2010年11月3日水曜日

自由を愛する日校健児

この子は愛する甥っ子であります。小学校4年生です。
彼が誇らしげにかぶっているのは、
もちろん我が母校の學帽であります。
どうです、フクちゃんみたいで可愛いでしょ・・・。

日本学園小学校生あらわる!? 

さて、日本学園では昭和48年6月から長きにわたり、
「制服自由化」が導入されていました。
僕が在学していた時代は、風紀上いかがなものか?と判断される
格好でなければ、学生服でも私服でも何でもOK・・・でした。
たとえ写真の甥っ子のような着こなしでも、たぶんお咎めなし。

しかし、生徒の中には學ラン愛好家も多く、運動部を含む1/3ぐらいの
生徒が學ラン姿で登校しておりました。僕もそのひとりです。
ところが學ラン派もまた自由で、黒のみならず、他校指定と思われるグレーや
濃紺海軍タイプの學ランをまとっている者も・・・。
こうなるともう、毎日が仮装パーティみたいなもんです。
それも自由を尊ぶ日本学園らしさ、だったのかもしれませんね。

で、卒業間近に學ラン組だったにもかかわらず、
ついに一度も學帽を所持していなかったことを、
ふと残念に思った僕が、慌ててあつらえたのが
写真の學帽であります。シンプルなデザインの校章がCoolです。

日本学園の校章は白銀に輝く「八咫の鏡」であります。
「八咫の鏡」はご存じのように三種の神器のひとつ。
その誕生は遥かな神話の時代。
歴代天皇とも深い関わりを持つ皇位のシンボルです。
校祖、杉浦先生が皇室の家庭教師であったことに因む、
と聞いておりますが、正確な制定の経緯を一度徹底的に
調べてみたいと考えております。

現在、母校では「標準服」と呼ばれるブレザー&ネクタイが
採用されています。これをあえて「制服」という概念で縛りつけない
あたりが日本学園らしさ。制服自由化の時代には良くも悪しくも
他校では味わえない開放感がありました。その自由な空気は、
「標準服」という着るゆとりに姿を変えて、
今でも学園に息づいていると思います。

S56卒 永澤

5 件のコメント:

モンブラン さんのコメント...

ほんと可愛い甥っ子さんですね。みんな日本学園に来るのを待ってますよ!。制服の話ですが我々の時代は丁度「アイビー」が全盛で制服は学生服でしたが、かっこよく着こなしていた者も結構いました。当然そんなことはまったく意識せずギチギチにいかにも田舎の「がり勉」風に着ている者もありました。その辺がさすが自由な校風の日本学園、そして東京のど真ん中の都会の学校、なんとなくお洒落な雰囲気をもっていました。

37年卒OB さんのコメント...

我々の世代では、まだアイビー全盛以前で白の靴下が流行っていました。学生服の範囲内でオシャレの努力をしていた者が多かったです。

56年卒OB さんのコメント...

「アイビー」ですか。かっこいいですね!。ボタンダウンのシャツにノータックのズボンですよねえ。靴はリーガルのコイン・シューズ(ローファー・シューズ)でしたか?

匿名 さんのコメント...

さっそくコメントしてみます。可愛い坊やですね。やはり学生帽はいいものです。最近はブレザーの学校が多くなって、学生服の時代を懐かしく感じるようになりました。学生服時代の学園の写真も見たいものです。

S56卒 永澤 さんのコメント...

みなさま、愛する甥を褒めていただき、感無量です!ありがとうございます!彼は見ての通り、本当に頭脳明晰かつ心やさしく、根性ある男なので、なんとしても母校に入学して欲しいと考えております!