最近のカメラのようにパノラマ機能もなく、校舎全景を分割して撮影している。
いつ撮ったのか、どんな想いで撮っていたのか、写真の裏に記録はなく、
記憶も判然としないのがいかにも残念だ。
ひとけもない閑散とした校庭なので、冬休みに入って、
受験用の成績証明書などを受け取りに来たときに撮ったものかな、と思っている。
いずれにしても、昭和37年卒業当時には間違いない。
突然出てきた写真。大掃除の手を休め、
往時の学生時代を思い出して、しばし感慨にふけった。
では昭和37年冬の学園風景を。
正門
正面玄関前 |
現在と比べれば明らかだが、正門玄関前に杉浦重剛像がなく、
取り巻く木立も少し細く見える。
取り巻く木立も少し細く見える。
当時の講堂。 |
その講堂を向いた写真は木々に葉もなく、ベアグランドの白いものは
霜柱のようにも見える。まさに季節は冬だと確信できる。
1号館校舎。 |
校舎に向かって左隅に見える木造建物はかっての柔道場。
運営委員 S37卒 君塚
運営委員 S37卒 君塚
3 件のコメント:
37年卒にとっては、当時が懐かしく蘇ってきます。それにしても今の学園と違って当時の殺風景な感じがよく写し込まれていますね。
豊かになる以前の時代、まだ世の中が殺風景だったような気がします。
君塚先輩より7年後の44年卒業ですが、懐かしさがこみ上げてきました。特に校門に掛かる学校名の書かれた木製の看板や柔道場も懐かしいです。校門前にはラーメン屋もありましたっけ。色々な学友、お世話になった先生の顔が浮かびました。貴重な写真をありがとうございました。
僕が生まれる前年の日本学園ですね。自分がこの世にいない時間を見ているようで不思議な気持ちになります。その一方、現在とほぼ変わらない校舎の一号館の姿に感慨深いものも感じます。自分が在学中の昭和50年代前半は柔道場は既にありませんでしたが、今井先生設計による講堂はありました。その前にある松はそのまま。講堂と道路の間にはテニスコート一面がありました。従って、現在の学園の森は存在していません。門柱の看板が判読できないほど擦れていますね。モノクロの冬の情景と相俟って、なにやら侘しい印象です。東京はオリンピック間近で明るい希望に満ちていた、と聞かされていますが、巷の空気は戦後の荒廃を残す殺風景なものだったのでしょう。そのまま下へスクロールすると、元旦に撮影した現在の同じアングルが見れます。樹木の成長がよくわかります。学園の記録に残る過去の写真には限りがあります。個人所有の写真がいかに貴重かを感じました。
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