2013年1月8日火曜日

初代校長・増島六一郎の貴重な映像コンテンツ紹介!

東京英語学校(現・日本学園)の初代校長・増島六一郎の人生を貴重な記録写真やご親族のインタビュー等を交えて編集された中央大学HP映像コンテンツ「中央大学の歴史:初代校長・増島六一郎」を紹介します。

  増島六一郎(1857年~1948年) 
東京英語学校&英吉利法律学校・初代校長 

 1937年6月、ワシントンの中国大使館のパーティに出席した増島六一郎(左)。
写真右は日本中学校(現・日本学園)を首席で卒業し、
日米和平の架け橋となった斎藤博駐米大使。

明治維新後、西洋文明国との交流が進むにつれて国際社会に対応できる人材育成が急務となりました。これに応えるべく設立されたのが東京大学であり、それらの官立学校を目指す若人を迎えた「大学予備門」でした。日本学園の校祖・杉浦重剛は、「東京大学予備門」を目指す学徒の予備校である「東京英語学校(現・日本学園)」の設立に尽力。このとき杉浦校祖は、英吉利法律学校(現・中央大学)設立に向けて奔走していた増島六一郎と力を合わせ、神田錦町の旧明治義塾を校舎として供用することを決定。杉浦校祖が大学予備門長の職にあったため増島六一郎が両校の校長を兼任することになりました。 

東京英語学校(現・日本学園) 
校祖・杉浦重剛先生 

 
東京英語学校&英吉利法律学校・神田錦町校舎(絵画編) 

中央大学HP映像コンテンツでは、近代日本の法曹界発展に尽くした増島六一郎の歩みと、旧明治義塾校舎や神田錦町校舎の貴重な記録写真、さらに生前の増島六一郎と接したお孫さんへのインタビューなど、日本学園にとっても貴重な情報が盛り込まれています。増島六一郎は校長として、両校を互いに模範とするべき姉妹校に位置付け、その発展に情熱を注ぎました。両校躍進の源流は杉浦校祖と増島六一郎の出会いに他なりません。ぜひご覧ください!

「中央大学の歴史:初代校長・増島六一郎」はこちら!


梅窓会 広報部会

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