第一回大会で、同期会を二年ごとと決め、今回は震災で予定より4カ月延期されましたが、10月15日(土)新宿プリンスホテル地下一階レストラン「トリアノン」で昭和43年卒業の名称「四三会」第二回同期会を開催致しました。招待のお客様は谷川平夫校長、梅窓会宮原洋一副会長、鈴木昭二先生、村松健次先生、藤森喜代一先生の5名、同期生18名総勢23名と2年前の第一回大会よりは、ひとまわり規模が小さくなってしまいましたが、この時期を乗り越えなければ、長期の同期会の継続はできないと考えております。
顧みますと、2年前、私どもが還暦の佳節を迎えた年に同期会を立ち上げる時に、ほんとうに迷い、躊躇し、そしてかなりの期間を保留しましたが最後に私の信条のひとつであります『やった後悔よりも、やらなかった後悔の方がいつも必ず大きいはずだ。』という信条のもと開催致しました。私は同期生が喜んでくれるのならば、という考えで始めた同期会開催は、キャッチボールの法則通り自分自身にど真ん中のストライクでもどってきたという感じです。
今回の同期会で、高校時代3年間同じ学校に通っていながら、顔も知らなければ、もちろん話をした事も一度もない同期生とかなり親しくなれたことはとても嬉しいのですが、又何か奇怪な感じであります。さらに嬉しいことに、あの東日本大震災の被災県、宮城県仙台市からかけつけてくれた同期生、柳憲雄君にはとても感激いたしました。同期会は、現千葉県浦安市の市長、松崎秀樹君の力強い開会の挨拶から始まり、なつかしさでどのテーブルでも笑顔がこぼれおちるほどあふれ、そして一人一人の胸につけた名札を確認してから話しかける人もいました。なごやかな雰囲気のなかで、校歌斉唱の時には、だれということなく全員で肩を組んで歌い、ラグビー部だった沢木要人君の手慣れた三三七拍子、万歳三唱の音頭でお開きとなりました。
2年後の第3回同期会の再会を約束しようとしましたが、二次会ではさらに盛り上がり、『幹事は大変だけれど、毎年でも開催してほしいヨ』とも言われてしまいました。母校は4年後の2015年には開校130年の周年行事を迎える伝統校であります。今や人生100年の時代ですので、まだまだこれからも健康第一に元気に、はりきってやっていきたいと思います。 敬白
平成二十三年十二月十日記 矢澤修
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