その第一回にご登場いただくOBは昭和19年に日本学園(旧制日本中学校)を卒業された堤健二氏です。堤氏は日本中学校を卒業後、海軍飛行兵として第二次世界大戦に参戦。戦後早稲田大学に学び、化学技術者として日本の復興・発展を支えてきたご経歴をお持ちです。これから約1年間にわたり連載する物語は「早大応用化学科昭和二十七年卒業生文集」(平成18年制作)に掲載された堤氏の自伝「人生と出逢い」です。堤氏は同自伝のブログ転載に当たり、さらにストーリーを充実させるべく、原稿を見直し、加筆・推敲を重ねてくださいました。この場をお借りして深く感謝申し上げます。堤氏は現在、梅窓会監事としても第一線でご活躍されており、そのシャープな課題分析力とPCを自在に操る高度なスキルは、若年の会員も太刀打ちできません。梅窓会の発展をリードする大先輩として、堤氏の存在はいよいよ輝きを増しています。梅窓会ブログがお贈りする日校健児の誇り高き物語。堤氏の夢と挑戦の歩みをご堪能ください。
梅窓会 広報部会
堤 健 二(昭和19年 日本中学校卒)
歳をとると人みなそうでしょうが、残り少ない人生をどう燃焼させ終えようかなど考えるものです。そこで友人たちと語らい自分史を書くことになった訳です。何しろ80年前のことに遡るのですから、当時の時勢を正確に確かめながら記述を進めるのは容易なことではありません。一番苦労したのは当時の心情の把握です。『三つ子の魂百まで』と言われますが、その魂=心情がどう自分自身を突き動かしていったか?実は心情というより周りの人々(親・兄弟・先生・友人・伝記中の聖賢・偉人等々)から導かれた自画像(セルフイメージ)を背負ってどのように生きたかということです。
私の場合、特に日本中学から海軍飛行兵として参戦・その敗戦からの再起という激動の青春時代の心情・経験はその後の私の一生の行動の大きな規範となりました。それは様々な出遭いと想い出の人々を失った悲しみとか、私自身幾つかの挫折にも拘わらず、以後、生きるためにそれを上回る元気とそして気力を胸の中にわき上がらせてくれたことも間違いありません。
今日は私が日本中学に入学するまでの、当時戦争に明け暮れた世相のなかで、私たちがどう生きたか、貧困な社会の中で人々が求めたこと、国際問題がどう展開しそれが世界大戦に繋がっていったかという過程を幼い子供の目を通して描いてみました。
※余計なことかもしれませんが、自分史を書いていて思ったことですが、出来るならもっと若い時分、出来れば20・30歳代からでも記述を始めれば、その方の人生にとって更によい結果を生むのでないかと思います。 以上。
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