2011年12月8日木曜日

スペシャルサイト「我ら日校健児」第6回<前編>配信!

激動の時代を乗り越えてきた日本学園OBの自伝・インタビューを掲載するスペシャルサイト「我ら日校健児」第6回<前編>を配信いたします。物語は予備門・早大学院から、いよいよ最高学府、早稲田大学・応用化学科へ。前編では学部進学のタイミングが、旧教育制度から新教育制度へ移行する真っただ中に当ってしまった堤氏の苦労と努力の日々を描きます。若き堤氏が学ぶ早稲田の杜。その舞台には、日本学園一号館をデザインされた巨匠・今井兼次博士の設計による図書館、演劇博物館も登場。青春の一頁を格調高くアカデミックに彩ります。堤氏は今回も、往時を在りのままに伝えたい、という願いを込めて原文へ大幅な加筆・推敲を行ってくださいました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。時代を先駆ける化学者への一歩を踏み出した堤氏。早稲田大学を目指す在校生諸君は必読ですよ! 

日本中学校歌「大富士仰げる」を熱唱!懇親会2011にて左2番目

梅窓会 広報部会


「大学学部~応用化学科~へ進学」

堤健二(昭和19年 日本中学校卒)

前回第五集では、敗戦で荒廃した、そしてGHQによる占領政策下にある東京に出ては、早大高等学院入学前後の東京の状況、入学の経緯、東京と岡谷を繋ぎながらの勉学の状況、ドイツ語等語学取り組みの苦労など、勉学に交友に明け暮れた学院生活やがてそれが生涯の最大の宝とも云える生涯の交友関係にと繋がったことなどお話ししました。そして学部進学の経緯状況などお話ししました。今回はいよい最高学府学部に於ける就学から社会へと進んだ経緯をお話しいたします。新制移行の圧力を乗り越え社会に出ては先端の技術者・学究者たれとの教授・助教授等先生方の期待に添える技術者としての自己鍛錬の刻でもあったわけです。教授陣の意気に応えるべく日々の努力、一方写真部での活動、校友との大島始め数々の旅行関西九州工場見学会、いよいよ卒論は大坪加藤研究室、最後に亡くなられた友人達の思いで、そしていよいよ社会への第一歩とお話しは続きます。                                 
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