2011年10月16日日曜日

スペシャルサイト「我ら日校健児」第5回<前編> 配信!

激動の時代を乗り越えてきた日本学園OBの自伝・インタビューを掲載するスペシャルサイト「我ら日校健児」第5回<前編>を配信いたします。日本中学校(現・日本学園)を卒業し、第二次世界大戦という日本の歴史的転換期を乗り越えた堤氏。そこには第二幕ともいえる青春時代が待っていました。早稲田大学高等学院への入学、素晴らしき人々との出逢い、そして新たに芽生えた大いなる未来への展望・・・。堤氏は今回も、往時を在りのままに伝えたい、という願いを込めて原文へ大幅な加筆・推敲を行ってくださいました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。都の西北、早稲田の杜を舞台に、いよいよ早大生、堤健二氏の物語が始まります。早稲田大学を目指す在校生諸君!大先輩のドラマティックな人生から、誇りと努力の大切さを学んでくれたまえ!

思い出深い一号館とヒマラヤ杉 をバックに。

梅窓会 広報部会


「早大・学院へ」

堤 健二(昭和19年 日本中学校卒)

前回第四集は、敗戦で海軍航空隊から帰還後、岡谷で始まった敗残の想いからの再起、そして『晴耕雨読』の日々、それは大いなる自然と哲学に鍛えられ学び、超克の意識に燃えた時でもあり、そして東京に出ては、青雲の志に燃えて進学への出発となったのです。私の人生にとって海軍への飛翔が第一のステップとすれば、岡谷でのそれは続く第二の大いなる飛翔とも言えるものでした。

今回は、私の人生でまた更に大いなる身心の転機となった、早大学院への進学とその当時の想い出を書かして貰いました。先ず、想い出は入試の経緯から始め、今では想像も出来ないほど厳しい惨憺たる敗戦後の世相、東京・岡谷間を往復し繋げた私の学生生活、本田技研本田宗一郎社長との出会い、連合軍に占領された東京での新年GHQ前、大隈講堂で胸弾む入学式、戦後の寒い教室・然し先生方の再建の意気に燃えた講座・クラスルームでの友情・若き血潮に燃えた早慶戦・学究と切っても切れない必須のドイツ語と主要外国語との関わり等々想い出の儘に書き連ねましたが、最後の締め括りは、何と言っても卒業後何と六〇余年経っても、未だ尚続く大いなる友情のお話です。学院生活は「新たな出逢いと、そして素晴らしい友情を育てた人生の珠玉の場であった」との一言に尽くされるかも知れません。そして学部への進学により友情は益々堅く互いを結びつけてゆくことになりました。次回はいよいよ学部―応用化学科―でのお話に入ります。

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