S28年卒 米田利民
5月22日より9日間(実質観光は5日間)、スペイン北西部サンチアーゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de
Compostela)へ行って来ました。キリスト教信者にとっての三大巡礼地のひとつ(あとの二つはエルサレムとヴァチカン)、北西スペインのサンチアーゴ・デ・コンポステーラへは巡礼者はフランスのパリなどから「ルルドの泉」などを通りピレネー山脈を越え40-50日徒歩でサンチアーゴの墓地があるとされるコンポステーラ大聖堂に至るものですが、今回の旅は飛行機でマドリッドに行き、そこからバスで巡礼道の一部をたどるものです。ところどころ数百メートル、巡礼の道を徒歩で歩きますが、これは真似事。巡礼者はヤコブの印「帆立貝」を衣類につけ、ひょうたん(水)を杖に付けて歩きます。この貝の印は道案内にも使われています(道路への埋め込み、案内板、街角の柱)。
キリストの直弟子、12使徒の一人、聖ヤコブ(スペイン語で、サンチアーゴ)はスペインでの布教ののち、紀元44年エルサレムで亡くなりますが(殉教)、その亡骸は舟に乗せられはるばるスペインのガリシア地方に流れ着き(その時、亡骸は帆立貝で覆われていたという)、埋葬されましたが、その後墓地の場所が不明になります。9世紀の初めにコンポステーラでその墓地が発見され、その地に大聖堂が建てられました。
【第1・2日目は移動日のため、この旅行記は3日目より始まる】
旅の3日目(5月24日) マドリッド空港からそのままバスでブルゴスへ来て一泊、ブルゴスは巡礼の道で一番大きな町。大聖堂などを見学。あるワイナリーが無料でワインと水とを提供している所へ行き、お相伴にあずかる。フランスからピレネー山脈を越えて来た2本の巡礼道がひとつにまとまる所に昔その地の女王が巡礼者のために建てた橋があり「女王橋」と呼ばれている。橋を渡りしばらく散策。
ヘミングウエイの小説「日はまた昇る」で有名な「牛追いの町」パンプローナへ。次いで今夜の宿泊地、サン・セバスチャンへ。夕食は町へ出てそれぞれにバール(居酒屋)へ行き、「ピンチョス」というおつまみを中心としたものを食べる。蛸が美味しい。東京に比べ少し寒い。4日目(5月25日) 美しい海岸(コンチャ湾)を小高い美景ポイントより見学。次いでバスク文化を受け継ぐゲルニカへ。ここはスペイン内戦の時、ドイツ空軍の爆撃を受けたところ。それに激怒したピカソが有名な「ゲルニカ」を描いた。ゲルニカはバスク地方の中心地である。バスクは伝統的に自治の土地。「統治の樹」を見る。今でもバスク地方では郡の代表がこの樹の下に集まり(実際には教会に隣接する議会で)政治を行っている。小雨が降り出したがすぐに止んだ。次いでかつての重工業都市ビルバオへ。少し上流のグゲンハイム美術館の大蜘蛛と子犬(と言っても巨大)を見学。中世の趣が色濃く残る小さな村、サンティリャーナ・デル・マルを歩く。海の道はここまでで、巡礼路の要所、レオンへ(泊)。
5日目(5月26日)レオンは10~12世紀にかけて栄えたレオン王国の首都であった。大聖堂やガウディが設計したカサ・デ・ボティネスを見学。世界遺産の「名誉の橋・オルビコ橋」を歩いて渡る。巡礼の宿場町アストルガで典型的な巡礼者のための宿を見学。巡礼者に遇ったときには「Buen Camino」(ブエンカミノ=英、Good Way 道中無事に巡礼をお続け下さい)と言って励ます。いよいよ最後。きつい登り。登りきるとSantiago de Compostelaの大聖堂の3つの塔が見える。ここが「歓喜の丘」。大聖堂の方を見て歓喜する2人の巡礼者の像が立っている。
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