナルダ」のヒット曲『神戸で別れて』をYouTubeでお聞きいただけます。

日本学園らしい自由の気風の中で青春を謳歌されたのですね。
はい。当時の制服は黒い詰襟でしたが、校内で私服を着用する時には、着用する理由を書いて学校に届け出なければならなかった。しかし僕は“黒い詰襟にグレーのフラノのズボン”という当時の大学生の着こなしに憧れていましてね、なんだかんだと適当な理由をつけては、それを真似した格好で登校していました。僕は高校時代に生徒会長も務めたのですが、そんな規則違反の常習者が生徒会長なんですから、良くも悪くも、おおらかな気風があったんですね。そんなことで僕も中学校を卒業する時は「優等賞」をいただきましたが、高等学校へ進学してからは、部活に夢中で、まったく勉強しませんでした(笑)。当時は高等学校から入学してきた優秀な生徒も多く、さらに他校を退学になって日本学園に編入してきた猛者なんかもいて、いろんな奴が個性を発揮していた時代でしたね。

上段左が高校1年生の松本さん。右・田中さん(一年先輩)、左下・河野さん(同期)、
右下・間瀬さん(同期)。日本学園の生徒は今も昔もオシャレでセンスがある。

今、日本学園に学ぶ生徒たちに伝えたいことは?
僕は日本学園で本当に心豊かな6年間を過ごしました。その豊かさの中には、すばらしい友人や先生方との出会いもあったし、社会の第一線で活躍するOBや一流の見識を備えた方の薫陶に触れる機会もありました。プロ野球解説の草分けである小西得郎氏、映画監督の吉村公三郎氏、陸軍大将だった荒木貞夫氏、吉田茂の後継と言われながら急逝した緒方竹虎氏。河野洋平氏・太郎氏の父であり、祖父であった河野一郎氏などの講演会もあって、立派な先輩方がいる日本学園を誇りに感じたものです。この恵まれた環境は、現在の日本学園も変わらないと思います。在校生諸君は、ぜひ日本学園の歴史やOBの偉業を学んで欲しいですね。知れば知るほど、日本学園の生徒であることを誇りに思うはずです。

次回『日本学園に学んだ。そのプライドをパワーに。』(下)に続く。

梅窓会 広報部会