増島六一郎(1857年~1948年)
東京英語学校&英吉利法律学校・初代校長
1937年6月、ワシントンの中国大使館のパーティに出席した増島六一郎(左)。
写真右は日本中学校(現・日本学園)を首席で卒業し、
日米和平の架け橋となった斎藤博駐米大使。
明治維新後、西洋文明国との交流が進むにつれて国際社会に対応できる人材育成が急務となりました。これに応えるべく設立されたのが東京大学であり、それらの官立学校を目指す若人を迎えた「大学予備門」でした。日本学園の校祖・杉浦重剛は、「東京大学予備門」を目指す学徒の予備校である「東京英語学校(現・日本学園)」の設立に尽力。このとき杉浦校祖は、英吉利法律学校(現・中央大学)設立に向けて奔走していた増島六一郎と力を合わせ、神田錦町の旧明治義塾を校舎として供用することを決定。杉浦校祖が大学予備門長の職にあったため増島六一郎が両校の校長を兼任することになりました。
東京英語学校(現・日本学園)
校祖・杉浦重剛先生
東京英語学校&英吉利法律学校・神田錦町校舎(絵画編)
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梅窓会 広報部会
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