年頭にあたって思うこと
梅窓会 会長 太田安雄
私は昭和19年(1944)、本学園の旧制中学校時代に卒業した。
入学したのは、東京の大都市計画のため、新宿淀橋にあった中学校がこの松原の地に移転して、新校舎が落成した3年目の昭和14年(1939)のことで、周囲は畑や空き地が多かった時代で、白い学舎はひときわ目立つ存在であった。
一昨年1月に昭和初期の学校建築の代表として一号館が、国の有形文化財に登録されたことは、学園関係者の諸兄には既によくご承知のことであろう。
この設計施工を指揮されたのは、大正2年(1913)卒業の先輩で、早稲田大学建築科を出られた今井兼次先生である。校舎玄関に並ぶ4本の大きな柱は他学には見られない風格を現わしている。
私が卒業して既に67年を経過しているが、玄関前の樹木が70年の歳月を経て大木に生長したことを除いては、玄関、入口の高い天井、シャンデリアなど、入学当時のそのままの姿を留めており、懐かしさと同時に私の誇りとする学園の象徴である。
私達の中学時代は、日本が既に戦時体制に入った頃だったが、戦後NHKで活躍されたジェームス・ハリス先生を講師として招聘した英会話の時間があり、時にシャーロックホームズの探偵小説などが講義され、「ブラックキャット」の話など未だに私の耳にその情景が思いだされる名講義が行われていた。
当時、英語は敵性語として中止した学校の多い中で、日本中学校では幅広い英語教育が行われていたのである。
今思えば、本学園の前身である英語学校の遺志を引き継がれた、時の猪狩又造校長の英断によるものと思われる。猪狩先生は杉浦重剛先生に直接薫陶を受けた愛弟子の一人であった。英語の読本にはキングスクラウン・リーダーを使い、英作文の時間も普通に行われていた。
しかし残念なことに、戦争の激化により英語教育ばかりでなく教育のすべてが損なわれて行く時代であったが、それでも楽しい5年間の中学時代であった。
旧制日本中学校は、戦後、古い日本精神の塊りで、日本主義教育の権化のように思われ、学園が大変荒れた時代もあったが、学園の前身である東京英語学校の精神が受け継がれて、戦争初期まで本格的な英語教育が行われていたことは、あまり知られていない。
今、伝統の上に新生日本学園として新たな出発が計られつつあることは、喜ばしい限りである。日本学園同窓会である梅窓会は、常に日本学園中学・高校と表裏一体の関係にある。
梅窓会員は一体となって学園の発展に全力を挙げねばならない大事な時である。
会員の一致団結を切に願うものである。
本年もよろしくお願い申し上げます。 |
梅窓会 広報部会
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