激動の時代を乗り越えてきた日本学園OBの自伝・インタビューを掲載するスペシャルサイト「我ら日校健児」第4回を配信いたします。物語の舞台は終戦直後の長野県岡谷市へ。大東亜戦争の渦中を生き抜いた堤青年の再起と新しい前進が始まります。「我ら日校健児」では、今回もこの貴重で膨大な証言を第4回前編・後編の2回に分けて配信。科学立国・新生日本を目指し、早稲田大学への進学を決意する堤氏の軌跡を描きます。
梅窓会 広報部会
「梅窓会・総会2011」で監事として出席者の質問に応える堤氏
「復員:岡谷‐それは交響曲の故郷」
堤 健二(昭和19年 日本中学校卒)
第3集では予科練入隊より終戦に至る将に大東亜戦争さなかに於ける、私の海軍時代のお話をしました。私にとっては敢えて3年の学舎生活を後にしての出発でした。それは米・英・豪・蘭との決戦が将に制空権を賭した戦いとなり、この国の命運を左右する場となるのであれば、今こそ我が全身・全霊はそこに賭けるべきと断じたからです。そして、4年に亘る海軍パイロットとしての生活は、結局国内基地隊での偵察と教育任務で終了し、一方同期の桜は次々と前線に出撃、結果は何と全滅に近い彼等の喪失と国土の壊滅と言う惨憺たる結末の内に幕が引かれてしまいました。国敗れて山河あり。しかし私は生き残ったのです。米軍占領下での、国そして私達の再起は如何なものだったのでしょうか。それはA級戦犯,BC級戦犯のリスト並びに処刑の報道も巷に流され始めた頃で、戦争責任はどう償うことになるのか、国、国民共に如何に立ち直るべきか、恐らく誰にも先が読めない闇の時代だったのです。
今回は復員から父母のもと、岡谷・今井の郷での身心の再起、それは田園交響詩のひかりと生気に溢れたなから始まります。その大地の温もり、厳しい乍らも深い愛情に恵まれた天地、そこに生きる幸運な第一歩があればこそ次の新たな飛躍へと結果は繋がって行ったと確信されます。“迷える羊は自然に還れ”です。自然に還る生活は、雪の中での炭焼きに始まり、一鍬一鍬と野をきり開き、雨、風、雷にうたれては己が生命力を日々新たに感じとり、自然と本来一体であるべき自己再発見の旅であったのです。それは書による反省、書による確信、行動への自信となり、さながら田園交響詩に包まれ乍ら新生への第一歩を印したというスタートでした。
目標は、この荒廃しきった国を興すのは、先ず最先端の科学立国を目指すことにあり、さればこそ、私自身も今はその一端を担う学究の途を選ぶべしと大学受験への一歩を踏み出すこととなったのです。以下終戦より岡谷の生活を経て、早稲田大学高等学院理科進学までの経緯が今回の報告です。中学から海軍時代そして田園交響詩の故里・岡谷での生活と、私なりに一貫して錬磨を重ねたこの鋼の身心と知力を以て、また新たな挑戦がいま始まったのです。もう迷うことは何もない一歩でした。以上
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